14. 夢見の聖女は恋を知る (2)
「うわあああぁ……」
シルヴィアはベッドの上で呻き、頭を抱えた。
──先ほどの夢は自分の夢だったのだろうか、それとも?
シルヴィアの視る予知夢は色が付く。
対して、個人的に見る夢は灰色がかっていて、色がない。
見た夢が、予知夢かどうかが分からない。シチュエーション的に暗がりでの出来事だったのだ。
「はっ、でも自分の予知夢は視ないはず……!」
夢見の聖女は、自らの予知夢は視ないと言われている。現に、シルヴィアは自身の予知夢を見たことはなかった。
ということはただの夢だったのだろうか。
しかしずいぶんと生々しかった。予知夢を視たときの感覚に近かったのだ。
触れた相手は、間違いなくルイスであった。
仮に自分の夢だとして、世話になっている恩人に対してこんなふしだらな夢を見るとは。
勝手に夢に登場させて、悪いことをした気になってくる。
「…………起きなきゃ」
大変口には出しづらい夢を見たことは後ろめたいが、ここに夢見水晶は無い。
夢の内容が誰に知られるわけでもないのは幸いであった。
気を取り直して、着替えて階下に降りたシルヴィアはすぐに後悔した。
「おはよう、シルヴィア」
「お、おはようございます……」
ルイスはすでに起床し、食卓で新聞を読んでいた。
目が合った瞬間、信じられないほどどきりとした。
まずい。
どんな顔をすればいいのか分からない。
マグカップを持つ長い指に無意識に目が行ってしまい、いけない、と頭を振った。
「シルヴィアさん、おはようございます! 風邪引かれてませんか」
「はい、元気です」
「シルヴィア、疲れてるようだったら診療所の方は午後からでもいいぞ」
「いえ、大丈夫です……」
「?」
妙に意識してしまい、目を合わせられない。昨日までどうやって話していただろうか? 一晩の夢を境に、自分がおかしくなってしまった。
シルヴィアの様子を見て、ルイスが首を捻って席を立つ。
「本当に具合悪いんじゃないか? 熱は?」
ルイスの手が伸びてきて額に触れそうになったので、思わずシルヴィアはその手を押さえた。
しかしその途端に夢の中のやりとりが鮮やかに脳裏に蘇り、慌てて手を放す。
「わああぁ、ごめんなさい! 大丈夫です! 少しくたびれただけです」
「あ……、そう」
「すみません、診療所にはきちんと行きますから!」
「うん、無理するなよ」
シルヴィアはこくこくと頷き、視線をルイスに向けないようにして朝食を食べ始めた。
診療所でいつも通り受付に座っていても同じだった。
カーテンの隙間から診察室をちらりと窺う。
ルイスが白衣で患者の話を聞いている。
白衣の袖を数回折り曲げていて、手首が露わになっている。それが艶かしく見えてしまうのは何故なのだ。
綺麗な黒髪は堅そうに見えるが、実は柔らかい──いや、違う。触れたことはない。
「どうしたかね、シルヴィアさん」
「はっ」
診察室を睨むように凝視していたシルヴィアは、受付に人が来たのに気付かなかった。
慌てて受付簿を差し出し、名前を記入してもらう。
「す、すみません」
「いいえー、昨日はどうだったかね? 先生とヴァルドに行ったんだろう?」
「はい、楽しかったです。とても大きな街でした」
「おや、ヴァルドは初めてだったのかい?」
「ええ」
世間話をしつつも、シルヴィアの意識はカーテンの奥に向いていた。
♦︎
診療所の休みの日、丘の上の教会でヒューゴを捕まえたシルヴィアは、最近の心情について相談していた。
人には言えない夢のことは除いて。
「……というわけなんですよ」
「なんで俺がそんな話聞かされなきゃなんねぇの……?」
困惑した顔のヒューゴが若干身を引く。
だって、他にこんな話をできる知り合いがいないのだ。生活を共にしている祖母やアナに話すわけにはいかない。
シルヴィアがしゅんとすると、ヒューゴが呆れたように軽く言う。
「ていうか簡単なことだろうよ、ルイスさんのこと好きなんだろ」
「好き」
いや、その可能性は当然思い付いていた。
しかしながら出会ってもう随分と経つ。いまさら、そんな気持ちになるものなのだろうか?
悩むシルヴィアを尻目に、ヒューゴは得意げに語り始めた。
「そうだよ。その相手のことばかり考えて、実際に会うとドキドキするんだろ」
「ドキドキ」
「わかるよ。俺だってアナとは子供の頃から一緒だけど、あれは学校の卒業の時だったな。卒業が寂しくて泣く友達をアナが優しく慰めてて──」
明確に意識してしまうようになったのは、あの夢を見てからだ。
それとももっと前? 指輪を買ってもらったから?
あるいはお出かけという特別な行事に浮かれていたから?
いや、一番近い異性だったからかも。これまでの人生でそばにいた異性は司祭たちだけだったのだ。
ただ身近にいる異性だからドキドキしてしまっているだけかもしれない。その可能性はある。
そう思ったシルヴィアは、ぬっと手を伸ばし、通路を挟んで座っていたヒューゴの手をぎゅうと握った。
しかし、特に何も感じない。
「うーん……」
「おい、俺の話聞いてた?」
「なんか違うんですよね」
「話無視されて、いきなり手握られて一方的にがっかりされる俺の身になれよ!」
手を振り解かれて、首を捻る。
ルイスと同じ、異性であるヒューゴの手に触れても何も思わない。
ということは、やはりルイスに対してときめいているということだ。
「ま、いいんじゃねえの。もう聖女をクビになったんだし、好きなやつができるくらい」
「まあ……、そうですね」
「それに好きな相手がいるというのは良いことだぞ。人生ハッピーだ」
「そういうものですか?」
ヒューゴが大きく頷く。
シルヴィアだって、中央教会にいた頃から恋をすることに憧れていた。
きっと好きな人が出来ると、毎日楽しくて、きらきらした気持ちになるものだと想像していた。
今の気持ちは少し違う。
想像していたうきうき、きらきらというよりは、ひやひや、もじもじといった、どちらかというとマイナス寄りの感情だ。
ふしだらな夢を見たということもあり、この気持ちがルイス本人に露呈することは良くないように思っている。
だって、保護している聖女が自分に好意を持っていることを知ったら、彼はきっと困惑するだろう。
関係性は間違いなく変わる。ルイスには世話になっているので、余計な面倒事を増やすのは申し訳ない。
「うーん……」
「そんなことよりさ」
悩むシルヴィアに、ヒューゴがずいと身を乗り出してきた。
「来週、収穫祭があるから来てくれ」
「収穫祭?」
目を輝かせて、ヒューゴが頷く。
彼が話したところによると、実りの時期である今の季節を祝って、カージブルでは大きな祭りが開かれるという。
自転車の練習をした広場で音楽隊が演奏したり、子どもたちが踊りを披露したり。商店街の各店も出店を開くらしい。
「夜には花火も上がるぞ。町中の人たちが集まってやる、年に一度のイベントだ」
「それは楽しそうですね」
「な、来てくれ!」
「…………なにか裏がありますね」
ジト目でヒューゴを睨めば、彼がそっと目を逸らす。
「アナが……」
「誘えばいいじゃないですか」
ヒューゴは「誘えねえよ!」と叫んで、わっと手で顔を覆った。
「アナは真面目だから、ルイスさんのとこの家政婦の仕事があるって、誘っても来てくれない! でもな、今年こそアナと一緒に花火見たいんだよ!」
「はあ……」
「な、頼む! お前が誘ったらきっとアナも来てくれるから。そしたら途中で合流して、俺とアナを二人きりにしてくれ!」
「変なことするつもりじゃないですよね」
「んなわけねえだろ!」
あまりの彼の必死さに、本当にこれまでアナに断られてきたんだろうなというのが分かる。
ルイスと祖母は元気良く祭りに行くようなタイプではないだろうし、夕食までアナは居てくれるので、仕事のため祭りに行くことはできなかったというのは事実なのだろう。
しかし、ヒューゴの協力をするのはアナを騙すようで気が引ける。
「うーん、ま、正直にヒューゴさんと三人でお祭りに行きましょうって誘うならいいですよ」
「ありがとう、恩に着る!」
帰って早速アナを誘ったら、「行きましょう!」とあっさり了承された。どうやら「お祭りに行ったことがなくて……」というしんみり混じりの言葉が効いたらしい。
ルイスと祖母の夕飯は準備していき、ヒューゴと三人で収穫祭を楽しむことになった。
シルヴィアとしてはヒューゴに乞われて行くことになったが、よく考えたらなかなか楽しそうなイベントである、
アナの話では、皆、おめかしして広場に集まるらしい。
紫の指輪を付ける、ちょうど良い機会だなとも思ったのだ。
♦︎
収穫祭の数日前の夜。
せっかくなので綺麗な格好で行きたいと、シルヴィアは一階の食卓で一人、自身の爪に色を塗っていた。
染料は淡い桃色。
植物の花から抽出した液が原料らしい。爪を磨き、健康的な色を乗せるのが若い娘の間で流行っているのだとアナは言っていた。
それを実践しようとしているのだが、これがなかなかどうして難しい。小さな刷毛で爪に丁寧に塗っているつもりが、どうにもはみ出すし、よれる。
シルヴィアは苦戦しながら、塗っては直しを繰り返していた。
「あ、珍しい」
聞き慣れた声に、びくりと体が震えた。
その拍子に手が滑って、刷毛が爪から大幅にずれた。
「あああ」
「なにしてるんだ?」
寝る前に降りてきたらしいルイスが、面白そうに覗き込んできた。
少し気まずい。
実はあの夢を見てから、とても二人で過ごすのは難しいと考え、夜食は中止していたのだ。
そのため、夜中に二人きりになるのは久々のことである。
「えっと……、爪に色を塗っています」
「爪?」
「アナさんたちと収穫祭に行くので、あの、せっかくなので可愛い感じで行きたいなと思って。いや、すみません」
「え、なにが?」
なぜか言い訳じみた言葉が口から出てしまう。
好きなファッションを試していた時期はなんとも思わなかったのに、今はお洒落しようとしていることを知られるのが恥ずかしいように感じてしまうのだ。
だがルイスは気にしなかったようで、シルヴィアの持つ道具を興味深そうに眺めた。
それからシルヴィアの作業中の爪を見る。
「ああ、なるほど。塗ってやろうか」
「へっ!?」
「手を出して」
隣の席に腰掛け、あまりにも自然に手を出してくるものだから、シルヴィアは慄いて椅子ごと後ずさった。
「な、なななんでですか! 一人でできますよ!」
「苦戦してるようだから。俺は一応手先が器用だから上手に塗れるぞ」
そりゃあ手先は器用だろう。医者なのだ。
「君がやってたら夜が明ける。ほら」
さんざん逡巡した挙句、おずおずと手を差し出した。
大きな硬い手の上に自らの手を乗せる。
息がかかるほどの近距離で指を見つめられ、シルヴィアは固まった。
恥ずかしすぎる。
直視できずに顔を背け、ぎゅうと目をつむった。
指が触れている。
ルイスは確かに器用だった。
あまりにも静かなのでちらりと薄目で見れば、真剣な表情で作業している。
小さな刷毛で均一に染料を塗り、はみ出た部分を素早く拭う。
指先同士が触れたまま。
そこを通じて心臓の音が彼に聞こえてしまいそう。
触れているところから、気持ちが伝わってしまわないかどうか、心配になった。
「できたできた」
明るい声で手を解放され、シルヴィアはようやく肩の力を抜いた。無意識に息が浅くなってしまっていた。
「ありがとうございます……」
「収穫祭、楽しんでこいよ。じゃ、おやすみ」
一仕事終えたと言わんばかりの表情のルイスは、さっさと席を立つと、キッチンで水を一杯飲んであっさり部屋に戻っていった。
シルヴィアは爪が乾くまでそのまま。
ルイスが階段を登っていくのを見送って、机の上で腕を伸ばしたまま、頭をごちんと机に打ち付けた。
「あの人……!」
心配した意味なかった。
ルイスはこれっぽっちも意識してなどいない。
指輪を買うのも、人の手に触れるのも。
気持ちが露呈していないことは安心した。
しかし、そのことがほんの少し切なく感じるのはなぜなのだろう?




