お腹がすいて
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目が覚めて、ぼんやりと部屋の時計に目をやると、もうすぐ日付が変わるところだった。こんな時間に起きることがなかった僕は、どうして突然目が覚めたんだろうと不思議に思っていると、胸のあたりがきゅう、と縮むように鳴った。その小さな震えに近い音で、自分のお腹の音なのだと気づく。
(きっと、みんな寝てるよね……)
何時もより少ない量だったから、変な時間にお腹が空いてしまったけれど、こんな夜更けに起こしてご飯まで用意させるなんて、想像するだけで申し訳なくなってくる。だから、そのままベッドに横になり、やり過ごそうとしてみたけれど、腹の虫は遠慮という言葉を知らないらしく、主張だけはしっかり続けてくる。
その後も、何度か寝返りを打って気を紛らわせようとするけれど、それをすればするほど、逆に目が冴えてきてしまって眠れない。
「あー! もう!!」
このまま朝まで我慢するなんて、絶対に無理だと思った僕は、枕に顔を埋めて呻いたあと、観念してベッドから起き上がり、足音を忍ばせるようにして廊下に通じる扉をそっと開けた。すると、ひんやりとした夜気が、すっと肌を撫でる。
扉の外は、壁に灯るランプがぽつぽつと揺れているだけで、昼間とはまるで別世界のように静まり返り、人の気配が全くない。普段ならぐっすり眠っていて、この時間に部屋を出ることなんてないから、同じ廊下なのに、夜というだけで見慣れた景色がよそよそしく、知らない場所に迷い込んだような錯覚すら覚える。
(……こわい)
胸の奥で小さな不安が芽を出すのを感じたけど、腹の虫は容赦なく鳴き続けている。僕は少し唾を飲み込み、足をすべらせるようにそっと廊下へ踏み出した。
「だ、大丈夫!厨房にちょっとお菓子を取りに行くだけだから!」
声を出していないと前に進めない気がした僕は、誰もいない廊下で、一人きゅっと拳を握りしめながら、自分を励ますように小さく声を上げる。
「だ、誰も……いないよね……? 急に……出てこないでね……?」
言葉にすると、余計に想像してしまって怖くはあるけど、黙って歩くことのほうがもっと怖かった。そのせいで、普段ならすぐ着くはずの厨房までの距離が、妙に長く感じられる。
「うー……寒い……。なんか一枚、上に着てくればよかったかな……」
冬の夜の空気は、日中とは比べものにならないほど冷え込んでおり、そこへ恐怖心が重なって、薄着の身体に染みる冷たさはさらに強くなって思わず肩がすくむ。
途中で戻ろうかとも思ったけれど、そう思った時には部屋からけっこう歩いてきていた。そのため、ここに来て引き返すなら、このまま行ったほうが早いと判断した僕は、僕は逃げるように足を早めて厨房へと向かった。
ようやく厨房に辿り着いた僕は、そっとドアノブを回して押すと、控えめな音と共に扉が開く。隙間から中を覗き込み、明かりが落とされ人の気配がない。そのことに安堵しながらも、どこか残念に思いながら、主張し続けている空腹を満たすため、僕は急いでお菓子がありそうな場所を探し始めた。
「前は、この辺にあったと思ったんだけどな……?」
以前こっそり見つけた場所を探してみるものの、どこにもお菓子が見当たらない。手が届く他の戸棚の奥を覗いても、金属の調理器具が冷たく光っているだけで、お菓子らしい影はどこにもなかった。その後も何かないかと、しばらくゴソゴソ漁ってみたものの、やっぱりお菓子は一つも見つからない。
「……はぁ。仕方ない、帰ろ――」
諦めの息をついて振り返った時、後ろにあった調理台のテーブルに、小さな木箱がぽつんと置かれているのが目に入った。
「……え? こんなの…さっきあったっけ…?」
ここに入ってきた時には気づかなかったし、周囲を見渡しても誰の姿も見えない。でも、木箱は月明かりの差し込む位置に置かれていて、まるで“ここにある”と言わんばかりに存在を主張していた。
妙な違和感に首を傾げつつ、恐る恐る蓋を開けると、ふわり、と甘い香りが広がり、箱の中にはクッキーがぎっしり詰まっていた。
「わぁ〜!」
誰が置いたのかなんて、今の僕にはどうでもよくなるほど、箱の中のクッキーはどれも美味しそうだった。疑問はそこそこに押しやって、僕は思わず一枚をつまみ上げ、そのまま口に放り込む。
さくり、と軽い音がして、次の瞬間、甘さがふわっと口の中に広がった。
「……おいしい……!」
空腹のせいか、いつもよりずっと美味しく感じるせいで、二枚目、三枚目と、手が勝手に動いてしまう。甘さと幸福感に包まれながら、僕は夢中で木箱に手を伸ばしていた。
「あっ!!」
ふと我に返って箱の中を覗き込むと、クッキーが半分近くまで減っていることに気づいた。
「ど、どうしょう……」
以前、昼食前にクッキーのつまみ食いをして、ドミニクに厳しく叱られた記憶がよみがり、一気に後悔が押し寄せる。
(絶対また怒られる……!)
慌てて残りのクッキーを均等に並べ直し、何事もなかったように蓋を閉めると、木箱をそっと元の場所へ残したまま、廊下に顔を出して左右を確認する。
(……誰もいない)
そう分かった瞬間、足音を忍ばせる余裕なんてなく、ただ全速力で部屋まで走って帰った。
走ったせいなのか、満腹のおかげなのかは分からないけれど、行きに感じたあの寒さはもうなく、ほんのり暖かくすら感じた。部屋にたどり着いてベッドに潜り込んでも、その暖かさがじんわりと身体を包み込んでいて、満腹感もあっという間に眠りへ落ちていった。
だから、夜中にこっそりつまみ食いしたことは、翌朝にはすっかり忘れてしまっていた。
「リュカ、おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
朝、食堂に入ると、父様はいつもと変わらない柔らかな表情で僕を迎えてくれた。
「おはようございます。昨日はちゃんと眠れました!」
父様へと挨拶を返しながら自分の席に座ると、ほどなくして朝食が運ばれてきた。
「昨日は夕飯を食べなかったでしょう? きっとお腹が空いていると思って、量を少し多めにしてもらったのよ」
母様の言葉に、僕は運ばれてきた料理を見つめれば、確かに普段よりは多い。だけど、食べきれないほどではないし、大丈夫だと思って箸を取り始めた。でも、最初は普通に食べていたのに、途中から急にお腹の奥が重くなり、箸の動きもゆっくりになる。
そのことを不思議に思いながら首を傾げている時、昨日の記憶がじわりとよみがえる。思わず声が漏れそうになり、慌てて言葉を飲み込みながら、自分の迂闊さに気づいた瞬間、変な汗がにじむ気がした。
「どうしたの?」
「お腹が空いてないなら、無理して食べなくていいんだよ」
母様と父様が、心配と呆れを半分ずつ混ぜたような笑みで僕を見つめてくる。
「そ、そんなことないよ! お腹、空いてるよ!」
慌てて否定しながら視線を皿に戻すと、さっきまで多いと思いながら食べ進めていた朝食が、気づけばほとんどなくなっていた。どうやら無意識のうちに、かなりの量を食べ進めていたらしい。
(よかった……これなら夜中にクッキーを食べたって、ばれない……はず……!)
ほっとして顔を上げると、両親がそろって小さく笑っていた。
「……?」
不思議に思っていると、ふいに横から視線を感じてそちらを見ると、横に座っていた兄様と目が合った。兄様は一瞬だけ、何とも言えない疲れたようなため息をついくと、何も言わず黙って立ち上がり、そのまま食堂を出ていってしまった。
何が起きたか分からず、ぽかんとする僕をよそに、父様と母様はどこかくすりと笑って兄様の背を見送っている。
「どうしたの?」
僕が尋ねると、母様は微笑を浮かべたまま言った。
「オルフェも、アルに似て不器用ってことよ」
「??」
意味が分からず首を傾げている横で、父様は照れ隠しでもするように、母様から目を逸らしていた。
とりあえず、朝食を無事に取り終えた僕は、両親に別れを告げて食堂を後にしようと扉を開けた時、そこには、見覚えのありすぎる木箱を腕に抱えたドミニクが、にこりとも無表情ともつかない微妙な笑みを浮かべて立っていた。
「…………あっ」
僕は固まりながら声を漏らせば、ドミニクは静かに木箱を掲げ、言葉少なに事実を告げた。
「……おはようございます、リュカ様。……夜中に厨房へ行かれましたね?」
何時から気付いていたのか、背後で、両親が「やっぱりね」と言わんばかりに肩を震わせている気配がする。そして、その日のうちに、僕にはしっかりと「お菓子禁止令」が言い渡されたのだった……。
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