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視線

 今朝方、君彦が慶尚に発した言葉によって三人の間には小さな亀裂のようなものが生じていた。しかしそれは三人を仲違いさせる程のものではなく、あくまで少しばかり態度がぎこちなくなる程度であった。

 自分で口にした以上、最も気にしているのは君彦である。元々小さな出来事にも敏感に反応する性質である君彦は、いくら毛嫌いしている相手であっても自分があそこまで他人を悪く言うことなんてそうそうなかったはずだ。それがなぜか慶尚相手となるとそういった蔑む言葉を平気で口にしてしまう自分に、君彦自身が驚いている位であった。

 授業中も時折斜め前に座っている慶尚の背中を目で追っては、不快そうに眉をひそめる。なぜ慶尚の姿を目にするだけでこんなにも不快に感じてしまうのか君彦にもわからない。

 ただ腹の奥底がもやもやと熱を持ったように不快な気分になることだけは確かであった、原因こそわからないが君彦はどうしても慶尚という存在に嫌悪感に近いものを感じて仕方がない。

 授業の合間にある休み時間、慶尚はクラスの女子に囲まれて面倒臭そうに応対するなどして時間を過ごしていたが、君彦はそんな無愛想な慶尚を再び目で追っては不快さを露にしていた。そんな君彦に声をかけ、まるで慶尚のことを頭から追い出そうとするように色々話題を降ってくる黒依。

 君彦は黒依に話しかけられる度、瞬時に慶尚のことを忘れ、話に夢中になれた。それでも心のどこかでは自分が慶尚を嫌う理由を、気が進まないなりに探していることに君彦は気付いている。明らかに今朝の言動から態度がおかしくなった君彦を案じて、猫又は二人の様子を教室の端から眺めていた。

 慶尚がこの学校に転校してきてからは、慶尚からちょっかいをかけて来ない限り君彦が慶尚の存在に構うようなことはなかったし、今日のように度々目で追ったりはしていなかったはずだ。それが自分自身の異変に気付いた君彦が、意識的に慶尚の存在に気をかけるようになっている。それが悪いことだとは言わない。むしろ猫又にとっては望ましいことだったのかもしれなかったのだから。

 休み時間が終わり、次の授業の先生が教室に入ってくるとクラス中がバタバタと自分達の席に戻って行く。猫又は教室の後方にあるロッカーの上に陣取って、再び君彦と慶尚の様子を窺っていた。

 やはり二人が近付いて会話などをしない限り、これといった変化は見られなかった。

 猫又は大きなあくびをひとつすると、口をもごもごさせながら眠気に襲われていると突然声をかけられ、あからさまに嫌そうな目付きで下を向いた。そこには慶尚に呼ばれても居ない犬神が姿を現し――と言っても君彦や慶尚、そして黒依以外にはその姿は見えないままだが――猫又を睨めつけるように見上げている。


『猫又よ、お前の主は少々慶尚に失礼ではないか!?』


 唐突な言葉に猫又はよく聞き取れなかったフリをしてわざとらしく聞き返す。依然ロッカーの上から降りる気はなさそうだ。


『あ? 何の話だよ、犬っころ』


 猫又の言葉使いに苛立ちを隠せない犬神であったが、慶尚の命令無しに出てきたことに負い目があるせいか、ちらりと慶尚を一瞥してから再び静かな声で猫又に話しかける。もっとも犬神がどんなに慶尚の視線を気にしようとも、その気配によって犬神が勝手に姿を現していることは慶尚に既にバレていることは明らかであったが。


『我が姿を現しておらずとも、慶尚の身の回りで起きたことは我も見聞きしている。今朝方お前の主が慶尚に発した言葉のことだ。そもそもあの男……猫又君彦と言ったか。あいつは慶尚に対して無礼が過ぎるぞ。敬えとは言わぬがせめてもう少し対等な口の聞き方をするべきだと我は思うが……』


 言いかけ、犬神は猫又から視線を逸らしてわざと憎まれ口を挟んだ。


『――まぁお前の主ならば、口が悪いのは仕方ないことか』


 しかし犬神の憎まれ口など猫又にとっては蚊に刺された程度のものなのか、しれっとした態度でわざとらしく後ろ足で首の辺りを掻きながら適当に言葉を返した。


『へっ、犬っころが人間にお説教かよ。大体だな、オレ様は別にあいつの下僕でも何でもねぇんだよ、勘違いすんな。君彦が誰と何をやらかそうがオレの知ったこっちゃないね。気になるならお前が直接君彦に言ってやんな。お前のご主人様の許可が下りればの話だけどな!』


 犬神が猫又に攻撃出来ないことをわかっていてわざと馬鹿にするような態度と口調で猫又が言い放つと、犬神はぴくぴくと怒りを堪えながらも牙を剥き出しにして静かに威嚇する。しかしそれ以上は自重しなければいけない犬神は、これ以上猫又と言葉を交わしても苛立つだけだと察し、ふんっと鼻を鳴らしてそのまま姿を消してしまった。

 負け犬め、と猫又がにやりとした時、ちょうど後ろを振り向いていた慶尚と目が合ったので、猫又は二又の尻尾をぱたぱたと振りながら何事もないようにシラを切った。だが慶尚は特に何かを言いたげに表情に表すわけでも、言葉を発するでもなく、猫又と同じように何もなかったように再び前を向いた。

 君彦の意見に尻尾を振って賛同するわけではないが、やはり猫又も慶尚のことが苦手であった。何を考えているのかわからない表情、態度、そして猫又以上にしれっとした言動。どれをとっても慶尚が自分達の味方なのか、はたまた昔のような敵なのか、それはよくわからない。慶尚が君彦に危害を加えない限り、猫又も人間である慶尚に害を及ぼすわけにはいかなかった。

 もしかしたら慶尚は何かを知ってるかもしれない、君彦が必要以上に慶尚を毛嫌いする理由を。ふと猫又は慶尚の背中を見つめながらそんな憶測をしてみた。いや、もしかしたらそれは慶尚以上に征四郎が知っているかもしれない、とさえ思ってしまう。


(面白くねぇな、オレの知らねぇところで何かが起きてるなんざ。とにかく君彦に出来ることと言えば、せいぜい悪口雑言を犬塚の野郎に吐き捨てる程度だから、特に大したことにはならねぇだろうな。当面の問題は黒依と……色情霊に取り憑かれたままの色情女か)


 ロッカーの上から授業風景を見つめながら猫又がぼんやり考えていると終業のチャイムが鳴り、遂に午前中の授業は全て終えることが出来た。君彦と黒依は早速いつものように昼の弁当を食べる為に移動を始めた、そこで弁当を持った君彦と慶尚の目が合う。

 「おっ」と猫又は興味津々な眼差しで二人の様子を窺った。依然ロッカーから降りようという様子はない。

 君彦は少しバツの悪そうな顔になりながら、ぷいっと慶尚から視線を逸らすと手に持っている包みを慶尚に向ける。


「お前の弁当だよ。どうせ今日もパンとパックの飲み物しか持って来てないんだろ? 今日はちょっとたくさん作り過ぎたから余った分を別の弁当箱に詰めてきたんだよ」


 照れくさそうに君彦が一気に台詞を言い切った。何も今朝の詫びのつもりで差し出しているわけではなかった。君彦が今朝、弁当を作った時からじっくり考え、用意してきた理由。慶尚が無理矢理グループに入った時から嫌々ながら一緒に弁当を食べていた時、いつもコンビニで買って来た弁当であったりパンであったり、どうにもそれが気になっていた君彦はついお節介だとわかっていながらも、慶尚の分の弁当もついでに作って来てやろうと考えていて、今朝遂にそれを実行したのであった。

 慶尚は手渡された弁当包みを見て、眉ひとつ動かさずに見入っている。何も言わないし、笑みをこぼすこともない。そんな慶尚の態度に急激に気恥ずかしさを感じた君彦は、顔を真っ赤にしながら声を張り上げた。


「べ、別にお前の為に作って来たわけじゃないんだからな!? いらないなら別にいいぞ、オレと黒依ちゃんと志岐城さんとでたいらげるだけだからなぁ!」


「別にいらないとは言ってないだろうが」


 しかし慶尚はむすっとした表情のままではあるが、どこか今までは雰囲気の違う態度に変わっていたので君彦は目をぱちくりさせながら、今までとどこが違うのか探すように慶尚を瞠っていると君彦の視線に不快感を覚えた慶尚が表情をあからさまに歪ませた。


「なんだ……、オレにそんな趣味はないぞ」


「オ――、オレだってそんな趣味ないわ!」


 結局殆ど君彦による一方的な罵り合いが始まる結果となり、様子を見守っていた猫又が下らなさそうに再び大きなあくびをすると、呆れた声で独り言を言った。


『なんか……、色情女とのやり取りと大して変わんねぇなコレ』


 ぎゃあぎゃあと文句を言い続ける君彦を無視する慶尚、そんな二人のやり取りを他人事のように笑顔で見守る黒依。その三人が教室から出て行き、隣の教室の響子を迎えに行ったので猫又はようやっとロッカーの上から飛び降りて後をついて行った。




 変わらず君彦が一人で怒りをぶちまけ文句を言い続けていると、響子の教室から大きな物音がしたので三人は途端に静かになり、開けっ放しになっていた教室のドアから中を覗いた。すると教室内にはまだ生徒が大勢残っているにも関わらず全員が呆気に取られたように静かになっており、教室内は静寂に包まれていた。そこからは異様で不穏な空気が流れており、何が起きたのかわからない君彦達にでさえ異常な事態が起きていることが手に取るようにわかった。

 ゆっくり歩を進めて中を覗こうとドアに近付くと、先程聞こえた物音は教室内に整然と並べられていた机が倒れる音であった。列から外れるように斜めを向いている机や、倒れている机。そのすぐ横には男子生徒が倒れており、生徒の一人が手を貸している姿がまず目に入った。

 それから更に中を覗いて行くと、そこには険しい表情をした響子が立ち尽くしている。響子右手は少し赤みが差していたので、恐らく机の間に倒れている男子生徒を響子が殴った後なんだろうと君彦は瞬時に推察した。響子の背後に目をやると、今朝君彦が一時的に祓ったはずの色情霊が戻っていて、薄気味悪い笑みを浮かべている。

 

「色情霊の色香に惑わされた生徒を殴った後みたいだな……、志岐城のやつ」


 瞬時に事の経緯を推理した慶尚が口に出す、それを聞いた君彦もすぐ理解したがそれでもいつもと様子が違っていたことに違和感があった。確かに今まで何度となく色情霊に惑わされた男達をこの目にしたことがある。その男達から身を守る為に暴力によって自己防衛してきた響子の苦労も知っている。しかし「それ」が今までと、今と……明らかに「何か」が違っていた。

 静まり返った室内、中に居る誰もが響子と……殴り倒されてしまった男子生徒を見つめている。彼等の眼差しを見て、君彦は急に鳥肌が立った。色情霊とは何の関係もない、生きた人間達の姿を見て背筋が凍ったのだ。


 侮蔑の眼差し、畏怖が込められた眼差し、そして嫌悪感を露わにした眼差し。


 そんな悪意に満ちた視線が響子に集中している。その光景に君彦の胸に激しい痛みが走った。響子の表情だ。

 響子は男子生徒を殴り倒し、当然それは故意の暴力ではなく自分の身を守る為のものであると君彦は信じているが、それでも響子は自分が相手に暴力を振るったことに少なからず罪悪感を抱いているのか、苦しそうな表情をしていた。

 今にも泣きそうな、この世に自分の味方なんて誰もいないのだとでも言うような、そんな孤独に満ちた表情だった。しかしそれは相手に暴力を働いたからそうなったのではないんだと、君彦は少し時間がかかってから察する。

 響子は周囲の冷たい視線に晒され、辛い思いをしているのだ。


 彼女から笑顔が失われてしまう。

 せっかく心を開きかけていたのに――!


 君彦は事の顛末を全て把握することなく、頭で考えるより先に体の方が響子の元へと向かっていた。


  

 

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