誰が?
「特に問題はないよ」
屋敷に帰った僕は、夕食を終えた後で父様に話があると告げ、学院での出来事を一通り報告した。正直、叱られるかもしれないと身構えていたのに、返ってきたのは、拍子抜けするほど軽い言葉だった。
「深刻な顔をしているから何かと思ったけれど……そんな噂を立てられるのなんて、珍しくもない。その程度、可愛いものだよ。そもそも、証拠能力も低い、薄い紙切れ一枚でどうにかなるほど、この家はやわじゃないからね。それに、権力なんて使うためにあるようなものだ。リュカが必要なら、私の権力なんて、いつでも使ってくれて構わないよ」
(……え、それ、そんな軽く言っていいものなの?)
戸惑っている僕の様子など気にも留めず、父様は悪びれもなく、いつもと変わらない穏やかな笑顔のまま、さらに続ける。
「まあ、リュカの友達なら、たとえ犯罪者だろうと無罪にしてみせるから、何も心配しなくていい。……さすがに何人もは無理だから、本人とその身内くらいかな?」
(それはさすがに駄目だよ!!それに、僕だって犯罪者と友達になったりしないよ!!)
あまりにも物騒な発言に、頭の中で全力で突っ込みを入れていると、隣で話を聞いていた母様が、さすがに見かねたように父様へと声を掛けた。
「アル。リュカを安心させたい気持ちは分かるけど、あまり大袈裟に言うと、余計に戸惑ってしまうわよ」
「すまない。少し大袈裟だったかな。だが、本当に何も問題はないから、安心していい」
そう言ってから、父様はふと思い出したように僕を見る。
「それで……その子が落としていった紙は、今持っているかな?」
「うん、持ってるよ」
報告の時に必要だと思って、部屋を出る前にポケットへ入れておいた紙を取り出し、父様へ差し出した。父様はそれを受け取ると、さらりと目を通す。すると、ほんの一瞬だけ目を細め、口元を僅かに歪めたように見えた。
「……これは、私が預かってもいいかな?」
「いいよ」
僕にとっては、もう必要のないものだ。だから、僕がそう答えると、父様は何事もなかったかのように、それを胸ポケットへしまった。結局、身構えていたほどの話にはならず、あっけないほど簡単に、その日の会話は終わってしまった。そして次の日、少し気の抜けたまま教室に入ると、真っ先に不安そうな顔でコンラッドがそう尋ねてきた。
「アルノルド様は……昨日の件で、何か言っていましたか?」
その後ろから二人も続くようにやって来ており、ネアは普段通りだけれど、バルドはどこか落ち着かない様子で、少し視線が泳いでいた。
「特に気にしている様子もなくて、笑って受け流してたよ」
「よ、良かった……」
コンラッドの後ろで気まずそうに立っていたバルドが、僕の言葉にほっと息を吐く。すると、コンラッドがきっと睨むような視線を向けて言った。
「良かった、じゃありませんよ。これに懲りたら、自分の言動を少しは直してください!」
「善処する!」
(それ、絶対に直す気ないよね……)
バルドなりに反省はしているらしいけれど、自分の性格をよく分かっているからこその返事、という感じがする。だから、元気に言い切るバルドに、コンラッドと同じように、僕も少し呆れてしまった。それでも、気になっていたことを口にする。
「それにしても……いったい誰が書いたんだろうね?」
騒動の原因になった紙のことを話題に出すと、コンラッドは小さく首を振った。
「分かりません。私が来た時には、すでに彼と揉めていましたから。どうやら、急に言いがかりを付けてきたようです」
「そうなんだよ。俺とネアが話してたら、いきなり喧嘩腰でネアのことを悪く言い始めたんだ。なぁ?」
確認するようにコンラッドが視線を向けると、バルドはまだ彼の言い分に納得がいかないという顔のまま、ネアを振り向いた。すると、ネアは頷き答える。
「あぁ。アイツは俺たちより後に教室に来たんだが……こっちにやって来たのは、いつもの席に座って、しばらくしてからだったな」
「そういえば、彼はいつもあの席に座っていますね」
途中、記憶を辿るような仕草をしながら答えたネアの言葉に、コンラッドも、何かを思い出したように小さく呟いた。席は決まっていないけれど、最近はそれぞれの“定位置”のようなものが出来始めていた。そして、僕たちと同じように、彼もまた、その一人だったみたいだ。
「なら、誰かが入れて、アイツに見つけさせたってことか?……何のために?」
「ネアのことを気に入らない人が、彼以外にもいるのでしょう」
「誰かに言わせるより、直接言えばいいのにな」
「みんなが、あなたと同じように、言いたいことを言えるわけではありませんからね……」
高位貴族相手に物怖じせずに言えるわけがない。そう言われても、いまいち実感が湧かないのか、バルドは首を傾げる。
「じゃあ、結局……誰が入れたかは分からないんだな」
「だが、俺たちがいる間に、あの席の近くに近付いた者はいなかったと思う」
「俺も早く教室に来るけど……見てなかったな」
ネアの言葉に、バルドが悔しそうな声を上げるけれど、そんな二人にコンラッドは淡々と告げた。
「公爵家が不正を働いたなんて紙に書くだけでも、問題になると分かりますからね。誰かに見られるようなヘマは、しないと思いますよ」
「でも、あの紙には“商団の金を使って不正をした”って書いてあったよ?」
「そうなんですか?私は、“アルノルド様の力を借りた”とでも書いてあるのだと思っていました」
「俺も」
父様に渡す時にちらりと見た内容を口にすると、中身を見ていなかった二人が、意外そうに顔を見合わせた。すると、ネアが割り切ったような声で言う。
「まぁ、平民の俺が学院相手に不正できるとは、普通は思わないだろう。だから、まずは貴族の関与を疑う。リュカみたいな高位貴族が側にいれば、なおさら、な」
ネアは気にしていないようだけど、そんな理由で疑っていいわけがない。そう思いながら、ふと教室の奥へ視線を向けると、昨日の彼が向ける、あの睨むような目と視線が合ったような気がして、僕は慌てて視線を逸らす。
入口にいつまでも立っているわけにもいかず、とりあえず教室の中へ入る。今日は何か言ってくるつもりはないらしく、無事に朝のホームルームは終わった。けれど、ほっとしたのも束の間、次の授業の準備をしていると、リオ先生がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「リュカ君、少しお話があるのですが、よろしいですか?」
「今ですか? もうすぐ一時間目が始まりますけど……?」
「担当の先生には、事前に事情を話して許可をもらっています」
時計を見ながらそう言うと、リオ先生は困ったように微笑みながら言った。何だか断れない空気に、僕は無言で頷くと、みんなに見送られながら、一人でリオ先生に連れられ、近くの空き教室へ向かった。そして、向かい合うように椅子が置かれ、僕が腰を下ろすのを待ってから、リオ先生は静かに口を開く。
「昨日の件は、他の生徒から聞いて知っています。……家名を使って不正をしたそうですね」
「ち、違います! 僕、そんなことしていません!!」
思わず声が裏返るけれど、リオ先生は極めて落ち着いた声で、首を横に振った。
「ええ、分かっています。私も学院側の人間ですから」
それでも、次の言葉は少しだけ声を落として続けられた。
「ですが……そういう話が出る時点で、問題なのです。あまり言いたくはありませんが……公爵家としての振る舞いを、少しずつ身に付けていくべきだと思います」
「……はい」
普段は優しい人から凄く真剣な眼差しで、こんな風に厳しく言われると、どうしても気分が落ち込んでしまう。だけど、リオ先生は心配そうに目尻を下げながらも、さらに苦言を呈するように続けた。
「レグリウス家を快く思わない者もいます。そういう者に付け入る隙を与えれば、宰相閣下にも迷惑が掛かる。……そのことを理解した上で、しっかりと行動してください」
そう言うと、視線を下に向けていた僕に、少し間を置いてから、声の調子を和らげて続ける。
「何かあれば、私が力になります。まずは、私を頼ってくださいね」
「……分かりました」
温かい言葉に返事をしながら、胸の奥に小さな重みが残ったまま、僕は空き教室を後にした。
お読み下さりありがとうございます




