問27.これからも
最終話です
辻馬車が王都を離れるにつれて、窓の外の景色が徐々に自然豊かな風景に変わっていく。高ぶっていた気持ちも、リーフが膝の上で喉をごろごろ鳴らす音を聞いているうちに、すっと凪いできた。
(……本当に受かったんだ)
私は鞄の中の合格通知書をそっと指でなぞった。それから、弟のテオからもらっていた手紙を取り出す。
『お姉さま、試験がんばって! 絶対合格するって信じています』丁寧に綴られたテオの字を見ているだけで、胸がじんわりと温かくなる。
(テオ……お姉さま、頑張ったよ)
王都の学園に通うテオに会いたかったが、冬の長期休暇中なので実家のブルーム領に戻っていた。会えなかったのは残念だったけれど、手紙にはブルーム領の近況も書いてくれていた。
カイルの侯爵家に借金を返してもらったおかげで、領地の復興は着実に進んでいること。領民の笑顔が少しずつ戻ってきていること。
そして、領の名物であるフローラル・チーズが王家に認められ、継続的な補助金の支援が決まりそうなこと——
(テオも畜産の研究室に入るために頑張ってるみたいだし、本当によかった……)
思わず頰が緩んでしまう。
そんな私を見て、リーフが「にゃん?」と首を傾げた。
「テオのことを思い出してたの。……でも」
はじめは借金に苦しむ実家を支えるために、私は素材鑑定士を目指した。モスに振られ、酔った勢いでカイルと契約結婚したあの夜から、人生は一変した。
カイルに勉強を教えてもらい、一緒に素材採取に行き、その素材採取で魔獣に捕まったリーフと従魔契約をすることになって——
「リーフ、大好きよ」
「にゃん!」
膝の上のリーフに話しかけると可愛く返事をしてくれる。リーフのいない生活なんて、もう想像できない。
カイルが本気で戦う姿を初めて見たのも、リーフを助けたときだった。Sランク冒険者だと知っていたはずなのに、あの強さには心底驚かされた。カイルのことを思い返すたび、胸にときめきが降り積もる。
(カイルのことが、いつからこんなに好きになったんだろう)
カイルのお祖母様のための契約結婚だったはずなのに、いつの間にか本気で好きになっていた。
勉強を教えてくれる優しい横顔、余裕たっぷりに甘い言葉を囁く声、魔物から守ってくれた力強い腕、そしてお祖母様が危篤だと聞いたときに見せた、わずかな弱さまで——すべてが愛おしい。
(……私も、変わったのかな)
カイルと過ごすようになって、自然体でいられるようになった。
以前は誰にも弱さを見せられず、一人で何もかも背負い込んでいたのに、カイルの前では素直に甘えられる。モスといた頃には決して感じられなかった安心感。カイルといるときの自分を、私は心から好きだと思える。
「……にゃん」
リーフの声に意識を戻す。ほんのりオレンジ色に染まる空の向こうに、カイルの待つ街が見えてきた。
「もうすぐ着くね」
「にゃあ」
「帰ったら、カイルに合格したって教えて、お礼を言わなくちゃ」
「にゃ!」
リーフの喉を優しく撫でる。カイルから贈られた紫と紺の首輪が夕焼けに輝いていた。たったそれだけで胸が締め付けられる。
素材鑑定士に合格するまでは、この気持ちを押し込めてきた。
でも、もう隠したくない。
(……契約結婚から本当の結婚に変更したいって……ううん、違う。好きだって伝えよう)
カイルと契約結婚という形ではなく、一緒にいたい。
領の借金で侯爵家に大きな恩義を受けているという負い目が、ずっと心にあった。それを返済しながら、少しずつ対等になれる関係を築きたいと思っている。素材鑑定士に合格した今だからこそ、私は本当の気持ちを伝えたい。
カイルとは、一方的に助けられる関係ではなく、ちゃんと並んで歩ける関係になりたかった。
(でも、もしカイルに断られたら……)
「——ううん。資格を取ったんだもの、私一人でも生きていける」
「……うにゃあ」
「あっ、ごめん。一人じゃないよね、リーフと一緒だよ」
「にゃん!」
街に入ったのは、空が茜色に染まる頃だった。 辻馬車を降りると、カイルが立っていた。
「ローズマリー、お疲れさま」
私を見つけたカイルが、目を細めて微笑む。
「えっ……なんでここに? 仕事は……?」
「迎えに来て驚かせようと思って、死ぬ気で片付けた。迷惑だった?」
にっこりと笑うその顔を見た途端、足が勝手に動いていた。私は迷わずカイルの胸に飛び込んだ。
「カイル——私、受かりました!」
「おめでとう、ローズマリー!」
カイルは声を弾ませると、私を抱き上げてその場でくるくる回った。
「きゃあ……!」
周囲の通行人が驚いた顔で振り返る。「なんだ、めでたいことか」「おお、若夫婦か!」そんな声があちこちから飛んでくる。
カイルは全く気にする様子もなく、満面の笑みで私を見つめた。
「本当に頑張ったな。おめでとう、ローズマリー!」
とんでもなく嬉しそうなカイルにようやく下ろされて、ぎゅっと抱きしめられる。試験の緊張も、面接の恐怖も、話したいことは山ほどあったはずなのに——
カイルの温もりに包まれた途端、頭の中が真っ白になった。コートの布地越しに伝わる心臓の音、爽やかなシトラスの香り、逞しい腕の感触……。
(……もう、好き)
溢れそうな想いを、もう抑えきれなかった。
「…………好きです」
「えっ」
「……っ! あっ、あの……」
本当はもっとちゃんとした場所で伝えるつもりだったのに、カイルに会えた喜びで、想いが勝手に零れ落ちてしまった。
でも——もう、止めたくなかった。
私は彼の胸から顔を少しだけ離し、まっすぐに見上げて、震える声で告げた。
「私……カイルのことが、好きです」
カイルは一瞬目を丸くした。息を飲むのが分かった。
それから、困ったように優しい苦笑いを浮かべる。
「ずるいな……俺が先に言うつもりだったのに」
「えっ……?」
次の瞬間、逞しい腕が私を強く抱きしめる。
「俺も好きだよ、ローズマリー。ずっと前から」
耳元で囁かれた甘やかな声に、涙が決壊した。嬉しくて、胸がいっぱいになって、抑えきれない。
私は彼の胸に顔を埋め、カイルはただ黙って私の背中を優しく、何度も撫でてくれた。
どれくらいそうしていただろう。
涙がようやく落ち着いた私は、掠れた声で言った。
「契約、変更したいです」
カイルは私の頰に残った涙を親指で拭い、ゆっくり目を細めた。
「契約を変更するなら……覚悟して」
「えっ? 覚悟ですか……?」
「そう——」
カイルの顔が近づいて、温かく柔らかい感触が頰にそっと落ちた。
(……今、キスされた!?)
カイルは慌てる私を見つめ、わずかに息を吐いた。
「今はこれで我慢するよ。でも、これからは遠慮なくとことん甘やかすから——覚悟してね、ローズマリー」
「ひゃっ……!」
真っ赤になる顔を隠そうとする私を、カイルは楽しそうに笑う。
「い、いきなり溺愛なんて反則です……!」
「それは契約次第かな? 俺、交渉得意だから——」
カイルが低く笑いながら、指を一本ずつ折り始めた。
「まずはアパートを引き払おう! うちにおいで」
「えっ……?」
「一緒に休みを取ってブルーム領に挨拶に行こうか。テオ君に『お義兄さん』って呼ばれたいな」
「ま、待ってください……そんな急に……!」
「あとはギルドカードの姓も変えて、みんなにローズマリーが俺の奥さんだってちゃんと知らしめたい。それから、お祖母様の好きな教会で式も挙げようか」
「ひゃあ……そ、そんなに……!」
私は慌てて彼の胸を押したけれど、顔はきっと夕焼けよりも真っ赤だと思う。
「……お手柔らかにお願いします」
恥ずかしいのに、やっぱり嬉しくて心がとろりと甘くなる。心地いい低音で笑う声が、なんだかずるい。
でも、そんなカイルも大好きだと思ってしまう。
「家に帰ろう、ローズマリー」
「……はい!」
差し出されたカイルの大きな手に自分の手を重ねると、包み込むように握られた。
茜色の街並みを並んで歩きながら、家路を急ぐ。
前を歩くリーフが「にゃーん!」と高く鳴き、まるでお祝いしてくれているみたいだった。
カイルの横顔をそっと見上げると、彼もこちらを見て優しく微笑んだ。
「カイル、……大好きです」
「俺も、愛してる」
二人で見つめ合う。
どちらからともなく近づいて——夕焼けに照らされた道で、二人の影がゆっくり重なった。
おしまい
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます!












