第39話 「第8章 2:あれ勇者が弱いぞ」
「……えっと」
アデルはしばし言葉を失った。
なんで、この勇者はこんなにボロボロなのだろうか?
勇者を追撃してきたドガも、全身に傷を負って、ところどころ流血している。遅れて入ってきたニャルガも、頭から血を流している。
激しい音を立てて、せっかく修理した壁を吹き飛ばしてフランが青い龍ハイゼンとともに広間へと飛び込んできた。
「魔王殿、ご無事かっ!」
「魔王ちゃん、無事!?」
ニャルガとフランはすかさずアデルを庇うように、勇者との間に割り込んだ。
「くぅ……なかなかやるじゃないか」
そう言う勇者ガラハドだったが、どうにも様子がおかしい。
「なあ……勇者よ、お前弱くなった?」
「ははは、何を言う魔王。むしろちょっとだけ強くなったはずだ!」
ガラハドは、もはや防具としての体をなしていない兜を放り出し、少しだけ身軽になる。
「──!」
その顔を見て、ニャルガが硬直する。だが、他の者たちはそれに気付かない。
「勇者、弱い」
ドガは単身で入口側に立ち、アデルたちと勇者を挟み込む位置を維持し続ける。
「や、やるじゃないか……このオレをここまで追い詰めるとはな!」
「……ど、どういうことだ……」
アデルには、全く意味が分からなかった。
だが──
そんなことを考えるより先に、やるべきことだけは分かっていた。
アデルは腰に据えた剣を抜くと、えい、と気の抜けた声で勇者に突き立てた。
「ぐ、ぐぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
胸の中心に突き立てられた闇の色をした刃が、嬉しそうに吠えた気がした。その傷口から、光が粒子となってこぼれていく。
立っていられなくなったガラハドは、膝をついてしまう。
光が段々と失われていき、逆に闇の気配がガラハドを包み込んでいく。
「か、勝った……?」
とても釈然としない勝利であった。
勇者は呻きながら光をこぼし続け、闇に侵食されていく。
「う、うん……そうみたい」
呆然としながらフラン。
「そうですね、よく分かりませんが、アデルの勝ちですね……」
カナリアも、喜んでいいのかどうか戸惑っていた。
だが。
勇者から漏れる光が消えた瞬間、とてつもない気配が広間に広がった。
勇者から溢れる濃厚な闇の気配が、周囲に衝撃を撒き散らし、アデルが、カナリアが、フランが、ニャルガが、ドガが後方へと吹き飛んだ。
壁に叩きつけられ、なおも飛んでくる衝撃に、少しずつ壁にめり込んでいく。
「な、なんだなんだっ!?」
「がぁ……がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
広間の中心で勇者が猛り狂っていた。闇を振りまきながら、その闇に抗うように、ガラハドは叫び続ける。
それはしばらく続いた。
やがて、ガラハドが静けさを取り戻すと、振りまかれていた衝撃も収まり、アデルたちは壁から開放されて床に落ちる。
濃厚な闇の気配をまとう勇者が、広間の中心で静かに佇んでいた。
「……くっ、何が……何が起きた……」
「分かりません……ですが、ですが──」
「あれは、まさか……」
戦慄しながらも、それに心当たりのあるニャルガが叫びを上げた。
「詳しくは分からんが……あれは、かつての魔王と同質の力……」
ガラハドが動いた。
一瞬で間合いを詰めると、アデルの胸元を拳で貫いた。その拳が勢いをそのままに壁へとめり込む。壁に亀裂が走り、欠片を撒き散らす。
「がはぁっ!」
血を吐きながら、アデルは視界が赤く染まるのを見た。
「──アデルっ!?」
カナリアの悲鳴を聞きながら、アデルは暗くなっていく視界の向こうで勇者の顔を見た。
凄惨な、その顔を。
広間の中心に落下しながら、アデルは手足をついて四つん這いになりながら、すぐ動き出した。
生き返った直後から体が動くのは、闇の精霊がオマケでもしてくれたのだろうか。
アデルの視界の隅で、暴風のように暴れまわるガラハドがドガを壁に叩きつけるのを見た。
「アデルっ!」
アデルが復活したことに気付いたカナリアが、アデルへと抱きついてくる。相変わらず泣きじゃくっているカナリアを剥がしつつ、どうなっているのかと問いかけると、側にやってきたニャルガがそれに答えた。
「……魔王殿が生き返った、と言うことはアレはもはや勇者ではない、ということなのだろうな」
ドガは左腕を失っていた。その断面はちぎられたように肉が垂れ下がっていた。だがそれでも戦意は衰えていないようで、ガラハドへと向かい続ける。
「むしろ、闇の精霊の力のような気がする」
アデルは、それを確信していた。
「──闇の精霊!」
思わず口に出していた。脳内で声をかければいいものの、この事態にそんなことは頭から綺麗サッパリ消え飛んでいた。
アデルが叫ぶと、ほぼ間をおかず、目の前に闇の精霊が現れる。先だってお願いした、あの幼い少女の姿だった。それを見てアデルはすかさず抱きつこうとして、カナリアに後頭部を叩かれる。
「あれはもはや光の精霊の加護を持つ者ではない」
闇の精霊は、全てを把握しているように思えて、アデルはその先を促した。
「我がナビーリア・アルタロスに渡していた、我が力を、あの者が使っている。ナビーリア・アルタロスが、渡したのだろう」
それは、魔王が魔王としてあるために、闇の精霊から渡される力である。勇者ガラハドは、魔王としての力を振りかざしているということに他ならなかった。
「な、なんでそんなことを……いや、それは後でいい。その力を奪うことはできないのか?」
「それは出来ない。すでに試みたが、ナビーリア・アルタロスの細工が邪魔をしている」
「じゃあ、どうしたら……」
「我に頼らず、あの者を倒すより他ない。それからであれば、我が力を取り返すことが可能だ」
覚悟を決めたカナリアが、ニャルガが、フランが武器を構えた。
「アデルが死んでも生き返ることは分かりましたし」
「何とかするよりないのう」
「わかりやすくていいね」
そう一言置いて、三人がガラハドへ向けて走りだす。
「……さて、俺はどうするかな」
「アーデライト・アルタロス。そなたの封印を解こう。悩むことはあるまい」
「……まだ、いいかな。あとで怒られそうだし」
「そなたは魔王だ。その程度のことを気にする必要はあるまい」
「ま、ね。でもさ、弱い魔王だからこそ、きっとみんな居てくれるって気もするんだ」
アデルは黒い剣が抜き身のまま転がっているのを見つけると、それを拾い上げた。
「そなたが言うのであればこれ以上は言うまい。必要とあらば、すぐに言え」
「ありがとう。それよりは、添い寝してくれるほうが嬉しいや」
「それくらいの軽口を言えるのであれば、我はしばし観覧していよう」
アデルはポケットの中のミランダの宝物を握りしめて覚悟を決めると、剣を構えて走り出した。
戦いは一方的だった。
生まれ持った才能以上の力を得て、魔界のあらゆる氏族を従える魔王が振るう力である。
ガラハドは武器も持たず、ただ拳で物理的に殴りつけてくるだけではあったが、それでも強かった。
アデルは三度ばかり殺されて、その度に生き返った。
カナリアもニャルガもフランも、拳を打ち付けられては吹き飛ばされ、何度も壁にめり込んでオブジェとなった。
ドガだけが、持ち前の巨躯を生かして踏ん張り続け、ガラハドを押さえ込んでいた。
「くそっ。カナリア、闇の精霊に封印を解いてもらうが、いいな」
「……仕方、ありませんね……」
悩みに悩んで、カナリアは渋々とそれを了承した。
だが──その瞬間。
広間に大きく闇の炎が湧き上がり、一人の人物が姿を現した。
ナビーリア・アルタロスであった。




