2-5:いっしょに
かすかに魔法を唱える詠唱が聞こえた。
残るリーダー格の上級魔法使いを見る。奴は杖の先を俺に向け、その先端に魔法の光が生まれつつあった。
その色は若草色――風魔法。
俺に迎撃手段はない。
飛んでくる魔法の核は魔力で出来ている。だから、理論上は俺の『魔力吸収』で消すことは可能。しかしそれは核の部分だけの話だ。その核を元にして生まれた攻撃――火炎や風の刃までは消し去ることができない。
もし生身でそれを喰らったら、俺は死ぬ。
だから――。
俺は倒れたケイの胸倉を引っ掴むと、無理矢理立たせた。
そしてその体ごと、リーダー格に向かって突進を仕掛ける。
生身の人間を使った即席の盾だ。
「――チッ」
男は舌打ちし、詠唱途中の魔法を破棄した。
杖の先から光が消え、奴はサイドステップで右手の路地に退いた。
――これさえあれば、手出しはできない……!
奴が部下をも切り捨てる非情な人間だったなら、この策は通じなかった。
褒められた手ではないが、こっちだってなりふり構っていられない。敵と違い、俺にできることは限られているのだ。やれることはなんだってやらないと、俺は勝てない。
あとは隙を見計らい、奴の懐に飛び込むことさえできれば――。
俺は盾を抱えたまま、奴が退いた路地へと突撃した。
「卑怯者が……!」
路地へ曲がった先で男は待ち構えていた。
すでに詠唱が完了している。
杖の先には先程と同じ緑の光――風魔法が宿っている。
まさか、と思ったときには遅かった。
奴は地面に杖を突き立てて、躊躇せずに魔法を打ち放った。
攻撃――ではなかった。
生まれたのは、強力な引き寄せる力。
杖を突き立てた地点を中心に、緑の螺旋を描く風の渦が生まれた。
――吸い込まれる……!
俺は踏ん張るために後傾姿勢になった。
しかし、荒れ狂う暴風がじりじりと俺の体を引っ張っていく。
腕の中で盾代わりのケイが引き寄せられ、暴れる。
抑えられない。
ついに俺は盾を手放してしまった。
そして悟った。
これは初めから、ケイを奪い返すための攻撃だったのだと。
相手のほうが一枚上手だった。
男は片腕でケイを受け止めた。そして同時に引き寄せる風の引力も消えた。
「なぜ魔法を使わない……?――いや、別にどうでもいいか」
そんな男の独り言が聞こえた。
突き立てた杖を引き抜き、再び矛先が俺に構えられる。
――……あぁ、やっぱり、駄目なのか……。
俺は呆然と、杖の先に宿る光を見つめた。
盾は奪い返された。残るもう一人の魔法使い――イオの体は遠い。とても間に合う距離じゃない。避けようとしても、距離が近すぎる。回避は不可能。
終わった。
これで、終わり。
俺が殺されて、ミラもきっと殺される。
やっぱり、俺じゃ守れなかった。
力が、ないから……!
「――風の槍」
男の詠唱が聞こえた。
諦めて目を閉じようとして。
その瞬間、
「――右!」
声が聞こえた。
考える前に体が動いた。
右に体を投げ出すようにして倒れ込む。
直後、俺のいた場所を紅蓮の光が走った。
轟音と共に放たれたそれは業火。
すぐ近くを擦過した俺が燃えてしまったのかと錯覚するほどの熱い火球。
それがリーダー格の男へ迫った。
突然の攻撃に、しかし男は動じた様子もなく、構えていた杖をくるりと持ち替え地面に突き立てた。
魔法が発動する。
杖が突き立った場所を中心として、風色の円が地面に描かれる。
それは先程の引き寄せるものではなく、自身と傍らで倒れるケイを守るための防護壁だった。
螺旋に渦巻く風壁と放たれた火球が正面から直撃した。
轟音。
衝突の瞬間爆発が起こり、周囲の瓦礫をバキキキキキッと音を立てて吹き飛ばした。
衝撃波で俺も吹き飛ばされた。ろくに受け身も取れず、ミラの家の壁まで転がり、背中を強かに打ち付けた。
そして見た。放たれた火球が螺旋を描く風壁に相殺され、飲み込まれていく姿を。風が炎を纏い、空高く渦巻く風炎の柱となって、夜空へと突き立っていた。
――冗談だろ……。
火球は並の攻撃ではなかった。しかし敵はいともたやすくそれを凌いで見せた。
呆然とそれを見つめる俺に、
「――トア、早く!今のうちに!」
壁からミラが体を乗り出し、手を差し伸べた。
俺がその手を掴むと、ミラは力任せに引っ張り、俺は家の中へと投げ込まれた。
ろくに受け身も取れず、強かに地面に背中を打ち付けて息が詰まった。
「……ありがとう、助かった」
「………………」
ミラは倒れたままの俺に覆いかぶさるような体勢になった。顔が近い。今にも泣き出しそうな面持ちで、俺のことを睨んでいた。
「……ばか」
ミラが絞り出すように言った。
「……死なせないなんて言っておいて、なんで死にそうになってるの」
「……ごめん。俺一人でどうにかするつもりだったのに」
俺は弱音を吐いた。
「……でも、やっぱり……俺の力じゃ無理だった。
――届かないんだ、俺の手が。あいつの魔法が凄まじくて、とても近づけない。不意打ちも失敗した。……俺じゃもう、どうしようもないんだ……」
言葉にするたび、無力感が募った。
俺には奴を倒せない。
俺に魔法が使えたなら、きっと、この状況だって打破できたかもしれないのに。
壁越しにバシュンッと風がはじける音が聞こえた。風の防護壁を解除したのだろう。
しかし、攻撃を仕掛けてくる気配はなかった。倒れたケイの様子を確かめているのだろうか。
――どうする……どうすればいい……。
必死に考えていた。
俺の中に魔力はまだ残っている。それをミラに渡し、ミラだけでも逃げてもらうしかないか。俺が注意を引きつけ、可能な限りの時間を稼ぐことができれば、可能性はある……。
ふいに、ミラの顔が近付いた。肌と肌が触れてしまいそうなほどに近い距離。すぐそこで、琥珀色の眼が揺れている。
目が細まった。たぶん、笑った……?
ミラが囁くように言った。
「――私も戦う」
「……いや、駄目だ。ミラだけでも――」
「――それだけは嫌……!」
ミラの瞳が俺を掴んで離さない。
「……もう、逃げたくないの。
私……あの時……なにも出来なかった。お父さんとお母さんが逃がしてくれて……私だけ、一人逃がされて――すごく後悔した。そして今も、トアが同じことをしようとしてる。……そうでしょ?」
「……うん」
「……私ね。嬉しかったんだ。トアが、一緒にいてくれるって言ってくれて。
ここにはもう、誰も、何も残ってないけど……一人じゃないんだって、思えたから……。
だから立てたの。だから戦えたの。だから――」
――もう失いたくないの。
声にならない声が聞こえた。
ミラは額を俺の額に押し当てた。まつ毛すら触れてしまいそうなほどの近さで、金の瞳が瞬いた。
「――だから、私にもトアを守らせて。絶対に、死なせないから」
「――ミラ……」
「だから、いっしょに戦おう」
そんなことを言ってもらえるなんて。
俺は今までにない感情の高ぶりを感じていた。
俺のことを必要としてくれる。
それだけで、心が満たされる。
――俺だって……ミラがいたから、戦おうって思えたんだ。
感謝しているのは俺の方だ。魔法が使えないことを知っても、ミラは俺への目線を変えなかった。ずっと、一人の人間として見てくれていた。
それがどれだけ難しいことなのか、俺は身をもって知っている。そういう環境で生まれ育ったから、知っている。
そしてなにより、俺に行き場を与えてくれた。行く当てのない俺を乗せてくれた。
だから、俺は今ここにいる。
きっと俺たちは互いに互いが必要なのだ。
俺は自然と笑っていた。
答えは定まった。
「――戦おう。一緒に」
俺の返事に、ミラは笑った。
不思議だ。絶体絶命の状況なはずなのに、まったく怖くない。
ミラと一緒なら、この障壁を乗り越えていける。そう確信できた。




