リュカの屋敷で(コンラット視点)
これまで、私が誰かに叱られたり、謝ることになった時の原因は、大抵がバルドだった。正確に言えば、私自身にも非がある場面は、少なくなかった。それでも私は、叱られるのが怖くて、「悪いのはバルドだ」と言い張ることが多かった。そして当の本人も、それが自分から言い出したことだと分かっているから、まるで年下の弟でも庇うかのように、素直にその役を引き受けてくれていた。だから、怒られる役は、いつもバルドだった。
私は、そのことに薄々後ろめたさを感じながらも、その関係に甘え続けてきた。けれど、今回は違う。原因を作ったのは、間違いなく、私自身だった。それなのに、口をついて出てきたのは、謝る機会を作ろうとしてくれたバルドを責める言葉ばかりだ。
罪悪感を抱えながら、そんな自分に嫌気が差す。それでも、私は二人に謝る機会がないかと、様子を窺っていた。すると、そんな私の気持ちなどお構いなしに、バルドは相変わらず空気を読まないような言動で場を和ませ、結果的に私が声を掛けやすい状況を作ってくれた。
胸の奥に恐怖を抱えたまま、震えそうになる声で謝罪すると、二人は驚くほどあっさりと私を許してくれた。それでも、呑気にネアと楽しそうに笑っているバルドの姿を見ていると、感謝の言葉よりも先に、ため息混じりの皮肉が零れてしまったのは、きっと私が、まだ素直になりきれていない証拠なのだろう。
普段は後先を考えない言動が多く、付き合うのは正直疲れる相手だ。それでも、意外と周囲をよく見ていて、人の気持ちを汲もうとする一面がある。きっと、あの探検の話だって、自分の願望も入っているとしても、「オルフェ様の弟と仲良くなりたい」と、私が以前こぼした言葉を覚えていたのもあったのだろう。
素直になれない私のためだと分かっていても、勝手に人の気持ちを言いふらすバルドには、否定と皮肉の言葉と共に、つい睨むように見てしまう自分がいた。
その後、書庫で問題を起こしてしまい、この先しばらく図書館が使えなくなるのではないかと落ち込んでいたところ、思いがけず、リュカの屋敷へ招待された。
期待とは違い、事前に聞いていた通りオルフェ様に会うことは残念ながら出来なかった。それでも、途中で挨拶に来てくれたリュカの母親は、とても気さくな方だった。あまりの勢いに、顔を赤らめて必死に母親を止めようとするリュカ。その様子を見ていると、バルドとは違う、リュカの素直さは、こうした家庭の空気の中で育まれたものなのだと、自然と腑に落ちた。だからこそ、憧れの存在もまた“遠い偶像”ではなく、私たちと同じように日常を生きる人間なのだと、ようやく実感できた。気づけば、私の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
「何だと思う?」
学院で、何気ない会話もするようになったリュカから問いかけられた時、少しだけ気にはなった。それでも、深く詮索するつもりはなかった。だからこそ、その場で突撃しようとしたバルドを、私は思わず本気で止めてしまった。普段なら見て見ぬふりをするところだが、今回は、オルフェ様が関わっている以上、そんなことは言っていられない。
身内でもない私達が、無理に秘密を暴こうとすれば、相手の不興を買うに決まっている。憧れの人も“ただの人間”なのだと理解したからこそ、その私生活に、土足で踏み込むような真似はしたくなかった。むしろ、私達と変わらないからこそ、さらなる憧れと敬意を抱いていた。
私が釘を刺したことで、その話題は授業の中で、いつの間にか有耶無耶になっていった。そして私も、それ以上、触れないことに決めた。そんな中、再びリュカの屋敷に行く週末を迎えた。
勉強を教えるにしても、リュカの分からない範囲が分からなかった。そのため、私が昔読んでいた本を何冊か持って行くことにした。広めに用意してきたつもりだったが、いざ、どこが分からないのか尋ねると、返ってきた言葉に、思わず耳を疑った。
「ぜんぶ……?」
「全部」
(まさか、ここまで……)
初代国王の名前すら曖昧なのには、さすがに言葉を失った。それでも気を取り直し、私が本を取り出していると、その間、リュカはネアと何か話していたようだった。ふと、その話題が気になり、ネアが手にしている本の表紙を目にした瞬間、そこに描かれた人物に、思わず“憧れの人”の姿が重なった。
気づけば、自分もその本も借りていた。そして、私が持ってきた本はいったん脇に置き、前回と同じように、それぞれが本を手に取り、静かな時間を過ごしていると、不意に部屋の扉がノックされた。
「入ってもいいか?」
低く落ち着いた声で、聞き覚えはない。でも、その口調は、使用人のものではなかった。となれば、考えられる人物は一人しかいない。そう思って、反射的にリュカへ視線を向ける。すると彼は、どこか気まずそうに視線を泳がせていた。その表情を見た瞬間、私の中の“予想”は、ほぼ確信へと変わる。しかし、私が心の準備を整えるよりも早く、リュカは、あっさりと入室の許可を出してしまった。
話したいことは、山ほどあった。聞いてみたいことも、伝えたい言葉も、いくつも胸の内に溜まっている。それなのに、憧れの人を間近にした途端、言葉は一つとして形にならなかった。心臓だけが、やけに大きな音を立てて騒ぎ出し、相手にまで鼓動が届きそうなほど響く。そして、頭の中は真っ白になっていく。
何か失礼なことを言って、嫌われるくらいなら。いっそ、何も言わない方がいい。そんな考えだけが、ぐるぐると頭を占めていく。そう思えば思うほど、緊張で喉が張り付き、声の出し方すら分からなくなっていた。そんな私の前で、バルドはちゃっかりとオルフェ様との約束を取り付けていた。
(……羨ましい)
そう思うと同時に、あまりにも遠慮のない態度に、内心では非難の言葉ばかりが浮かんでくる。けれど、そのどれ一つとして、口に出すことは出来なかった。私はただ、黙って聞いていることしか出来なかったのだが、それでも心を鎮めようとしていると、さらに来客を告げる音がした。
アルノルド様まで姿を現されてからは、正直、ほとんど記憶がない。
お声を掛けて頂いたのは記憶にあるが、その時、自分がどんな返事をしたのかも曖昧だ。失礼な態度を取っていなかったかどうか、ただそれだけを、必死に祈るばかりだった。だからこそ、お二人が退出された後、張り詰めていた糸が切れたように、胸の内に溜め込んでいた感情が一気に噴き出した。
私が勢いのままリュカに事情を問いただせば、返ってきたのは、取り繕いのない素直な謝罪。それでも、事前に教えてもらえていれば、私だって、もう少しは“まともな挨拶”が出来たはずなのだ。それに、ちゃっかり約束まで取り付けたバルドにも、どうしても不満が募る。そのせいで、八つ当たりだと分かっていながら、私は結局、感情のままにリュカとバルドの二人に、非難の言葉をぶつけてしまった。
(……やってしまった)
そう思いながら、また悪い癖が出たと後悔しても、どうにもならない。バルドは、いつものこととして気にしていないかもしれないけれど、リュカを責めるような言い方をしてしまったことが、どうしても胸に引っかかっていた。
どう謝るべきか分からず、失態を演じ続けていることに一人で落ち込み、反省していると、リュカの方から夕食の席で話を振ってくれると言ってくれた。その瞬間、さっきまでの後悔を忘れたかのように、私は何度も強く念押しをしてしまった。
自身の行動が褒められたものではないのは分かっていても、憧れの人に、少しでも良く思われたい。その気持ちだけは、どうしても止められなかった。
(本当に……大丈夫でしょうか……)
屋敷に戻ってから、少しは冷静になれはしたけれど、それでも期待と不安が入り混じる。そして、結局、謝れなかったことへの後悔までぶり返してくる。布団に入っても、胸の奥がざわついたままで、なかなか眠れそうになかった。
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