それを世間はなんと呼ぶ
六華が黙り込んだ。
『肌に触れぬように服を掴んで引っ張っているつもりだが、何かの拍子に触れてしまって、殺してしまっただろうか』
虚はそんなことを考えながら後ろを見る。
肉体を掴んでいる重さは感じているため、肉体が崩壊していないであろうことは分かっているが、先ほどまで足がなんだと言っていたのに急に静かになった。
誤って喉にでも触れてしまっただろうか、などと思ったが、振り返った先にいる六華の肌に皮膚が崩れたような形跡はなく、綺麗な肌が残っていた。
そのまま視線を少し移動させ、顔を見た瞬間に虚は足を思わず止めた。
周囲の異形が雪崩のように迫ってくるが、そんなことを意にも介さずに六華の様子を観察する。
先ほどまでは、不安が籠ってはいるものの、覚悟を決めた目をしていた。
しかしそれとは一転、不安や怯えなどはその瞳から消え失せ、さらに感情までもが消え去りそうになっている。
未来への希望を求め続けた女軍人、六華 春晴は、しがみ付いていた与えられた軸を投げ捨て、軸があった場所に別のものを詰めた。
絶望だ。
虚を軍が送ってくれた救世主だと信じて「違う」ときっぱり言われた時にかすかに生まれた暗い感情。
その後に起きた小さな苛立ちなどの負の感情を押し込め、蓄え、発散できずに己が内で増幅された感情を新たな軸として、自身の存在の一部品として取り込んだのだ。
自分以外の未来を願って生きていた無垢な頃から、少しずつ、ほんの少しずつ溜まっていたのだろうその感情は、心の内側にこびりつき、取れなくなってしまっていた。
今までため込んでいた黒い感情は、虚によって生まれたものではなく、いままで罪を自覚できておらず、未来しか見えていなかった自分が気付かなかった過去の遺産なのだ。
貯め込んで、溜めこんでいた、ねばついた黒い感情を心の中心に押し込んで自分とする。
虚の言う通り、軸を作りだしてしまった。
これからは、絶望が六華の存在理由となる。
絶望の為に生き、そして絶望によって死ぬ。よりによって今までの自分と正反対の位置にある感情を軸にしてしまったのだ。
新たな自身の軸を支えに黒く濁り始めたその瞳を虚へと向ける。
そんな目で見られていても、虚は一切動じず、愉快なものを見たとでも言いたそうな顔で六華を見つめ返す。
「私は、あなたや世界が生み出す絶望を消すために生きます。そのためにこの命程度いくらでも賭けてやります!」
「私のことなんてどうだっていい!私が諦めなければ世界から絶望を消せるかもしれない!だったら、未来の為に!私が死にます!!」
「まさかの展開すぎてな、少々脳みそが追いついていない」
「お前は他人の未来の守るために自分の未来を犠牲にするのか?」
「はい。だって、そうするしかないでしょう?あなたが行く先々で私や〈掃除屋〉の隊員たちにやったことをするかもしれない」
「だったら、私が命を賭してその人たちの未来になります。あなたが与える真実という名の絶望なんかに負けない人間もいるのだと、証明するために」
つい、虚は六華が壊れたのだと思ってしまった。
確かに〈掃除屋〉の面々に向かって、目を逸らしていた真実を突きつけたのは事実だ。軍という存在を自分から真実を隠す目隠しに使っている隊員たちに真実を教えてやった。それは間違いない。その言葉がとどめとなって心が折れてしまった隊員もいるのだろう。
そして、六華はそれを運が良いのか悪いのか、隊員たちの表情から読み取ってしまったのだろう。
新しい信念を抱くとき、人は周囲の状況を読み取って新たな信念とすることが多い。
六華は新しい軸を生み出すときに、隊員たちのその表情を核としたのだろう。だとすれば「正義の為に!!」などと宣うヒーローのような言動を取ることもあるだろう。
だからといって、まるで虚の存在を邪悪だと断定するような言動で、まるで魔王に対して勇者が言うようなセリフを吐くとは思っていなかったのだ。
この言い方では、まるで虚が悪者ではないか、などと自覚のない元凶が内心で愚痴でも吐くようにぼやく。
傍から見れば世間を守る軍人の心を追った大悪人なのだが、毎度の如く虚に自分を客観視する能力はない。気付かずにやっていることなのだ。
「そうか、それで」
「その証明とやらの為に何をするんだ?」
「世の中の絶望を与える存在を消します。まずはあなたを殺して、絶対な力を持った存在が殺せることを証明します」
「そうしたら、あとは世界中にいるそんな理不尽な存在を殺しながら世界中の人々に希望を与えられるような英雄を目指すんです!」
「無理だ」と言いそうになる自分の口を抑え、その濁った瞳を妖しく輝かせながら叶いもしない夢物語を語る六華をじっと見つめる。
自分の心が壊れていることに気付いていない、哀れで恐ろしい狂人の目をしていた。
『本気で言っているな』
『絶対に私を殺すと心に決めた奴の目だ』
虚は手で押さえた口が弧を描いていることを自覚しながら、自分の戦いや殺意に対する寛容さに対して呆れていた。
殺意を持って殺しに来る相手ほど、今の虚が求める存在は居ない。
自分が並大抵のことでは死なないと分かっている以上、この肉体は生前以上に無茶ができる。
「であれば」
「私を殺さんと向かってくる相手の貴重さたるや……」
「たまらんな」
虚もまた、自分が壊れていることに気付かない。
生前より戦いと殺しに明け暮れ、最後には老衰で死ぬ。
生前の時代を思えば、ありえないほどに穏やかな死に方をした人物が、新しい体で戦いに自ら身を投じるなど、常人ではありえない。
だからこそ、狂人は狂気に惹かれ、狂人と出会う。
常人と狂人は巡り合わず、常人は狂人にはなれない。
「いつでも殺しに来い」
「いつでも殺してあげます」
虚という狂人は、六華という隠れた狂人を探し出したのだ。
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