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水の魔物  作者: たかまち ゆう
第一章 水の魔物

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1-4. 夢

 気付けばウエインは、森の中に一人で佇んでいた。

 微かに音がする。

 規則正しく、遠くから徐々に近づいてくる。

 普段ではありえない鋭敏さで、ウエインはそれが人間の足音であると聴き分けていた。

 木の葉や草が擦れる音、二本足で土を踏みしめる音……、それらから、近づいてくるのが他の動物ではなくヒトだと分かるのだった。

 それは耳で聞いているというより、音、すなわち空気の振動が体表面に届くのを全身で感じているような、慣れない感覚だった。

(――ニンゲン)

 するり、と、誰かの感情が入り込んできた。

(行かせてはならナイ。ニンゲンは、モニムを傷つけル)

 それは怒りか、嫌悪か。

 ウエインには、その感情が自分のものではなく、『水の魔物』のものだということが自然と飲み込めた。「モニム」というのが泉に住む女性の名前であるということも、今の彼は自明のこととして「知って」いた。

 どうやら自分は夢を見ているらしい、とウエインは思う。

 そして夢の中の自分は、自分ではなく『水の魔物』になりきっているようだった。足音を感じる慣れない感覚も、『水の魔物』のものだと考えると納得がいった。

(――来た)

 足音が、近づいてきた。

(排除スル)

 当たり前のように浮かぶそんな考えにウエインは抵抗を感じたが、夢の中の情景はそんなことにはお構いなしに進んでいく。

 足音が近づき、ついにその主が姿を現した。

「――父さん!?」

 ウエインはそう叫びたい気持ちになった。『水の魔物』になりきっている身体は、そんなウエインの意識には反応しないのだが。

 そう。歩いてきた人物は、腰に剣を差したウエインの父だったのだ。

 ウエインは、自分が置かれている状況が一瞬分からなくなった。

(どうして父さんがここに? ここはあの世なのか? 俺は死んだんだろうか? いや、じゃなくて、やっぱり夢か。夢なら、父さんが出てきてもおかしくないもんな)

「……お前が噂に聞く、泉を守る魔物か?」

 父の声で、ウエインはハッと我に返った。

「私には病気の妻がいる。妻と子供のために、『奇跡の泉』の『水』を少々貰い受けたい」

(違う。父さんのこの言葉……。これは、父さんが泉へ『水』を取りに行った時の……)

 もしかしたら、これは単なる夢ではなく、『水の魔物』の記憶の中の出来事なのではないか、という気がした。

 ウエインが無意識のうちに想像していたことが夢として表れているとも考えられたが、それにしては、色も音もあまりに鮮明だった。

「村の者は、お前を倒さなければ泉へは行けないと言っていた」

 父は、鞘に納まったままの腰の剣に左手を当てながら言った。

「私はそのために、再びこの剣を手に取った……」

(駄目だ、父さん、そんなことをしちゃ……)

 ウエインはそう言いたくなった。だがやはり、身体はその思いに反応しない。

 ……と。

 父は何故か剣を鞘ごと腰から引き抜き、脇の(くさむら)に放り投げた。

「……だが、それはやはり、間違っていると私は思う」

(――え?)

 それは、記憶の中の『水の魔物』と今のウエイン、どちらの思いだったか。

 父は真っ直ぐにこちらを見つめている。

「私には、お前の領分を侵すつもりはない。ただほんの少し、『水』を分けてほしいだけだ。できる限りの礼はする」

(……本当、カ?)

 『水の魔物』はしばらく迷い、それからおもむろに右腕を持ち上げた。そして、その腕が父へ向けて伸びていく。

 『水の魔物』の感覚と同調しているウエインは、自分の右腕全体が前に向かって引っ張られ、引き伸ばされていく感覚を味わうことになった。長さが伸びるほど、腕が細くなっていくのを感じる。

 『水の魔物』は、腕の先をそのまま父の口の中に突っ込んだ。

(う……!?)

 混乱と恐怖が、右腕から伝わってくる。

 それが父の感情であるとウエインは「理解して」いた。どうやら『水の魔物』は、相手の体に入り込むことによって、その感情を読み取るらしい。

 父と『水の魔物』、そして自分の思考が混ざり合って、ウエインは気が遠くなった。

(……ダルシア……!)

 その時父が思い浮かべたのは、大きくなったお腹を押さえてぐったりと横たわる、今より随分若い母の姿だった。

 そこで意識が途切れた。


 次に気付いた時、ウエインは違う場所に立っていた。

 少し先で森の木々が途切れ、一部分だけ視界が開けている。そして、そこの地面に水が湧いているのが見えた。

(――ここが、『奇跡の泉』?)

 だとしたら、想像していたとおり……いや、想像というより、夢で何度も見たことがあるのと同じ場所のようだった。

 ごくごく小さな泉だ。

 だが、

(うわ……)

 泉を囲む多くの動物たちを見て、ウエインはひどく驚いた。

 草食動物に交じって、肉食の大型の動物までもがおとなしく水を飲んでいる。

 隣の動物に襲いかかろうとすることもなければ、逆に怯えて逃げ出すものもいない。

 それは幻想的な光景だった。

(鳥もあんなに……。あ、あの()は……!)

 泉の真ん中に、女性の後ろ姿があった。

 青みがかった銀色の長い髪を背中に流し、水の中に(たたず)んでいる。ふくらはぎのあたりまでを水面の下に隠したその姿は、まるで自分もその水の一部であるかのようだった。

 多くの小鳥を肩や腕に止まらせたその後ろ姿に、ウエインは近づいていく。

 美しい髪が、その一本一本まではっきりと見えるようになってきた。

 こちらの気配に気付いたかのように、女性が振り返った。銀の髪が、さらりと流れる。

 そして彼女は、弾けるような笑顔を浮かべた。


     *


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