第9話 前進、後退
二人の顔は真剣そのものだった。
すべてを話し終えたとき、二人の方が悲しそうな顔をしていて、コノハ自身は何も、感じていないようだった。
「そうか……。そんなことがあったんだね」
「魔法にはまだ未発見のものがある。誰かが見つけたかもしれない新しい魔法は、公開されなければ未知のものよ。だから、決して仲間の命を諦めないで……」
よそ見をしていた女はどこに行ったのか……。
マリアはコノハの話に聞き入り、そして励ましの言葉までかけてくれた。
「助けてくれたのが、お二人で本当に良かったです。ありがとうございます」
コノハは二人に笑顔をむけた。
それは保護されてからから二人にはじめてみせた、コノハの笑顔だった。
そしてマリアとアルベルトの心を撃ち抜く。
何も二人は恋に落ちたわけではない。
その笑顔には二人への感謝とともに、この世界への諦めと絶望が含まれていた。
それまでの二人の生活とは無縁の世界で生き、悲惨な運命を受け入れて、そうして笑うコノハを見て、どうしようもない切なさを感じたのだ。
「とても、言い難いんだけど……。役所がいくつかの質問をしたいから、明日に君を連れてくるように言われてるんだ」
「……はい」
「50名もの村人が行方不明になって、君だけが一人無事保護された。君のとこの領主が、君を、その……疑っているみたいなんだ」
要するに僕は今、50人もの人を殺した容疑がかかっているわけか……。
コノハはもう、驚く気にもなれなかった。
あの領主のことだから、やりかねない。
きっとコノハたちに魔獣討伐を依頼したことすらもみ消すつもりだろう。
そして50名もの人がいなくなった村で、確保出来た食料と資源を独り占めするつもりなんだ。
もう、どうでもよかった。
処刑されるなら、さっさと……。
殺して欲しかった。
「私は、あなたの話を信じる。だから、あなたが罰を受け、本当の罪を犯した領主がのうのうと幸せな生活をしているなんて未来は、永遠にやってこない!そんな未来、絶対におかしい!」
マリアがテーブルに両手をついて、大きな音を立てた。
先ほど置いたスプーンが、寝返りをうって、こちらを向いた。
「……」
悔しかった。
領主のことは許せない。
でも、もうコノハには生きる気力がない。
出会ったばかりの二人に、こんなにも支えてもらえて、信じてもらえて、それは今まで生きてきた中で、体験したことのないものだった。
コノハとユルを見ると、すぐに顔色を変えて冷たい目で見る街の人とは違った。
だけど……。
「明日の出頭かま済めばもう、僕がここにいる必要はありません。僕は自力で戻れないので、お二人の力を貸していただければ嬉しいです。僕を家に、帰してください」
彼が故郷に帰ったその先は、誰にだって想像出来た。
唯一、キメラ討伐から生き残ったコノハは自分でその命を終わらせようとしているのだ。
痛々しい笑が、力のない声が、見守る二人から判断力を奪った。
何も選べなかった。
そこにかけるべき言葉はなかった。
長く重い沈黙。
アルベルトは語られた悲劇を聞いて、どうしていいのかも分からずテーブルの上で組んだ手をただじっと見つめていた。
静かに、ただ笑顔は絶やさずに。
マリアは、動くこともなくじっとコノハを見つめ続けていた。
彼女にとって、彼の人生は未知の世界そのものだったから、なおさらショックが隠せなかった。
「お嬢。ひとまず君のところで今夜、彼を泊めてもらえるよう交渉してくれないか?彼はひどく……疲れているようだし」
「えぇ、私も同感よ。このまま彼を放置しておくべきではないと思う」
重い空気を切り裂き、二人は立ち上がった。
腰掛けたままのコノハは、立ち上がった二人を見上げて、改めて思ったのだ。
とても親切な二人だけど、やっぱり自分とは住む世界が違うのだと。
その凛とした佇まいには、コノハに到底ありそうもない威厳があった。悲しそうな表情をし、コノハの話を聞いていた二人はあと形もなく、コノハのように後ろを向くことなくただじっと前を見つめていた。
テーブルの上ではゆげをあげていたスープが、すっかり冷たくなってしまっていた。
✕✕✕✕✕✕
手を繋いでいるというよりは、手を掴まれたという方が近い。
マリアは力の入っていないコノハの手を引いて、夕日が沈みかけた街を歩いていた。
着いてきて、といった数分前、周りのものに気を取られていたコノハは歩きもせずただ呆然と街を眺めていた。
そこにはたくさんのものがあった。
見たこともないような容姿の人もいたし、見たことないものも売られていた。
隣にユルとアランさえいれば、その光景はきっととてつもなく、素晴らしかったはずなのに……。
オレンジの光を浴びていたものたちが、空の色に合わせて次第に見えなくなっていく。
なくなっていく。
「コノハ!」
肩を捕まれ、大声で名前を呼ばれ、コノハは自分が歩くように指示されていたことを思い出した。
あっという間にはぐれていた。
それで今離れて歩くことを諦めた彼女は、コノハの手を引いて歩いている。
子どもじゃない。
まして、自分と同じ歳の男の子だ。
マリアだって、多少は緊張する。
しかしそんなマリアをよそに、コノハは顔を上げることもなく、ただ引かれるがままに、歩き慣れない舗装された道を進んでいた。
永遠に続く、レンガで整えられたコノハの村にはなかった道。
それはコノハが今までとは別の世界にやってきたことの象徴だった。
ユルもアランもいない世界に足を踏み入れた証。
『果たして今の僕に生きる意味はあるのだろうか』
白い文字がレンガの上で踊っている。
魔法の干渉を受けたせいなのか、はたまたまだ魔法をかけられているのか、コノハの目には自分の気持ちが文字となり、視界に飛び込んでくる。
『僕が決断を誤ったから』
心から黒い感情が溢れ出して、資格情報として再びコノハの体の中へと戻っていく。
気持ち悪い。
言われなくても、分かっているのに……。
コノハは空いているほうの手で、自分の胸を叩く。
そこに心があるのなら、もういっそ壊れてしまえばいいと思いながら、強く、叩く。
『僕がユルとアランを殺した』
「着いたわよ」
鈴の音に似た声が耳元で囁いて、コノハはようやく顔を上げた。
胸を叩いていたはずの手は、いつの間にか彼女の手に包まれ、美しい赤色の瞳がコノハを覗き込んでいた。
出会ったばかりのコノハを罵った彼女が、今は心配そうにコノハを見ている。
「あ……、すみません」
「大丈夫なら、いいのよ。入りましょう。遅くなってしまったから、きっと待っているわ」
そこは白を基調とした少し大きな家だった。
柱には太く立派な、木が使われており、見ただけでただの家ではないことが分かった。
『Sana's bread』
「パン屋さん、ですか?」
「そうだけど、ここはそれだけじゃないの」
そう言って彼女は再びコノハの手を引いた。
細い指がコノハの指に絡まる。
この小さな手に守られているのかと思うと、自分の情けなさが心に重くのしかかる。
「ただいま」
ドアを開け、暖かな空気がコノハたちを迎え入れてくれる。
鼻腔をくすぐるパンの香ばしい匂い。
大きくはない店内に所狭しと並べられた数々のパンが、黄金に輝いている。
「あぁ、おかえり。帰ったか」
マリアの言葉に対し、奥の椅子に腰掛けていた女性が立ち上がり、優しいほほ笑みとともにそう返した。
まるでいつもそうしているかのようなやり取りだ。
女性にしては少し大きめの体。コノハの2倍くらいはありそうな肩幅に、腕には質のいい筋肉がついている。
その体には似合わない、フワフワとした緑色ワンピースを身にまとっている。
接客用なのか、フリルのついた白いエプロンは面白いほど似合っていなかった。
「その細い少年は?客か?」
「その……単刀直入だけど、うちで面倒を見るって言ったら怒る?」
コノハの手を握る彼女の力が、ぐっと強まった。
まるで母親におもちゃをせがむ子どものようだ。
「ほう……」
口元に手をやり、そのがたいのいい女性がコノハをマジマジと見る。
舐めまわすように……。
「あ、あの……」
「石なしか、少年」
「へ?……あ、あの」
「魔法が使えないなら少しくらいいても構わない。ただし少しの間だ。なんてったってここは男子禁制だからな」
手を繋いだ彼女の手から力が抜けて安堵のため息が聞こえた。




