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第23話 「第5章 3:子供が欲しいと彼女は言った」

「あー……疲れたぁ……」


 ベッドに倒れこんで、アデルは力なく言葉を吐き漏らした。

 城に戻ってきてすぐ、カナリアがベッドメイクをするというので任せたまま待ち続け、ようやく倒れこむことが出来た。

 ベッドは、カナリアが整えたはずなのに少し生暖かさを残しつつ、人の形にへこんでいた。そんなことは、もう諦めている。

 鼻先に感じるほんのりとした甘い匂いも、口元にあたる部分のシーツがわずかに湿っていることも、織り込み済みだ。

 目を閉じると、そのまま眠ってしまいそうだった。

 先程まで、上機嫌なカナリアに連れて行かれるままに、アデルは黒騎士フィルディアの見舞いへと赴いていた。

 まだ腰の調子はよくないらしく、アデルが部屋を訪ねた時もベッドに寝込んでいた。アデルの姿を見るや慌てて起き上がろうとしたが、それでまた腰を痛めた。歳なんだから無茶をするなよ、とアデルは静養を薦めた。

 その後は、その妻のネージュを交えて食事を共にした。

 それで城へと戻ってきたわけだが、たったそれだけのことが、とても疲れを生み出していた。


「アーデライト様にわざわざお越しいただいて申し訳ない……」


 そう恐縮する黒騎士は、かつての威容を失った老人になっていた。

 魔王の剣と呼ばれ、魔王が振り向けばそこに剣の嵐を巻き起こす、魔界統一戦争では先陣を切る男だった。漆黒の鎧は畏怖の象徴であり、夜の氏族や死の氏族といった魔界きっての武闘派氏族ですら、その存在に一目置く男だった。

 先代の魔王より年下ではあったが、その当時ですでに死んでもおかしくない歳でなお壮健であったことも要因の一つであった。老いを待ちたくとも、いつとも知れぬその未来を待てる氏族はなく、魔界の統一という偉業は、この男がいたからこそ、とも言われていた。

 その男は結局、戦いの場を失ったことが老いを迎え入れることになった。

 アデルにとっては養父であり、実父よりも接した時間は長い。本当の父のように慕っている。ただ、魔王となったアデルに対しては常に臣下であろうとする生来の生真面目さが、アデルにとっては父であるより部下であると認識せざるを得ない状況を生んでいた。

 アデルにはそれがもどかしくもあったが、オクト・フィルディアという男は病床にあってなお、その態度を貫いた。


「アデル坊、魔王は大変かい?」


 その妻ネージュは、夫と違ってずっと子に接する親でいてくれた。生まれてからずっと育ててくれた、アデルにとっては育ての親であり、物心つくまでは本当の母親だと思うほどの存在であった。

 ネージュが本当の母ではないと知って大泣きしたアデルを、彼女はずっと抱きしめ続けてくれた。アデルにとっては、それでも彼女は母であった。

 カナリアが名付けたアデルという呼び名を、彼女もまた使っている。そう呼ぶことをカナリアは家族には認めていた。カナリアにとってその名を呼ぶには、愛が含まれていなくてはならず、そしてネージュはカナリアも認めるほどアデルに愛を持って接している。


「それで、カナリアは何時になったらアデル坊の子を産むんだろうね」  


 生きている間に取り上げさせとくれよ、とネージュは望んでいた。

 カナリアがアデルの子を望むのは、ある意味ではネージュの願いであった。いつしかそれは、カナリア自身の願いへとすり替わっていたりもしたが、どちらにせよ大きな問題ではなかった。望まれる結果自体は何も変わっていない。

 先代に百年以上の永い間仕え続けてきたネージュは、魔王の血統が途切れないことを望んでいた。闇の氏族という氏族の生き残りは、フィルディアの家の三人とアデルしかいない。この血族が魔王の後継である以上、彼女は氏族の繁栄を願っているとも言えた。

 そういったことに頓着しない先代の魔王を相手に、相当苦労したのだということは容易に想像できた。

 その苦労を回避しようと、娘に侍女としての技能を叩きこんでアデルの側に仕えるように状況を整えてきた。愛妾の一人として、アデルの側にいられるようにと。

 さらにネージュは、複数の女と複数の子をとアデルを焚きつけてくる。


「大丈夫です。闇の氏族は子どもがなかなか出来にくいだけですから。それは母さんも知っているでしょう」


 カナリアは、この時だけは味方だった。カナリアにとって重要なことはアデルの自らの意思である。ただ最近は力づくでなんとかしようという言動が見え始めてはいたが。それがアデルにとっては何とかしたいことだった。


「確かにね。アンタを生む時も、二十年はかかったからねぇ」


 闇の氏族が絶滅寸前なのは、ひとえに子の成し難さと勇者のみならず魔界の各氏族からも狙われるからでもある。どんどんとその数を減らした結果が、今の状況であった。


「聞いたよアデル坊。龍の氏族からも娘っ子を迎えたそうじゃないか。こりゃあ、アデル坊の子を取り上げる日も近そうだねぇ。カナリア、アンタ負けるんじゃないよ!」

「もちろんです」


 ネージュにアデルの性癖がバレたりしたら、きっとカナリアが妊娠するまで監禁されてしまうに違いなかった。魔王に仕えていただけあって、必要であると思えばどんなことでもやり遂げるだろう。困ったことに、ネージュはそんな胆力を持ち合わせている。

 だからアデルは、カナリアの言動の一つ一つに注意を払わなければならなかった。

 久しぶりのネージュの作る食事も、そのせいでどんな味だったか覚えていないし、そもそも味を感じたかも分からない。

 アデルはカナリアを愛している。ずっと側にいて欲しいと考えている。それは間違いのない事実だし、問われればそう答えることに躊躇いはない。ただそれは家族としての愛情であり、女性として見ると絶望的にストライクゾーンを外した大暴投である。

 成長というのは、とても悲しいことだった。

 カナリアにそれは言えても、ネージュには言えない。

 そんな心の奥底の冷えきった食事が、アデルにとっては辛かった。せっかくの久々の家族の団欒だったのに、疲労ばかりが蓄積された。 

 きっとカナリアは、今日がいい機会だと何がしかの言い訳を付けて部屋に来るに違いない。

 それを考えると、アデルはいっそう疲れが溜まっていく気がした。

 ……思い返してみれば、疲れただけならば幸運であったかもしれないと、アデルは前向きに考えることにした。

 先程までの出来事に思いを馳せていたアデルの耳に、ドアが軽く二度叩かれる音が届いた。


「……フランか。入っていいぞ」


 アデルは体を少しだけ起こし、顔だけをドアに向けて声を掛けた。果たして、ドアを開けて入ってきたのはフランだった。


「すごいな魔王ちゃん。よく、あたしだって分かったね」

「すごいだろ?」

「すごいすごい」


 どことなくフランは嬉しそうに見えた。

 現在城にいて、アデルに部屋を訪ねてくる人物で、ドアをノックする──それに該当する人物はフランしかいなかった。考えるまでもない答えである。

 ちなみにカナリアはノックなどしないし、むしろ気が付いたらいるくらいだ。

 風呂にでも入ったのだろうか、フランは顔をわずかに上気させていて、アデル達が城に戻ってきた時と衣服も違っていた。寝間着だろうか、柔らかそうな薄い青の上下を身に着けていた。


「魔王ちゃん、なんか疲れてる?」

「ああ、とても疲れてるよ……」

「そかぁ、じゃあ出なおしてきたほうがいい?」

「まあ、要件次第だが。とりあえず話を聞くよ」


 よっ、と気合を入れてアデルはベッドの上で体を起こした。

 サイドテーブルに用意されていたグラスに水を注いで、それを口にする。


「魔王ちゃんさ。あたし、子どもが欲しいんだ」

「ぶーっ!」


 その言葉を聞いた瞬間、アデルは盛大に水を吹き出した。さらに飲みかけていた水が気管に紛れ込んでしまい、咳き込む。

 フランは、あまりにアデルが大げさだったのが面白かったのか、腹を抱えて笑い出したが、アデルにしてみればそれどころではない。

 ついでに壁の向こうから何かが砕けるような音が聞こえたような気がした。


「……」


 アデルは咳が収まってから、改めて水を飲み、心を落ちつけた。一杯ではどうにも落ち着かず、三杯ほど飲み干した。


「……フラン。いきなり過ぎて話が分からん」

「そう? 子どもが欲しいから、魔王ちゃんに頼みに来ただけなんだけど」


 自分が何を言っているのか理解していないのか、フランはとても自然体に見える。それが、どういう行為を伴うであるとか、そういったことさえ気にしていないようにも見える。


「……あー。どうして急に」

「急にじゃないよ? パパンが、魔王ちゃんと子ども作ってこいって言ってたし。これも龍の氏族の代表としてのしめー、なんだよ」

「……」


 いかつい顔でそんなことを言うディートリヒの姿が脳裏に浮かぶ。勝負に負けたはずなのに、それでも龍の氏族が魔王に降ったのは、まさかそういった意図があったのであろうか。次の世代で、魔王をも取り込もうと言うことなのか。


「まあ、アレだよ。あたしより強い男なんてほとんどいないから、お前結婚とか無理だな、ってパパンが言うのよ。だから、子どもだけでいいから作れ、って」


 武人であるがゆえに、自身より弱い男に嫁ぐことは認められないということなのか。言われてみれば確かに、フランより強いと言える男がいったいどれだけいるのだろう。

 アデルの世界では自分以外は皆自分より強いので、フランの強さは計りきれないのだが、きっとフランは並以上なのだろう。そして、今までにそういった存在と出会うことがなかった。

 ある意味では、消去法的にアデルが選ばれた……そう思うことも出来た。


「で、どうしたらいいの? 子どもの作り方教えてよ」

「──!」


 その言葉を聞いて、アデルはまさに天啓を受けた気がした。これは、アデルでも解決できそうな問題だった。


「よし分かった。髪の毛一本くれれば、明日にでも畑に行って作ってくる」

「マジか! 魔王ちゃんありがとう!」


 大喜びでフランは髪を一本抜くと、それをアデルに手渡した。


「それにしても、子どもって畑で作るのか。初めて知ったよ」


 どうやらフランはそれを本気で正しいことだと認識したようだ。その賢さパラメーターの高さが伺いしれる。


「まあ、そういうことはちゃんと教わっておかないとな」

「うんうん。さすが魔王ちゃんだね」


 あとの問題は、どうやって誤魔化すか、ということだけだ。それはまあ、なるようになるだろう。おそらく、カナリアはこの件については協力してくれるだろう。条件を突きつけてきても、拒否できる。カナリアにとっては、協力する以外の選択肢は存在しないはずだ。


「そういえば、子ども出来るとさ、大きくなるまではお腹にいるんだろ? それはどうなってるんだ?」


 フランの当然あるであろう質問にアデルはギクっとしたが、それも舌先三寸で躱す。


「実がちゃんと出来たあとで、お腹の中に入れるんだ。実がちゃんと出来るかは、やってみないと分からないから、時間かかるかもしれないのだけは覚えておいてくれ」

「そっかあ。確かに、なかなか子どもが出来ないって話をしてるの聞いたことがあるよ。じゃあ、髪の毛足りなくなったらまた言ってね!」


 ウキウキしながら部屋を出て行くフランの背中を見送りつつ、アデルは盛大に安堵の息を吐きこぼした。

 これでそれなりの時間を稼げたはずだ。龍の氏族の集落に戻って、その話をされた瞬間に終わってしまう、かなり際どい時間稼ぎだ。

 それまでに、強い男を見つけてやればいい。見つかることを、アデルは祈った。

 再びベッドに倒れ込んだアデルは、ふと思い出したことがあったので、それを口にしてみた。


「カナリア、壊した壁は修理しておけよ」


 バルコニーから、石を集める音が聞こえてきた。


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