契約更新
「郁弥、今日も遅いのか?」
「あー……残業になるかも」
「わかった、じゃあ飯は各自で」
「了解」
夕食の確認をするが冷蔵庫を開けてため息をつく。
夕食どころか朝食もない、空っぽだ。
俺も郁弥も買い物に行ってないのだから当然だ。
仕方ない、コーヒーだけ淹れるか。
マグカップを二つ用意する俺に、
「悪い、俺、もう出るわ」
と郁弥が声をかけて家を出る。
左手のマグカップが行き場を無くした。
いつからこうなった?
一つのマグカップにコーヒーを淹れながら自分に問う。
郁弥とは大学のゼミが一緒で仲良くなった。
話が合うし、波長も合う。
郁弥といると居心地が良くて互いの部屋に入り浸るようになり、
「こんなに仲良いなら一緒に住もうぜ」
と郁弥が言い出した時、俺はゲイだと打ち明けた。
郁弥は、
「それだと俺と渉のなにかが変わるのか?」
と聞いた。
俺は、
「お前との関係が変わる」
と言ったら、
「友達から恋人になるのか? いいな、それ」
と郁弥は笑った。
俺たちの関係が変わった。
恋人になって卒業と同時に同棲を始めた。
あれから8年経った。
このところ、俺と郁弥の間には隙間風が吹いているような感覚がある。
距離がある。
郁弥の残業が多くなった。
残業が少ない職場だと自慢げに言っていたのに、いつも帰りが遅い。
週末一緒に行っていた買い物も行かなくなった。
それでも一人で買い物に行って郁弥の好きなものを作って待ってたりしてたけど、一緒に住んでるのに一人で食べる虚しさに耐えきれなくなり作るのをやめてしまった。
30になり、結婚式の招待状が届くたびに郁弥は遠い目をする。
ある時、子どもができて結婚するという友人からの招待状に郁弥は、
「いいな、子どもか……」
と小さく呟いた。
俺が最も恐れていた言葉だった。
ノンケの郁弥を縛り付けるべきではないとわかっているのに離れられなかった。
でも実際こうして二人の間に溝が出来始めているのがはっきりわかり、もう終わりにした方がいいと思う気持ちと、離れ難い気持ちで揺れ動いている。
なによりも郁弥が俺に触れなくなった。
この事実からは逃れられない。
どこかにゲイという負い目があるのか、触れてこない郁弥に俺も触れられなくなっていた。
もう違う人がいるのかもしれないな……
二人でいる意味ってなんなんだ……
出張で留守にする時、以前は寂しくて堪らなかったのに、ちょっとだけホッとしてしまうこの気持ちはなんだ。
一人でいるより二人でいて寂しい方が堪え難い。
部屋の更新ももうすぐだし、今回は更新しないで同棲を解消しよう。
俺は郁弥にそう言おうと決めた。
「郁弥、今週末時間取れないか?」
「ん? ああ、俺も話あるから」
「……わかった」
「ん」
金曜日の帰りにスーパーで食材をたくさん買った。
最後に郁弥の好きなハンバーグを作ろう。
「飛び切り大きいのがいい!」
と欲張る郁弥がかわいかった。
チーズとトマトを乗せたハンバーグを嬉しそうに頬張る郁弥が好きだった。
土曜日の朝、早めに仕込んでおこうとハンバーグの下ごしらえをしていると郁弥が起きてきた。
「ハンバーグ?」
「そう」
「渉のハンバーグ美味いんだよな、夜食えるの?」
「昼でもいいけど」
「夜にしようよ」
「わかったよ」
二人で洗濯を干し、部屋の掃除をする。
そこで俺は気づいた。
郁弥の物が減っていることに。
気持ちだけではなく、物理的にも整理していたなんて気づきたくなかった。
あっという間に夜になる。
「早く焼いてよ」
とワクワクしてる郁弥に作り笑いで応える。
これで最後だろう。
テーブルに並べると、
「いただきますっ!」
と勢いよく食べ始める。
「うめえ! マジで美味い!」
俺のハンバーグを喜んでくれる郁弥はもういなくなる。
そう思うと食事が喉を通らない。
決めたはずなのに怖くなる。
「食わねえの? チーズ固くなるぞ」
「……郁弥、話がある」
「なに?」
「俺たち同棲解消しよう」
「解消? 引っ越しじゃなくて?」
「引っ越し?」
「え? 渉なに言ってんの?」
「いや、こっちのセリフ、引っ越しってなに?」
話が噛み合わない。
「渉、お前俺の話聞いてなかったのか?」
「郁弥の話?」
「引っ越しの話だよ」
「だからそれなに?」
はあああ……
郁弥が盛大にため息をつく。
「やっぱり聞いてねえ。お前このところ変だったもんな」
「言ってることがわかんない」
「今回更新すると家賃がかなり高くなるから、だったらもっと広いところに引っ越そうって言っただろ?」
「え?」
「そこから聞いてねえのかよ」
郁弥が呆れた顔をする。
「友達に不動産屋がいて、そいつにいくつか当たってもらってるから、帰り遅くなることが増えるよって言っただろ?」
「聞いてない」
「言ったよ! 渉が俺の話聞いてないだけだろ?」
「だって残業って……」
「残業みたいなもんだろ?」
「でも、いつもだし、買い物も行かないし……」
「あーそれはごめん。渉に甘えてた」
「物も少なくなってるし……」
「引っ越す時、荷物少ない方がいいし」
「でも、でも! 結婚式の招待状見て『子どもいいな』って……」
「子どもはかわいいじゃん、それくらいは言わせてくれよ」
「でも! ……俺に触れないじゃん!」
悔しくて悲しくて寂しくて涙が出る。
「それはっ!」
郁弥が口籠る。
「……ほら、俺に触れたくないんだろ?」
「違う」
「なにが違うんだよ」
「違うんだって……」
涙が止まらない俺に郁弥が話し出す。
「笑わないで聞いてくれる?」
「……なに?」
「新しい部屋に引っ越したら新鮮じゃん? なんか新婚みたいじゃん?
俺、すごい盛り上がりたくてさ、引っ越すまで渉としないでいたら、さぞかし二人で盛り上がるんじゃないかと思って……」
「……だから触れなかったの?」
「だって、そう言ったらどうせ笑うんだろ?」
ふっ
「ほら! 笑うじゃん! めっちゃ恥ずかしい」
郁弥が真っ赤になってもごもごしてる。
「バカなの?」
「バカで悪かったな!」
ふっ
涙が出る。
「不安にさせてたなんて思わなかったんだ……
俺、渉と盛り上がりたかっただけで……」
ふっ
「部屋は見つかった?」
「そう! いい部屋があるんだ、ちょっと見て!」
郁弥はスマホで写真をたくさん見せてくれる。
「ここどうかな? 渉、気に入ると思うんだ。明日見に行く?」
「うん、行きたい」
「明日内見できるか確認取るな」
「うん」
「渉、俺、早く決めたいんだ」
「ん?」
「……限界なんです」
ふはっ!
「なんでそんなに我慢するんだよ」
「盛り上がりたいの!」
「あはは!」
「……お願い、早く決めよう……」
「うん」
郁弥が俺の手を取る。
「渉のこと大好きなの伝わってる?」
「言ってくれなきゃわからないし、不安になる」
「渉が好きだよ、渉は? 俺のこと好き?」
「……うん、郁弥が好き」
郁弥が俺にキスする。
「我慢するんじゃないの?」
「キスだけ……ダメ?」
「早く部屋決めよう」
「渉も限界?」
「我慢してみる?」
「めっちゃ盛り上がるぞ」
「いいな」
ふっ
ふはっ!
良かった、渉、やっと笑ってくれた。
指輪、いつ渡そうかな。
これは俺からのサプライズ、ずっと一緒にいたいってわかってて欲しいから内緒で用意したんだ。
引っ越した日、部屋に入る時にしようかな。
喜んでくれるかな。
楽しみすぎる!




