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憧れ(コンラット視点)


私には、六つ年の離れた兄が一人いる。


兄は学院から帰って来ると、屋敷から出ることすら叶わない私のもとへ来て、その日の出来事をよく話して聞かせてくれた。


教室で起きた些細な騒動や、訓練場での失敗談。時には、友人と交わした他愛もない会話をして、まるで私を外の世界へ連れ出すように、言葉で景色を描いてくれた。でも、その話題の中で、頻繁に名前が挙がっていた人物がいた。オルフェ・レグリウスという名の、銀髪赤眼の貴族の子息だった。


「今日もさ、あの人が」


そう切り出されるたび、本から視線を上げ、兄の話に耳を傾けていた。本でしか外の世界を知らない私にとって、兄の語る学院の話は、どれも物語の一節のように感じられたけれど、オルフェ・レグリウスという名前だけは違った。


剣の腕前や魔力の才覚、誰にも媚びない。どこか孤高の気配を帯びたその姿は、私の中で、いつしか“実在の人物”ではなく、“物語の英雄”のようなものへと姿を変えていた。だからこそ、オルフェ様や、その父親であるアルノルド様に憧れを抱くまで、そう時間はかからなかった。


「今年も、魔術と剣術双方の大会でオルフェ様が優勝されて、凄かったぞ!!」


毎年、夏になると兄は学院で開かれる大会の話をしてくれた。屋敷から出られないことを、不満に思ったことはほとんどないけれど、この時ばかりは違った。実際に外に出て、その勇姿をこの目で見られないことが、どうしようもなくもどかしい。そんな想いを口にすれば、隣からは期待に満ちた声が上がった。


「何だ!? コンラットも剣術に興味出たのか!? なら、一緒に手合わせしねぇ!?」


その日も、私はいつものように屋敷の庭で、バルドと過ごしていた。だが、私の言葉の“肝心な部分”を、いつも通り聞き逃しているらしいその提案に、思わずため息が漏れそうになる。


「……私の話を聞いていたんですか。大会を観戦したいとは言いましたが、剣術をやりたいとは言っていません」


それは出会った頃からずっと変わらず、今さら言っても仕方がないと思っていれば、向こうは少しがっかりしたように眉を下げる。


「……なんだ。でも、俺の親父も凄いって言ってたぞ。そいつの父親も、かなり強いらしい……」


「“強いだけ”ではありません!」


自分でも驚くほど大きな声が出た。すると、バルドが何か失敗した時のような顔をするけれど、私は構わず言葉を重ねる。


「アルノルド様は、歴代最年少で宰相になられたうえ、陛下と共に不正を正し、改革や外交政策を実現させた方なんです!!武だけではなく、国を導く“力”を持った、本当に凄いお方なんですよ!!」


「お、おぅ……」


圧に押されたように、バルドは困った顔でうなずくだけだった。その様子を見て、私ははっと我に返る。


(……またやってしまった)


熱が入り出すと、自分が“正しい”と思ったことを、そのまま相手にぶつけてしまう。頭では悪癖だと分かっているのに、いざとなると、どうしても歯止めが利かない。


私とは正反対の性格で、身分すら違う。正直に言えば、私のどこがいいのか、自分でもよく分からない。昔からバルドは裏表がなく、遠慮というものを知らない性格だが、私は兄と違って、楽しい話ができるわけでもなく、本を読んで理屈を並べることしか出来ない。それでも、こうして私の傍にいてくれるのは、きっと、彼が私の面倒なところまで含めて、受け入れてくれているからだと思う。


そんなバルドと出会ったのは、私が三歳になった頃だった。


その日、私はいつものように、庭の見える部屋で本を読んでいた。文字を追い、世界に没頭していると、不意に窓ガラスを叩く音がした。


コン、コン。


聞こえてきた音に、反射的に顔を上げた瞬間、視界に飛び込んできたのは、窓にへばりつくようにして、中を覗き込む一人の少年の顔だった。


「うわぁぁっ!!」


不審者が侵入してきたのだと思い込んだ私の口からは、思考より先に、悲鳴が口から飛び出した。その声を聞き、家の者たちが一斉に駆け付け、事情を聞く間もなく”街の子供が侵入した」と判断され、そのまま衛兵に引き渡されそうになった。だけど、必死にそう訴える少年の言葉で、状況は一変した。


「となりの屋敷から来たんだ!」


すぐに確認が取られ、彼がグラディウス家の三男。侯爵家の子息であると分かった瞬間、両親の顔が目に見えて凍り付いた。グラディウス家といえば、歴史に名を残す騎士を幾人も輩出してきた名門の侯爵家だ。その一方、私の家は伯爵家とはいえ、あくまで末端に過ぎない。もし、あのまま衛兵に突き出していたら、そう考えただけで、背筋がひやりとしたものを感じたようだ。


後日、先方から正式な謝罪はあったものの、その出来事をきっかけに、バルドは私の屋敷へ頻繁に顔を出すようになった。最初のうちは、当然のように注意もされていたらしい。だが、効果がなかったのか、あるいは、相手方も諦めたのか。ある日。


「どうか、これからも仲良くしてやってほしい」


そう頭を下げられてしまえば、私の両親としても、断ることなど出来るはずもない。そして、今に至るのだが、そんな昔のことを思い出していると、現実に引き戻す声が庭に響いた。


「そういえば、今年で卒業なんだよな?」


「……そうですね」


「卒業する前に、一度でいいから大会を見に行きたいから、今年は許可が出るといいな」


私も、心から同意したかったが、何の許可もなく屋敷を抜け出すことなど、出来るはずがない。しかし、屋敷を勝手に抜け出すほどの行動力があるバルドは、その強引さで大会の観戦許可も得ていたらしい。そして、私の同行も願い出てくれたようだ。だが、その話を聞いた両親は、酷く困ったように顔を見合わせた。


その表情を見た瞬間、私はこれ以上困らせたくないという思いが先に立ち、「行きたい」という言葉を、それ以上続けることが出来なかった。結局、その想いを喉の奥へ押し込み、その年は、バルドの誘いを断った。すると、「コンラットが行かないなら、俺も行かない」と、あれほど行きたがっていたバルドが笑みを浮かべながら言った。


私が行きたがっていることを知っているからこそ、自分だけが行くのは悪いと思ったのだろう。けれど、その気遣いは、彼の自由を、私の都合で縛ってしまっているようにも感じられて、嬉しさよりも先に、胸の奥が、ちくりと痛んだ。


そんなこともあり、今年は“最後”ということもあって、普段なら引くところでも引かず、どうしても許可をもらうつもりで意気込んでいた。けれど、私の儀式が終わった後、拍子抜けするほどあっさりと、外出の許可が下りた。


疑問も一瞬よぎったが、それよりも、胸の奥から込み上げる喜びの方がずっと大きく、その日ばかりは、私の方からバルドの屋敷へと向かった。すると、私以上に、バルドは喜んでくれた。これで、最後の年だけは、大会でその姿をこの目で見られるかもしれない。そう思ってからというもの、日々の生活の中でも、心が自然と浮き立つようになった。だが、それにつられるように、勉強の時間も増えていく。


私にとっては苦ではなかったが、バルドにとっては、そうではなかったらしい。たびたび私の屋敷へ逃げ込んでは、

すぐに使用人に見つかり、連れ戻されていく。その背中を見送りながら、私は少し呆れつつも、なんともバルドらしい、と苦笑していた。


「親父達の機嫌を損ねないよう、一週間も嫌な勉強を頑張ったんだ!今日は思いっきり楽しむぞ!!」


勉強を疎かにするのならば、大会を観戦に行くことを許可しない。そう言い渡されていたらしく、途中からは珍しく真面目に取り組んでいたようだ。だが、その反動なのか、溜め込んでいた鬱憤を一気に吐き出すかのような勢いだった。


「それで、どんな外見なんだ?」


「私も実際に見たことはありませんが……珍しい銀髪らしいので、出て来れば、すぐに分かると思います」


兄から聞いた話だけを頼りに、私は特徴を伝えた。けれど、そんな説明など必要ないほどの“気配”があった。そして、会場に現れたオルフェ様は、話に聞いていた通りの美しい銀髪だった。風に揺れるその髪は、私にはまるで光を纏っているように見えた。


表情は遠くて判別できないけれど、ただそこに立っているだけで、周囲の空気を一変させるだけの存在感があった。憧れの人物が目の前にいるという事実だけで、胸の奥がじんわりと熱を帯びていく。


剣術大会が始まると、動きはあまりにも速く、私の目では追いきれなかった。だが、隣で息を呑み、声を上げているバルドの様子から、どれほど凄まじい攻防が繰り広げられているのかは、嫌というほど伝わってきた。そして、続く魔術大会。誰よりも強く存在感を放つその姿に、私は、ただ息をすることすら忘れて見入っていた。


火と水が織り成す魔法は、繊細でありながら、圧倒的な威力を伴って放たれ、相手の攻撃は、触れる前に霧散していく。気づけば、オルフェ様は無傷のまま、勝利を掴み取っていた。その瞬間、私の中で、“物語”だったはずの存在が、確かに“現実”へと変わった。


憧れの人に、少しでも近づきたい。その日から、私は意識的に勉強時間を増やし、努力を重ねるようになった。やがて、入学の時期が近づいた頃、父から何気ない調子で告げられた。


「オルフェ様の弟君が、お前と同じ学年で入学されるそうだ」


その一言だけで、胸の奥がざわついた。オルフェ様の弟なら、きっと優秀に違いない。そんな相手に、私が勝てるはずがない。そう思いながらも、それでも、少しでも近づきたくて、私はさらに机に向かった。しかし、結果は次席。首席には届かなかったが、悔いはなかった。


「首席が辞退されたため、次席である君に、代表挨拶をお願いしたい」


自分なりに、やれるだけのことはやった後で満足していただけに、学院からそう告げられた瞬間、胸の奥で別の感情が湧き上がった。


「何故、次席の私が代表挨拶なのですか!?」


思わず、声が荒らげていた。首席が辞退したからという理屈では理解できる。それでも、どこかで、憧れの人から“情けをかけられた”ように感じてしまった。同情で与えられた席など、欲しくない。だが、それを突き返すだけの勇気も、私にはなかった。胸の奥にくすぶるものを抱えたまま、私は結局、代表挨拶の場に立った。でも、言葉を口にしながらも、どこか自分の声が、他人事のように遠く聞こえていた。


だからこそ納得出来ず、その理由を確かめようと、私は教室で待っていた。だが、やって来たのは、開始時刻ぎりぎりで、しかも朝から揉め事を起こしていた問題児と連れ立って現れた。時間にルーズで、問題児と楽しげに行動を共にする姿は、私が勝手に抱いているとはいえ、“理想像”を無遠慮に踏みにじる光景のように見えた。そう感じてしまった瞬間、胸の奥に溜め込んでいたものが限界を迎え、一時限目が終わるや否や、私はリュカに詰め寄ってしまったのだ。


「はぁ……」


「素直に謝ればいいだけだろ?」


「それは、そうですが……」


学院に確認を取った結果、すべてが私の早合点だったと分かり、私はすっかり項垂れていた。そんな私の隣を歩きながら、バルドは容赦なく“正論”を投げてくる。


「そもそもさ、コンラットが勝手に理想像を押し付けて、本人をちゃんと見ようとしてなかったのが原因だろ?俺には、二人とも悪い奴には見えなかったぞ」


痛いところを的確に突かれ、ぐうの音も出ない。それでも、社交的なバルドと違い、私は家族以外とまともに話す機会がほとんどない。だからこそ、どうやって謝ればいいのかすら、分からなかった。


「……許して、もらえますかね……」


不安が、そのまま言葉になって零れ落ちると、任せろとばかりに声を上げる。


「よし! じゃあ俺が本人たちに、今も怒ってるか聞いて来てやるよ!」


「結構です!自分一人で謝りますから、余計なことはしないで下さい!!」


思わず、語気が強くなった。素直になれない自分が嫌になるのに、つい意地を張ってしまう。けれど、内心では、一人で行くのが怖いと思っている自分もいた。結局のところ、私はまた、バルドの世話になるのだろう。

お読み下さりありがとうございます

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