第25話 「第5章 5:勇者との戦いに備えて」
カナリアが調べた範囲では、新たな勇者は既に魔界に入り込んでいることが確認された。
落とされた獣の氏族の集落の生き残りがその容姿を覚えており、それがアデルの見た青年と一致したことから、その男を勇者と断定して捜索を続けていた。
ニャルガはいったん集落へと戻ると言い残して帰ったらしい。アデルはなぜか気を失ってしまっていたため、いつの間にかいなくなってしまっていたことにショックを受けつつも、戻ってくるのを今か今かと楽しみにしていた。
「ミランダ……ああ、君のことを忘れたわけじゃないんだ。ただ、ちょっとだけ浮気心が芽生えてしまっただけなんだ……」
バルコニーで魔界の空を見つつ、アデルは一人地上にいる少女への謝罪を口にしていた。
ニャルガという好みドンピシャで目の前に現れた少女を見て、一瞬ミランダという少女の存在を忘れてしまったことを、アデルは嘆いていた。まさかミランダのことを忘れてしまったことが、自分で信じられなかった。
「全く、アデルは本当にお馬鹿ですね」
さも当然のように隣に立つカナリアが、グラスに水を継ぎながら呆れ返っていた。
「男はバカなんだよ。それくらい知ってるだろ」
「もちろん知っていますよ。生まれた時からずっと一緒にいますからね」
カナリアは自己主張を忘れなかった。
「アデルは知らないかと思いますが、ニャルガ様はもういい歳ですよ」
「女の子に歳なんて関係ないよ。重要なのは見た目さ」
「そんな言葉を聞かれたら、大半の女性を敵に回しますよ。主に私とか私とか」
「……カナリアは、それでも隣に居てくれるだろ?」
「全く、アデルはずるいですね。言われずとも、ずっと隣にいるに決まっているじゃないですか」
「でも手は出さないけどな」
「勇者を退治するまでは我慢しておきます」
「……」
少しだけ猶予をもらえたようだった。
「じゃあ、話もまとまったところで──」
「地上へは行かせませんよ」
アデルが何を言い出すのか分かっていたカナリアは、言い出す前にその言葉を封じた。
「今はそれどころではありません」
「……ちょっとだけ。ほんのちょっとだけだから」
「却下です」
「勇者として覚醒していて、その上で連れてくるということであれば話は聞きますが、そうではありませんよね」
「ま、まあな……」
「今は、足手まといを増やすわけには行きません。ただでさえ、アデルが足手まとい筆頭なんですから」
足手まといの筆頭は、その言葉に苦い顔をするでもなく、そうだよなあと呟いた。
アデルの落ち込んだ表情を見て、カナリアは仕方がないという顔をした。
「ニャルガ様が戻り次第、今後についての打ち合わせを行います。その後なら時間を作りますから、一度だけ地上へ行くことを黙認しますよ」
「ホントかカナリア! いやあ、さすがカナリアだ。俺をコントロールするのが上手いな」
「あまり嬉しくない褒められ方ですね」
そうは言うものの、カナリアがどことなく嬉しそうな顔をしたように見えたアデルであった。
「そういえば」
グラスを差し出しながら、カナリアが尋ねる。
「闇の精霊は今だに応答しませんか」
「しないんだなあ」
「そうですか」
カナリアにとってそれは念のための確認でしかなかったが、アデルは今になってそれが深刻な問題であるように思っていた。
「もう、妄想してなんかいませんよね?」
「……モチロンダトモ」
「アデル。それが原因である可能性があるんですよ。少しは自重してください」
アデルの言葉がまるっきりの嘘であることを見ぬいて、カナリアはそれを責める。
「わ、分かってはいるんだけど……」
「もし、これ以上妄想に登場させるのであれば、これからはずっと私が添い寝して、そんなことを考える余裕がないようにします。いいですね」
「ま、待ってくれ。分かったから。分かったからそれは止めてくれ」
「……アデル、私も女の子なんです。そう言われたら傷つきます」
「カナリアはそんな女じゃないし、女の子っていうか──」
アデルはその先を続けられなかった。アデルの脇腹に軽く突き立てられたナイフがチクチクと痛みを生み出してくる。
「いつまでも、私が我慢しているとは思わないことです」
それは死刑宣告にも思えた。
その時、大きな羽ばたきの音が聞こえ、青い龍ハイゼンと共にフランがバルコニーの向こうから姿を見せた。
「ああ、ここにいたのか。魔王ちゃん、ニャルガ様が戻ってきたよ」
「なに! よし、今すぐに行く!」
アデルは私室に向けて走り出した。
戻ってきたニャルガへ愛をささやき、アデルは食堂という名の会議室へ全員を集めた。
三倍弱の増員にホクホク顔のアデルであったが、「人数で言えば三人だけですけどね」というカナリアの冷静な指摘に、しょんぼりしてしまった。
「魔界の各地から集めた情報によれば、勇者はすでに幾つもの氏族との間で戦闘を行ったようですね」
「龍の氏族は迎撃に出てたらしくって、何人か落とされたってさ。向こうさんはほぼノーダメージらしい」
「鬼、襲撃、ない」
「獣の氏族は、先だって報告した以上の被害は出ていないようだ」
カナリアに続けて、フラン、ドガ、ニャルガが報告する。
「調べられた範囲ですが、攻撃を受けたのは、水、森、鉄、草、谷の五氏族ですね。夜や死、霧といった面倒な氏族はまだ交戦していないようです」
「ん~」
アデルは魔界の地図を見ながら腕を組んだ。その地図の上には、各氏族が襲撃を受けた点に小さいトマトが置かれている。そして勇者の進み方が分かるように、襲われた順番に沿ってカイワレで道が作られている。
「まっすぐに進んで襲っているってわけでもなさそうだな」
カイワレが交差しているポイントがあり、一直線に進んでいないことが明確だった。
「何が狙いなんだろうねー」
「ふむ。これではまるで、気分で歩き回っているようにすら見える」
フランが疑問を呈し、ニャルガがそれに感想を追加する。
「前に来た微妙な勇者っぽいのと違って、今回の勇者は単独のようで、捕捉が難しいですね」
勇者が如何に強いかは、魔界へ入り込む際の共の人数と反比例するのが通例であった。人数が少なければ少ないほど、勇者としての力が強い。今回の勇者のように単独で入り込まれると、魔王が討たれることが多かった。
先代の魔王を討ち滅ぼした勇者も単独であった。
それが、カナリアが大きく問題視している点だった。百人単位で攻めてくるような微妙な勇者ですら、アデルに相対させることは避けたい。アデルなら負けることが容易に想像がつくからだ。
それが、その何倍も強いことが想定される勇者であれば、推して知るべしというところだ。
「今の陣容で、その勇者と戦い、勝てる見込みはあるか?」
「……かなり厳しい戦いになるでしょうね」
カナリアは正直に答えることにした。
たとえ、龍の氏族、鬼の氏族、獣の氏族の三氏族が全力で食い止めるとしても、抑えきれないだろうというのが共通した見解であった。
先代の魔王は、全ての氏族が集結したのに討たれた──それが、皆の心の中に残っていた。
「ある程度の数を揃えられなければ、魔王殿が討たれて終わりであろう」
ニャルガは、カナリア以上に正直にハッキリと言い切った。
「そっかあ、やっぱりな」
「やっぱりじゃないですよ、アデル。勇者に討たれたら生き返れないんですよ」
「そりゃあそうだけど。でも、みんなは死んだらそれで終わりでしょ。条件が同じになるだけだよ」
「アデルを死なせたりなんかしません」
カナリアはきっぱりと断言した。
「でも、それで俺だけが生き残るのはイヤだから」
「分かっています。私はずっと一緒にいますから」
「魔王殿を守って討ち死に、というのも悪くない。どうせ老い先短い命だしの」
「ニャルガ! 死んだらダメだからな。まだ、イチャイチャしたりないのに!」
「足りないどころかしてもいないが……」
呆れ返りつつも、ニャルガの声にはどことなく嬉しそうな色が見えていた。それがカナリアには気に入らなかったりもするが、先代魔王にすら仕えた氏族の長である彼女は目上であるため、それを声高に非難することも出来なかった。
「とりあえず、他の氏族にも協力を求められないかな」
「そうだねー、どこかないかな?」
「夜とか死とか──」
「無理無理。アイツら言うこと聞かないって」
アデルの提案をすかさずフランが否定した。
「そうだの、その辺りは最後だろうな。先代の頃も最後まで抵抗したからのう。あれは激しい戦だったわ」
この場で唯一の、魔界統一戦争の参加者であるニャルガが思い出を語る。魔界の統一に時間がかかったのは、それら強大な氏族が先代に逆らい続けたからに他ならなかった。
「思い出話はさておき、すでに勇者から被害を受けた氏族であれば、話をする余地はありそうですね」
「いくつかの氏族とは既に交渉を進めてはいるが、やはり一筋縄ではいかなくてのう」
「感触的に、一番好意的な氏族はどこでしょう」
「水の氏族だの。あそこは獣の氏族とは友誼を深めておるからな。族長も長いこと一緒に戦った友であるしの」
「じゃあ、それでいいんじゃない?」
「よし、水の氏族と話をしよう」
アデルが話をそう結論づけた。
「すぐにでも行こう」
「却下です、アデル」
「……えっ」
「アデル、貴方は水中で呼吸出来ないでしょう」
「誰も出来ないと思うけど……」
「ワシは大丈夫だ。そもそもワシが行かねば話にならんだろうしの」
ニャルガが使者へと立候補した。
「私も参りましょう。フランはどこか適当に行っていてください。決して、アデルと二人っきりにならないように」
「……なんでだ?」
「なんでも、です」
フランは理由が分からなかったが、とりあえず行く場所を決めれくれれば話に行くと言い、草の氏族へと交渉に向かうことになった。交渉と言っても、事前にカナリアが親書を用意し、教えたとおりのことだけを話すというものであったが。
「そしてアデル。お留守番しつつ、私が戻ってくるまで、ずっと私の心配をしていてくださいね」
「大丈夫だろ。カナリアならそんなことする必要もないだろ」
「そんなことはありません。アデルが心配してくれないと、交渉が失敗に終わります」
「……はあ、分かったよ。カナリアの心配をしておくから、成功させてきてくれな」
「ふふ、もちろんですよ」
嬉しそうに微笑むカナリアを見て、ニャルガが羨ましそうな顔をしていたことに、アデルは気付かなかった。




