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12. 夢見の聖女は予知夢を視る (2)


 ルイスは二通の手紙を前に、ため息をついた。


 一通は出稼ぎに出ている父から。

 滞在先から定期的に生存連絡が来るが、最近はその頻度が減っている。

 今はどんな仕事をしているのか分からない。

 ただ、現在の滞在先の居心地が良いらしい。生活が充実していることと、こちらを気遣う言葉で締められている。


 それはいい。

 もう一通の方。月と星の紋章の印璽。

 中央教会からの手紙だ。


 シルヴィアがやって来てからしばらく経つが、もう何通目だろう。退職した元聖女に対しては過剰なように思える。

 市民に戻ろうとするシルヴィアを中央教会が心配しているようにもみえるが、その内容がいびつであった。


 体調を気遣う言葉はいいとして。

 そこから続くのは、シルヴィアの変化を問う内容であった。

 普通の生活にうんざりしてはいないか、不満を漏らしていないか、市民とトラブルになっていないか。


 ──そして、未来を視るような言動をしてはいないか。


 中央教会のシルヴィアへの未練、あるいは教会に戻そうとする意志が透けて見えた。

 こうなってくると、シルヴィアの保護先にエドアルド家が選ばれた理由もおのずと分かった。

 中央教会は、シルヴィアに一般の生活に幻滅させるために、教会として機能しておらず金もないエドアルド家を選んだのではないだろうか。


「どうしたもんかな……」


 そして中央教会の手紙を読むに、大司教たちは新しい聖女を見つけられていないらしい。


 聖女は世界に一人。

 現聖女の力が衰えれば、新たな夢見の聖女が現れる。


 シルヴィアは通常の任期途中で聖女の力を失った。中央教会は新たな聖女が現れると考えたはずだ。

 だが、万が一シルヴィアが力を失っていないという可能性も考え、保険としてエドアルド家を保護先とした。


 彼女が力を取り戻し、市民生活に嫌気が差して教会に戻ってくるという選択肢を残すために。


 そして事実、新たな聖女は現れていない。

 中央教会は、シルヴィアが予知夢の力を取り戻している、あるいは元々失っていなかったかもしれないと考え、頻繁に連絡を寄越しているのだろう。ルイスはそう考えた。


「シルヴィアを帰すかどうか」


 中央教会の意に反して、シルヴィアは生活を全力で楽しんでいる。毎日、教会の掃除をしたり、女性たちのお茶会に顔を出したり、アナと買い物に行ったり。

 予知夢を視ているかどうかは分からない。


 以前、彼女は中央教会の頃と今の生活を比べ、今の方がはるかに良いと言っていた。中央教会に請われても戻りたがらないだろう。

 一方で、今後新たな夢見の聖女が現れなければ、中央教会はどうするだろうか?


「実際にシルヴィアの様子を見に来る可能性もあるか……」


 ルイスは中央教会へ返事を書いた。

 彼女は少しずつ生活に慣れてきているので心配は不要です、と。



 ♦



「シルヴィア、診療所の方の仕事を手伝ってくれないか?」


 夜、シルヴィアの夜食に付き合っていたルイスは軽い口調で言った。


「え?」

「診療所」


 少し頬を赤くしたシルヴィアに訊き返されたので、もう一度はっきりと告げる。


 彼女の頬が紅潮しているのは酒を飲んでいるためだ。シルヴィアは少し前から果実を発酵させた弱い酒を嗜むようになっていた。

 すぐ顔に出るタイプのようだが、実際はほぼ酔ってはいないらしい。飲むのはたまにだし、次の日に残っているようでもないので特に飲酒を止めていない。

 夜中に酒飲んで菓子食べている様子はいよいよ聖女らしからぬ有様だなとは思うが。


「診療所でお手伝いですか?」

「そう。小遣い程度しか給料出せないのは悪いけど。教会の方もそろそろ綺麗になっているんだろう? もし手が空いているなら、診療所で社会経験積むのもいいかと思って」

「や、やややります!!」


 前のめりになって手を挙げるシルヴィアに、ルイスは苦笑して頷いた。


 社会経験を、などと言ったが、実際は違う。

 中央教会がシルヴィアに接触しに来る可能性があると思ったためだ。もしかしたら、無理に連れ戻されてしまうかもしれない。

 そのため、しばらくは目の届くところに居させた方がいいと思ったのだ。


「じゃあ、いつからでもいいから」

「分かりました!」



 早速次の日から、シルヴィアは診療所にやって来た。

 人手が足りないのは事実で、基本的に診療所にはルイスと看護師が二人。


 難しい外科的処置などは出来ないので、そういった場合には大きな病院を紹介する。

 しかし日常の体調不良や持病の投薬、小さな怪我などで患者はほどほどに多く、混雑する日などは受付が不在になってしまうのだ。

 そのため、シルヴィアにはまずは受付に座ってもらうことにした。


「いらっしゃいませー!」


 大衆居酒屋のような声かけに、朝一番にやって来た老婦人がぎょっとした。


「ど、どうしたんだい、シルヴィアさん。転職かい」

「お手伝いです! どうされましたか?」

「それは俺が聞くからいい」


 おしゃべりが始まってしまいそうだったので、ルイスが割って入り、老婦人を診察室に招く。

 シルヴィアはにこにこし、看護師に習いながら順番に患者の受付をこなしていった。

 ただ、患者の帰り際には「またどうぞー!」と明るく言い、注意されていた。


 昼には一度裏の自宅に戻り、アナの作った昼食をとる。

 それから午後も診療し、シルヴィアは特に疲れも見せず仕事をこなしていた。


 とりあえず、当面は診療所にいてくれれば安心だ。

 何かあってもすぐに気付ける。それに、彼女は基本的に元気で人当たりが良いので、患者への印象も悪くない。

 ルイスはほっとしていた。




 シルヴィアが診療所を手伝い始めて少ししたある日。


 彼女が席を外しているときに、ルイスは受付の机に付属した棚にたくさんの何かが入っているのを見かけた。

 なんだ? と思って近寄ると、普段は筆記具などが入れられている狭い隙間に、袋に入ったタオルがぎゅっと詰め込まれている。


「…………??」


 他のところに保管されているタオルを、なぜかわざわざ机に移して入れているらしい。

 謎だ。まあ、別にいいが。


「ルイスさん」

「わっ」


 戻ってきていたことに気付かず、ルイスは声をかけられて飛び上がった。

 しかしそんなことは意にも介さず、シルヴィアはのほほんと言う。


「私もルイスさんのこと、先生って呼んだ方がいいですか?」

「えっ、えー……」


 少し悩む。

 前の医師からこの診療所を引き継いだのは、両親がいなくなり、医師になった後。四年ほど前のことである。

 町の皆は昔から顔なじみなので、病院外では名前で呼ばれる。アナやヒューゴなどはそうだ。

 ただ、診療所内では『先生』と呼ばれることがほとんどだ。新しく越してきた家や、ベティなど子どものいる人たちからもそう呼ばれている。


 シルヴィアから先生と呼ばれることには違和感を覚えるが、ここは診療所内で、一時的にせよ自分が雇い主(ほぼ無給だが)。

 そこは他の看護師と同じようにした方が良いだろう。


「……ここでは他の人と同じように呼んでくれ」

「分かりました、先生!」


 早速呼ばれた言葉に若干面映ゆい気持ちになりながら、ルイスはその場を離れた。



 診療が始まり、昼すぎ。

 診察室でルイスが患者を診察していると、待合室の方から悲鳴が聞こえた。


「先生!」

「どうした!?」


 慌てて診察室のカーテンを開けると、若い男性が待合室でうずくまっている。着ている服を引っ張って額を押さえているが、服が真っ赤。出血している。

 受付から飛び出したらしいシルヴィアが白い布を傷口に当てて押さえてやっているものの、それもすぐに染まる。

 待合室にいた他の患者たちも、おろおろと手伝ってやっていた。


「っ、すいません、仕事中に切っちゃって、血が……」

「分かった、そのまま奥へ」


 頭の傷は血が出やすい。幸い、処置できないほどの大きな怪我ではなかった。

 手早く処置し、縫ってやってベッドで休ませる。怪我をした当人はほっとしたようだった。


 汚れた白衣を着替えて待合室を覗くと、そこはすでに落ち着きを取り戻していた。

 血で汚れてしまった床も綺麗になっている。流しを使う音がしているので、シルヴィアが掃除して片付けてくれているのだろう。


 目をやれば、受付の机に詰め込まれていたタオルはなくなっていた。


「…………ん?」



 ♦



 一度気付くと、気になってしまうのが人の性ではある。


 受付の机に手袋や消毒薬を詰め込んでいた時には、食あたりの患者がやって来た。患者が帰った後、シルヴィアはそれであちこちを消毒していた。


 天気の良い日にやたらと水を準備しているなと思ったら、暑さで気分の悪くなった患者が何人も来た。


 とんでもなくぐずる赤ん坊を、どこからか持ってきていたぬいぐるみであやしていた。


 診療所内だけではない。

 自宅にいるときでも、アナや祖母との会話の中で気になることがしばしば生じた。天候、体調、小さな日々のトラブル。


 ルイスに対しても同様だ。

 夜、疲れたなと思って階下に降りると、夜更かししていたシルヴィアに「ルイスさんの好きなお菓子買っておきましたよ!」と勧められた。

 くしゃみして風邪ひきそうと思っていたら蜂蜜を飲まされた。


 ──いや、これだけでは分からない。

 ただ単に、シルヴィアが周りをよく見ていて、気遣いの出来る人間だということかもしれないが。


「……ま、別にどちらでもいいか……」


 ルイスは診察室で独り言ちた。

 仮にシルヴィアが予知夢を視ていたとしても、中央教会に知られなければいいのだし、今のところ誰も気付いてはいないのだ。


「先生」

「ん?」


 薬の整理をしていた看護師から声をかけられ、思考を戻した。


「そろそろ承認会の時期じゃないですか? 連絡ありました?」

「あ、あー、あった。そうだ、行かないと」


 一週間ほど前に来ていた郵便を思い出す。

 この国では医師の資格は更新制で、二年に一度、各地方にある承認会で面接を受け、医師会の承認を得る必要があるのだ。

 大したことは聞かれないのだが、その承認会を受けないと診療所が継続できない。


「せっかくですから、シルヴィアさん連れて行かれたらどうです?」

「え、なんで」

「だって、ここに来てから一度も遠出されたことないですし、街に行って遊んだりしたことないんじゃないですか?」


 言われて気付いた。

 確かに、シルヴィアはここに来てからは自宅の周りで過ごしている。出かけたとしても自転車で丘の上に行くくらいだ。

 聖女として中央教会にいた頃も基本的には教会内で過ごしていたはずで、大きな街には行ったことがないだろう。


 早速、受付にいるシルヴィアに声をかけた。


「よその街に行くけど、一緒に行く?」

「行きます!」


 うちにいる元聖女は、決断が速い。



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