18.美獣と薔薇の花嫁
静かになった食堂で、リリアディアはヴァーミリオンを見る。
「…【番】が嫉妬しそうなほど、貴方に傾倒してるのね?」
先の青年のことを、言ったつもりだった。
けれど、ヴァーミリオンは目を瞬かせただけで、言葉を発さない。
だから、リリアディアは不安になった。
「…変なこと言った?」
「…配下に下るのはほとんどが、【番】と死別した者たちだ」
ヴァーミリオンは、少しためらったようだが、そう口にした。
リリアディアは、ヴァーミリオンの口にしたことと、以前にリリアディアが聞かされていたことの矛盾に、すぐに気づく。
「…あれ? 【番】が死んだら死ぬんじゃないの?」
「【番】が死ぬと、心が病んで衰弱する。 徐々に死の足音が近づく。 彼らは、死が訪れる前に、【番】に代わる存在を見つけられた、幸運な者たちだ」
ヴァーミリオンの発言を、リリアディアは頭の中で整理する。
本来、【番】を失えば命が尽きる。
それは、心が病んで衰弱するからであり、【番】と同等かそれ以上に心の拠り所となる存在を、命が尽きる前に見つけられれば、死なずに済むということか。
ということは、今度はその主人の死が、配下の死に繋がるということなのだろうか。
リリアディアの疑問に対する答えは、すぐに与えられた。
「【番】に求めていた安寧を、主君に仕えることで満たす。 それは、主君であったり、主君の一族であったりする」
その辺のことは、このゲシテヒ・ライヒの主従関係にも似ているのだな、と思う。
王個人に仕える従者もいれば、王族に仕える従者もいる。
ヴァーミリオンが言いたいのは、その配下が個人的な主に仕えているか、主の一族に仕えているかでも寿命は異なるということだったのだろう。
「【番】との関係性と似てはいるが、一方通行だという点で報われない。 だから私は配下を持たない」
これまた意外なヴァーミリオンの発言に、リリアディアは混乱する。
「さっきの彼は、ヴァーミリオンの配下じゃないの?」
その問いに答えたのは、ヴァーミリオンではなくティルディスだった。
「主は認めていませんが、彼らが勝手に主を主と認めて信奉し、自主的に配下を名乗っているだけです。 ただ、主はそういうものも必要ならば利用するので」
「ティルディス、人聞きが悪い」
「失礼。 事実を述べただけなのですが」
若干顰め面のヴァーミリオンに対し、ティルディスは相変わらずの笑顔だ。
そして、リリアディアはその主従の様子に、リリアディアが感じていた二人の関係を言い表す単語を見つけた気がした。
「…だからティルディスは、執事で従者なのね」
「と、申しますと?」
ティルディスの表情は、急に何を言い出すのだ、と言っているようにも見えた。
「【家族】の関係性に似てる」
少なくとも、リリアディアには、そのように見えた。
配下を持たない、ヴァーミリオンが、執事であり、従者と呼ぶ存在。
それは、きっと、配下ではなく、ヴァーミリオンにとっては家族のようなものなのだ。
だって、ヴァーミリオンに配下はいないのだから。
その考えは、もしかするとティルディスにはなかったのかもしれない。
驚いたような表情で、リリアディアに目をくぎ付けにしていたティルディスが、さっとヴァーミリオンに向き直って近づき、跪いた。
嫌な予感だ。
こんなティルディスの様子は、以前にも目にしたことがある。
「…主。 一刻も早く花嫁様と婚姻して、花嫁様も【家族】にしていただきたい。 あと一人二人早めに家族が増えたら、私はもう何も望みません」
「そうだな。 まずはリリアディアの家に挨拶に行くか」
ティルディスの懇願に、ヴァーミリオンは神妙な顔で頷いている。
「どうしてそうなるのっ?」
展開が早すぎないか!?
リリアディアが思わず声を上げれば、二対の目がきょとんとしてリリアディアを見た。
「私の【番】のしるしを再度受け入れてくれたのに?」
「私も花嫁様が主の【番】であることをお認めになっていたと思いましたが…」
どうしてだめなのだ、と主従が困惑顔で首をひねっている。
「わたし、ヴァーミリオンの【番】になることは認めたけど、結婚するとは言ってない」
最後のあがきではあるが、これがリリアディアの砦だ。
「…その違いは一体どこにある?」
ますますヴァーミリオンは困惑顔になったヴァーミリオンが聞いてくるから、リリアディアは屁理屈ともとれる理屈を披露する。
「わたしが今一番嫌なのは、ヴァーミリオンがわたしと離れて衰弱死することだから、衰弱死しないように【番】でいるけど、結婚はしない。」
正直リリアディアは、ヴァーミリオンの呪いが解けなくても、問題ないのでは? と思っている。
だって、もふもふでつやつやさらさらな美獣姿は、とてもとても素敵だし、ヴァーミリオンにかかった呪いは、ヴァーミリオンの寿命を左右するようなものではない。
ついでに言うのであれば、特に日常生活に支障があるとも思えない。
むしろ、異階における【番】というシステムの方が、呪いよりも質が悪いと思っている。
リリアディアの発言を受けたヴァーミリオンは額を押さえて、はぁ、と溜息をついた。
「リリアディアは、私が他の女と結婚しても、子を作っても、何とも思わないのか?」
「そ、れは」
リリアディアは、言葉に詰まった。
ここで、即答できない自分が悪いし、その質問を放ったヴァーミリオンも悪い。
ティルディスは、意外そうに口にした。
「…おや? 実は意外と脈があったんですか?」
ヴァーミリオンも、ここは攻めどころ落としどころだ、と思ったらしい。
常の彼らしからぬ質問を投げてきた。
「…リリアディア、私が嫌いか?」
「…嫌いじゃ、ない」
「では、好きか?」
更に畳みかけられて、リリアディアは口を引き結んだ。
言ったら、負ける気がする。
何に負けるかはわからない。 けれど、言ったら逃がしてもらえないのはわかる。
無言を貫くことが肯定と同じ意味だと、人慣れしていないリリアディアは知らない。
瞳が、口よりも雄弁だということを、他者の目を見つめることを避けてきたリリアディアは知らない。
ヴァーミリオンが、リリアディアの目に、何を見たのかも。
「…なんだ、こんなにも簡単なことだったのか」
ヴァーミリオンは、その美しすぎる顔に、とろけて崩れてしまいそうな笑みを浮かべた。
何が簡単なことだったのか。
そう、問う前に、ヴァーミリオンの手がサッと伸びて、リリアディアの腕を掴んだ。
次の瞬間には、リリアディアはヴァーミリオンの腕の中に抱き閉じ込められていて、狼狽する。
「ちょ、ヴァーミリオン!」
声を上げはするものの、どうしていいのかわからない。
ヴァーミリオンの腕の中で固まるリリアディアの頭上で、心底困った、というような声が揺れた。
ヴァーミリオンだ。
「…この殺人的に可愛い生き物は何だ? 人間に捕食衝動が湧いたのなんて初めてなんだが」
「非常によい兆候です。 そのまま花嫁様の父君のところにご挨拶に行きましょう」
とんとんと話を進めようとする主従に、リリアディアは青くなった。
こんな人外の美貌の青年を連れて行ったら父は顔をでれでれにして喜ぶだろうけれど、ナンシーとアンは魂を抜かれてしまうかもしれない。
いや、それ以前に、挨拶に行くとしたら昼間だろう。
ナンシーは動物アレルギーなのだ。 美獣と面会など、させられるわけがない!!
「待って! 待って!」
リリアディアが声を上げてヴァーミリオンの腕の中でもがけば、ヴァーミリオンはリリアディアを拘束する腕を緩めてくれた。
今照れないなんて、本当にどうなっているのだ、ヴァーミリオン。
きょとんとした顔で見下ろしてくるヴァーミリオンに、リリアディアは神妙な顔を向ける。
「救えないことを言ってもいい?」
「救えないこと?」
そう、そして、これが何よりも問題だ。
「わたしね、ビジュアル的には美獣な貴方のほうが好きなの。」
リリアディアが言うと、ヴァーミリオンもティルディスも一瞬固まったようだった。
だが、すぐに我に返ったらしいヴァーミリオンは、ふい、と顔を背ける。
「聞きたくない。」
完全に臍を曲げたのはわかるが、リリアディアにだって譲れないところはあるのだ。
「だからね、美獣な貴方が見られなくなるのは非常に勿体ないと思うの。 だから、ヴァーミリオンの【番】にはなれても、夫婦にはなりたくないの」
必死にリリアディアが訴えているというのに、拗ねたらしいヴァーミリオンはリリアディアを解放した上で顔を背けて、耳を塞いで聞こえないふりを貫いている。
子どもじみた抵抗をしてくれるものである。
リリアディアが呆れながらも、どうしたものか、と思っていると、ティルディスが笑顔で話しかけてきた。
「大丈夫ですよ、花嫁様。 貴女と主の間に生まれた子どもも美獣でしょうから」
それは、末代までの呪いなのだから、リリアディアとヴァーミリオンの子どもが呪いを受けているのは確実だ。
けれど、慰めにならないし、リリアディアは、美獣なヴァーミリオンが好きなのだ。
「とにかく! 美獣な旦那様をこの世から消し去ってしまうような結婚をする気はありません!」
そう、声高にリリアディアは宣言した。
まさか、ヴァーミリオンがその一年後、獣人化の魔術を成立させ、「これならいつでもリリアディアの好きな私になれる」とリリアディアにプロポーズをしてくるとは思わずに。
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そして二人は結婚し、――色々とありましたが――結局は幸せに暮らしました。
『美獣と薔薇の花嫁』完結です。
本作を書き終えるに当たりまして、まずは、【人×人外ラブ企画】を企画してくださいましたあかし瑞穂様に感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。
そして、最後までお付き合いくださいました皆様、本当にありがとうございました。
初めてのなろう様での連載…。
どうして美獣はあんなに純情乙女な草食系になってしまったのか…。
ムーン様の『煌の世界』シリーズや『レイナール夫人の華麗なる転身』をご存知の方からすれば、「おいおいおいwww」って感じで草が生えてしまうことでしょう。
最後までキスひとつしなかった(できなかった)ヴァーミリオンにびっくりです。
リリアディアは素直ではなくて不器用なヒロインでした。
言葉は悪くてはねっかえりでもありますが、心根は優しく人情に厚い子でした。
本当はいい子なんですよ、あの子。
なんだかんだでいい雰囲気のヴァーミリオンとリリアディアは、甘々ではないかもしれないですが、温かく堅実な家庭を築いていくのだと思います。
何となく予想はつくかと思いますが、力関係はリリアディアが上です。ヴァーミリオンは尻に敷かれつつも、尻に敷かれている自覚はなさそうです。
『美獣と薔薇の花嫁』に触れてくださった全ての方に、感謝を込めて。
2017.2.7 環名