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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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24/24

月次の、二度目

 二月目の月次報告は、二枚になった。


 一枚目は、いつもの家計。

 食費は、下がったまま、落ち着いた。冬着の繕いは、終わった。屋敷のあちこちで、繕い直した冬着の色が、目に入るようになった。

 雨漏りの修繕は、東側が済んで、職人さんの手間賃は——一度だけ、払った。

 一度だけ、の三文字を書くために、ヴィムさんの門の控えと、職人の受け取りと、家政帳と、三枚を揃えた。当たり前のことを当たり前に書くのに、三枚要る家なのだ、ここは。まだ。


 二枚目は、給金の凍結の伺いだった。


『東の別邸詰め三名分の給金につき、勤務の実態を確認できないため、当月より支払いを留め置き、「別邸維持費・精査中」の科目に移すことを、お伺い申し上げます』


 名前は、書かない。咎めも、書かない。

 ただ、確認できないものへの支払いを、確認できるまで、止める。

 家政として、それ以上でも以下でもない、一行。


 けれど、この一行が、何をするかは、わかっていた。


 二十年、誰にも触られなかった流れが、初めて、堰き止められる。

 毎月七日に別邸へ運ばれていた木箱が、来月から、空になる。

 鼠の巣への道に、初めて、石が置かれる。



 執務室で、旦那様は、二枚目を、三度、読まれた。


「……これを通せば、クラムは、動くぞ」


「はい。動いていただくのが、狙いでございます」


「————」


「止まっている鼠は、尻尾が見えません。動いた鼠は、見えます。それに、旦那様。仮に、わたくしどもの考えがすべて思い過ごしで、別邸に本当にお三方がお住まいでしたら——お給金が止まれば、ご本人たちが、怒って出ていらっしゃいますわ。それは、それで、結構なこと」


「……出てこなければ?」


「八年間、お給金を受け取っていた方々が、止まった月に限って、誰も何も言わない。それ自体が、何よりの、お返事になりますでしょう」


 旦那様は、ペンを取って、二枚目の隅に、署名なさった。

 ペン先の音が、ひとつ。

 静かな部屋で聞くその音は、開戦の音に、よく似ていた。


 当主の署名。

 これで、凍結は、わたくしの「差し出口」ではなく、ヴェッセル家の「決定」になった。


「クラムには、私から伝える」


「いいえ、旦那様。それは、わたくしから」


「……なぜ」


「これは、家政の手続きですもの。家政から出た伺いを、家政の者が伝える。それが、いつもの形ですわ。いつもの形を、崩しませんこと。——それに」


 わたくしは、少しだけ、笑ってしまった。


「あの方の、まばたきの数を、数えてまいりますの」


「————留意しろ。あれは、二十年、この家の台所も寝所も知っている男だ」


「はい。ですから、廊下の広いところで、お渡しいたしますわ」


 ご心配の形が、また一つ、増えた。

 帳面の、付けられない側の頁が、また一行、増えた。



 事務室で、ベルトルトさんは、書面を、受け取った。


 読む間、わたくしは、数えていた。


 まばたき、なし。

 指の止まり、なし。

 お辞儀の角度、完璧。


「……承知、つかまつりました。維持費の精査、ご立派なお心がけと存じます」


 完璧すぎた。

 一枚目の書面のときには、指が、止まった方なのに。

 今日は、何も、揺れなかった。


 揺れない、ということは、読む前から、知っていたということだ。

 わたくしどもの動きは、思っていたより、早く、あちらに届いている。

 この屋敷の、どこかの口から。

 誰の口かを考えるのは、今夜の仕事ではない。考え始めると、屋敷中の顔が疑わしくなる。疑いは、帳簿と違って、付ければ付けるほど、合わなくなるものだから。


「精査がお済みになるまで、別邸の三名には、わたくしから、ようく、言い聞かせておきましょう」


「お願いいたしますわ。——ああ、それから、クラムさん」


「はい」


「来月の七日は、木箱、お軽くなりますわね。お腰に、ようございました」


 ベルトルトさんの目が、すう、と細くなった。

 笑顔のまま。


「……奥様は、本当に。本当に、よく、ご覧になる」


「家政係ですもの」


「マルガレーテ様も——」


 と、あの方は、言った。


 言ってから、初めて、しまった、という顔をなさった。

 一瞬だけ。すぐに、笑顔が、戻った。


「……いえ。昔の、似たお方を、思い出しただけでございます。お下がりくださいませ。精査の支度が、ございますので」


 廊下に出て、わたくしは、立ち止まった。


 マルガレーテ様、と仰った。

 わたくしは、この方に、祖母の名を、申し上げたことがない。

 グレーテさんから聞いた? あり得る。屋敷の噂は、速い。台所の涙の話は、もう屋敷を一回りしているだろう。


 けれど——「様」と、仰った。

 噂で聞いただけの名前に、人は「様」を付けない。

 二十年この家にいる方が、三十年前に辞めた侍女頭を、いまも「様」で呼ぶ。

 その呼び方には、噂ではない、手触りがあった。


 お知り合い、でしたのね。

 どこで。いつ。

 あなたがこの家に来る前——あなたが、まだ、王都の商家の手代だった頃に?


『六十日目。凍結、署名済み。木箱、来月より軽し。祖母の名、あちらの口から』


 二月目が、終わる。

 帳簿の上の数字は、また一つ、合った。

 帳簿の外の謎は、また一つ、増えた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 これにて第二章、おしまいでございます。


 管財人どのは、お祖母様を、ご存知のようです。

 次話「第三の、口座」より、第三章でございます。


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