それらの名
虚、女は自分をそう名付けた。
生前の名前ではない、ただ何となく思いついただけの単純な名前。
出自を持たず、名を持たず、限りを持たない。
何も持たなかったそれに、何も生み出せなかった男が入った。
外見だけを綺麗に整えたそれは、中を除けば取り込まれる深淵に等しい。
自分を名付けるならこれだと、漠然的にそう思った。
元より名乗れる名など無いのだから虚ろな存在であり続けるのも悪くはないのだろう。
どこかに定住するつもりもない、明確な目的もない、ただの現象のような存在だと無意識下に自分を認識していたのかもしれない。
故に女は、 虚と名乗る。
この名が女の存在証明なのだ。
「いいか」
「神でもあなた様でもなく、 虚と呼べ」
「承知いたしました!虚様!」
虚の前の教信者と化した隊長格の男はその名を噛み締めるように小さな声で呼ぶ。
忘れぬように、刻み込むように。
そして名乗られたのなら自分の名前を憶えてほしくなるのも当然。
教信者にとって、神に名を覚えてもらう以上の栄誉があるだろうか、いやない。
「わ、私は、矢岸 晴久と申します。虚様に覚えていただけるのであれば至上の幸せにございます」
「矢岸 晴久か」
「覚えた、これからよろしく頼むぞ矢岸」
「~~ッ!!どうか、我らを導いてくださいませ!!」
地面に這いつくばるほどに頭を下げ、まるで騎士のように胸に手を当てて恭しく虚への忠誠を再度述べる。
この短期間で3回以上見た光景だ。見てる大将としてはうんざりもしようものだ。
「あ~、オレもだな?」
「そうだ、私が教えたのだから教えろ」
大将はガシガシと頭を掻いてからため息を吐き、意を決したように述べた。
「オレの名前は、クリスティーナ・アルギメス。呼ぶときはクリスだ。いいな」
「ほぉん?矢岸とは名前の形式が違うのだな、クリスティーナ」
「クリスだ!オレは西部出身だからな……こんな名前に見合わないから恥ずかしんだ」
「声だけならお前は完全に男に聞こえるがな」
「その外見と声の食い違いはどうなってるんだ」
「それは、また今度な」
顔を背けながら己の名前を告げるクリスティーナはその外見相応の可憐さにあふれていた。声は壮年男性のものだが。
---------------
他〈不死隊〉隊員の名前を聞き、残りはカプセルに閉じ込めた複数人を混ぜた塵が再生して生まれた者二人のみとなった。
しかし現在は、カプセルの中で脳を破壊された状態で放置されており、虚が一定以上の距離を取っているため再生が行われず、血濡れの頭蓋陥没死体が二つのカプセルに詰め込まれている状態であった。
「虚様、こちらの二人は、どういった経緯でこうなったのでしょう?」
「こいつらも実験した個体なんだが、複数人が混じっててまともに考えることが出来なくなっている」
「いや、混乱しているのかもしれんな」
「混、ぜた……?」
「私が混ぜたわけではない」
「塵になった時点で混じり合っていてどうしようもなかったからな」
「折角だからと実験に使ったわけだ」
やはり倫理観がどうかしている、クリスティーナは改めて思う。
ただ、自分たちと異なりこの女が自らの意志で行っていないと宣言したことがほんの少しの救いである。
「いま隊には何人いる?」
「点呼!!―――――――27!!27人です、虚様」
「そうか、じゃあ三人が混ざってるわけだな」
「二つに分けたから実際に入っているのは1.5人なわけだが」
「よし」とカプセルへ近づく。
一定の距離に近づくと瞬間的に頭部が再生され、見覚えのない顔が現れる。
居なくなった三人の隊員の誰とも似つかない顔つきのその女は、自分が閉じ込められていることを認識したのか、カプセル内で暴れ始める。
何か話しているように聞こえるが、言葉としての意味を成しておらず、絶叫のような言葉のようなものがカプセル内に響くだけだった。
「さて、これをどう治すか」
「混ざってしまっているから塵に戻したとしても意味はないしな」
「殺したところで再生するのだからこれまた意味がない」
「いっそのこと初めから育ててみりゃいいんじゃねぇか?脳も三人のものが混ざり合ってるんだろ?なら人並みの会話は教えればできそうだがな」
「……なるほど」
虚はカプセル内部で暴れる女と、今さっき再生が始まった男を見てうなづく。
「この二人、この状態から育成をし直した場合にどうなるのかの実験に変更してみるか」
「なら、こう呼ぶとしよう」
「アダムとイヴだ」
この先、星があるぞ
星を押すと良い、作者のテンションが上がる
ブックマーク、評価の程よろしくお願いいたします。