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水の魔物  作者: たかまち ゆう
第一章 水の魔物
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1-6. エルフューレ

「……そう。いつの間にか、もうそんなに時間が経っていたの……」

 その様子があまりに切なげだったので、ウエインは何とかして励ましたくなったが、モニムは続けて小さく、

「――嘘つき」

 そう、呟いた。

「いや、本当だよ!」

 ウエインは思わず強い声で言い返してしまった。

 モニムはきょとんとする。

「ああ……、違うの。あなたに言ったんじゃないわ。あなたのお父さんよ。『水』を渡すときに、あの人は言ってくれたの。子供が無事に生まれたら、必ずここへ戻ってきてくれるって。それで、わたしとずっと一緒にいてくれるって――」

「まさか」

 ウエインは言下に否定した。

「父さんがそんなことを言うはずはないよ。だって父さんには母さんがいるんだから」

「でも、言ってくれたもの。本当よ。それなのに……。嘘つき! 大嫌い!」

 モニムは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 ウエインには信じられないが、モニムに嘘をついている様子はない。だとしたら、父は本当にそんな約束をしたのだろうか?

 戸惑うウエインの前で、モニムは悄然と項垂れた。

「……嘘。嫌いなんて嘘。だってわたし、本当はわかってた。あの人は来てくれないって。だって、奥さんのことを話すとき、あの人の()は愛情に満ち溢れていたもの。ああ、すごく大切に思ってるんだなって、わかった。わたしもこの人に、こんな瞳で見つめてもらえたら、どんなにいいかって」

「モニム……」

 慰めの言葉が見つからないウエインに、モニムはぎこちない笑顔を向けた。

「……あの人は元気?」

「いや、父さんは、……死んだよ。妹が生まれる、少し前に」

「……え?」

 モニムの目が、限界まで見開かれていく。

「……亡くなった…の……?」

 ふら、とモニムがよろけた。

 危ない、と思ってウエインは咄嗟に手を伸ばす。

 だがそのウエインの手を、モニムは寸前で払った。一瞬前の危うさが嘘のように、足を踏みしめてしっかり立っている。

「……あの、大丈…夫?」

「モニムのコトなら、ワタシが居るから大丈夫だ。触るナ」

 他ならぬモニムが、そう答える。だがその声も目つきも、先程までと別人のものに思えるほど尖っていた。

 話している内容も、意味が分からない。

「……モニム?」

「ワタシはモニムではナイ。エルフューレという。コノ泉の水だ、と言えバ分かるか?」

「え……」

 ウエインは、モニムの顔をまじまじと見つめた。

 よく見れば、モニムの瞳は今、瞳孔が開き切っている。

 そして、藍色の虹彩に囲まれた、本来は黒く見えるはずのその領域に、奇妙な虹色の揺らめきがあった。

「……みず……?」

「ニンゲンどもは、『奇跡の泉』とか呼んで有難がったり、『水の魔物』ナドと言って恐れたりしてイるらしいナ」

 モニムは――いや、モニムの姿をしてエルフューレと名乗った存在は、フンと鼻で笑った。

「だが、ソレは元々同じものダ。ココに居ても、離れてイても、全て同じワタシ。エルフューレ。……エル、と呼んでホシイ」

 そのたどたどしい喋り方に、ウエインは覚えがあった。だがその言葉がモニムの口から出てくるという状況には、違和感を拭えない。

「モニムの身体の中にも、ワタシは居る。今、ワタシはモニムの身体を借りて話してイる」

 ウエインの心中を察したように、エルフューレは言った。

「身体を、借りる?」

「ワタシは喋るコトができナイから」

「そうか。おまえ、そんなことまでできるのか……。――え!? じゃあ、もしかして俺のこともそんな風に操れたりするのか!?」

 ウエインは思わず身を引く。

「やろうと思えばナ」

 エルフューレはこともなげに言った。

 怖いような気がしたが、今更『水』を吐き出そうとしても無理なのは分かっていたので、ウエインは早々に諦めることにした。

 「やろうと思えば」と言うということは、つまり実際にやる気はないのだろう、と自分に言い聞かせる。

 気持ちを切り替えて、ウエインは黙ったまま足下を見てみた。

 泉の水面に、特におかしなところはない。普通の水に見える。

 ウエインは、試しにしゃがんで手を泉に差し入れてみた。手には水の感触。これも、特に変なところはなかった。

 だがその手を泉から出すと、『水』はするすると手を離れていき、手には一滴の水も残らなかった。服も濡れていない。ただ水面に、わずかに波紋が広がった。

「……不思議だ」

 呟いて、今度は両手で『水』を(すく)ってみる。

 すると今度は普通の水と同じように掬うことができた。しかしそのまま一滴も零れないのは、水としてはおかしいのかもしれないと思う。

「何をしてイるんだ?」

 エルフューレが不思議そうに訊いてきた。同時に、掬った水がもぞもぞと動いて人型をとり、くっつけた両掌の上でその小さな首を傾げる。……このサイズだと、なんだか妙に可愛かった。

「いや、ちょっと実験をね」

「……?」

 手の上の人型は、今度は反対側に首を傾けた。

「おまえがどんな性質を持っているのか、調べようと思ってさ」

 分からない様子のエルフューレに、ウエインは少し丁寧に説明した。

「そんなコト、ワタシに直接訊けばイイだろう」

 エルフューレは呆れたように言う。

 と同時に、ウエインの掌の上に乗っていた人型がぱしゃんと音を立てて形を崩し、掌から零れて『泉』に戻っていった。

「訊いたら素直に答えてくれるのか?」

「嘘は言わナイ」

「……なんか、怪しいなあ……」

「ナゼだ?」

 エルフューレは、理解できないというように首を傾げた。

「……そんなコトより、オマエはワタシに用があったのダロウ?」

「ああ、そうだった。、もうすぐここへ、王都から討伐隊が来るらしいんだ。おまえを退治するために」

「……ソレで?」

「それでって……。だから逃げた方がいいぞって、言いに来たんだ、俺は」

「逃げなくとも、ワタシは負けはシない」

 きっぱりと言い切った後、エルフューレはふっと目を伏せた。

「ただ……、モニムを危険に晒したくナイとは思う」

「…………」

 表情から険が消えると、元がモニムの顔だけに、儚げな印象になる。髪と同じ色をした長い睫毛を見ながら、やっぱり綺麗だなぁ、などとウエインは暢気(のんき)に思った。

 その睫毛が持ち上がり、エルフューレはまっすぐにこちらを見つめてきた。

「だから、コノ場所を離れて安全に暮らせる場所を、一緒に探してホシい」

 率直にそう頼まれて、ウエインはすぐ頷きそうになった。そうしなかったのは、父の死の真相が心に引っかかっていたからだった。それについて訊きたかったが、その前にエルフューレが言葉を継いだ。

「条件は、モニムがニンゲンに見つからナイ場所だというコト。モニムは命を狙われてイル。守りきる自信はアるが、ソレでもデキるだけ面倒はナイほうがイイから」

「え?」

(「モニムが」命を狙われている、と言ったか?)

 どちらかといえば狙われているのは『水の魔物』であるエルフューレの方なのではないか、とウエインは思った。

 モニムの容姿は目立つが、彼女を見ただけでエルフューレと関係があるとは分からないから、大丈夫だろうと思うのだが……。

 だが、エルフューレは重々しく言った。

「初めて会った時、モニムは体中傷だらけで、死にカけてイた。ワタシがイなければ、本当に死んでイただろう。今でも、ヤツラはモニムの命を狙ってイる」

「やつら、って……?」

「モニムの仲間を皆殺しにシたヤツラだ。モニムはイリケ族という一族の人間だが、ヤツラはイリケ族を一人残らず殺そうとシてイるんだ」

「はあ……」

 皆殺しとは穏やかでない。

 よく分からないが、とにかくモニムも命を狙われているらしい。そう考えたウエインは、あることに気付いた。

「あ、じゃあもしかして、おまえが泉に近づく人を片っ端から追い払ってたのって、モニムのためなのか? モニムが命を狙われてるから?」

「そうダ」

「……そっか」

 ウエインはふっと微笑んだ。

 エルフューレは、モニムを大切に思っている。そして、命を狙われている彼女のことを、守りたいと思っているらしい。

 そういうことなら、協力してもいいかと思った。

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