それは分かりきっていること
バレンタイン番外編
放課後。授業を終えたあたしは美弥子と奈々と一緒に下校していた。
その道中での話題は、間近に控えた例のイベントについてである。隣に並んだ美弥子と奈々は興味深々という表情を隠しもせずに、楽しそうに笑みを浮かべてあたしを見た。
「若葉、今年は何あげるの?」
「今年?」
「もうすぐバレンタインじゃないの」
「うん……バレンタインね」
バレンタイン。それは数日後に控えたイベントである。好きな人がいる人もいない人も、その時期になれば何となくわくわくしてしまうような、そんな空気があるかもしれない。あたしだってチョコレートは大好きだし、ちょっと寄ったコンビニとかスーパーにだってチョコレートコーナーが作られている。それを見るとついつい手が伸びそうになるのはあたしだけじゃないはずだ。
でも、今のあたしにはそれは少しだけ憂鬱な単語になっている。表情を曇らせて、二人を見ると二人は不思議そうに顔を見合わせた。
「何?その反応は」
「だってさぁ、去年の悠真くんのバレンタインって知ってるでしょ?」
「あー……」
「あれね。すごかったよね!カバンからも机からもはみ出してたもんね。あたしなんて、ついどんなものかって見に行っちゃったもんね」
「そういうこと!あんなにたくさんもらってるのに、下手なチョコ渡せないよー……」
そうなのである。
悠真くんは学内でも有数のモテ男子なのだ。彼に告白した女子は数知れず、そこまで本気じゃなくてもイベントにかこつけてチョコレートを渡したい人な少なくないはず。それが事実であるように、去年の悠真くんの姿はそんなに興味がなかったあたしですら印象に残るほどのものであった。通学に使っているスポーツバッグはかなり大きいのに、それのジッパーを閉めることもできず、それでも足りないとばかりに紙袋にチョコレートが盛られていたのを記憶している。
「確かにねぇ」
「だから、むしろあげない方が喜ばれるんじゃないかって」
「えー。でも、それはどうなの?」
「そうだよ。あげたほうが良いんじゃないの?」
「いいのいいの。あれだけもらうんだもん。もういらないと思うから」
そう言って力無く笑ったあたしを美弥子と奈々は困った顔で見ていた。
***
その週末。休日なので当然ながら学校は休みで、あたしは予定もなく家でごろごろしていた。
バレンタインという言葉も関係無く、サッカー部は今日も朝から学校のグラウンドで練習試合を行っている。そういう理由もあってデートもなく、あたしはポン太とお父さんと一緒に朝から映画三昧だ。
「若葉。朝からずっとそうやってるけど、バレンタインなのにあげないの?」
「えー。だって、悠真くんたっくさんもらってたもん」
ダイニングで雑誌を読んでいたお母さんがふいに雑誌から顔を上げてあたしを見た。そんなお母さんに言葉を返しながら、あたしは金曜日に見た悠真くんの机を思い出す。教室に着いた途端、悠真くんの机はチョコレートらしき可愛らしくラッピングされたもので溢れ返っていたのである。否が応でも目に付くそれは見ないようにするという言葉は無理なものだった。
そもそも付き合っているとは言え、他の女子が悠真くんに向ける気持ちをどうにかできるというものでもないわけで。悠真くんのことを好きだと思う気持ちを止めることもできないし、それをする権利はあたしには無い。だって、あたしだって悠真くんのことを好きな女子の一人なんだから。
そうは思っていても、やっぱり気持ちは複雑で。本当は何だかんだ言いつつもあげようかな、なんて思っていたのにあれを見たらその中に入っていく勇気は木っ端微塵に砕かれてしまった。
「……もしかして、あの彼氏とは別れたのか?」
「別れてたら、チョコレートなんて作らないわよ」
隣で一緒に映画を見ていたお父さんが恐る恐るといった空気で聞く。そんなお父さんにお母さんが呆れたような声で否定した。
「だって、バレンタインなのに家に居るじゃないか」
「悠真くんは部活なの。それにチョコは悠真くんにあげるために作ったわけじゃないもん。毎年、お父さんと樹にあげてるし」
「そうなのか……」
がっくりと肩を落としたお父さんの膝にポン太が顎を置いて慰めている。
「意地張ってないであげたほうが良いんじゃない?悠真くんだってモテたくてモテてるわけじゃないんでしょう?それに、それだけ貰ってるなら逆に大変なんだと思うわよ。受け入れられない好意を向けられるも辛いはずだから」
「……分かってるもん!あれは全部自分で食べるの!」
お母さんが言っているのは正論だ。だけど、だからこそあたしの心を抉る。
あたしはソファーから立ち上がると、冷蔵庫で冷やしていたチョコレートトリュフを持って自分の部屋に戻った。これはもう全部自分で食べると決めたんだからと言い捨てて。
そして部屋に戻ったあたしは宣言通り、チョコレートを貪り食べてやった。お父さんと樹にもまだあげてないような気がするけど、元の数からいくつか減っていたということは樹はつまみ食いしたのだろうから平気だろう。
甘くてとろけるようなガナッシュの周りのココアパウダーが苦い。だから、あたしの視界が涙で滲むのもその苦さのせいなのだ。
悠真くんはモテる。付き合って二ヶ月も経つというのに、今だになんであたしと悠真くんが付き合っているのか理解できないほどである。あたしよりも可愛い子も綺麗な子もたくさんいるし、頭の良い子もスポーツができる子も、それに面白い子や優しい子だってたくさんいるはず。
あたしは常に不安に駆られていた。
悠真くんのことが好きだ。だから、辛い。いつか悠真くんがあたしよりももっと良い子を見つけてしまうんじゃないか。あたしのことを好きだったのは間違いだったって気付いてしまうんじゃないかって、そればかりを考えてしまうのだ。
「――若葉。若葉!」
「何?……悠真くん!?」
「えっと。……お邪魔してます」
お母さんが部屋のドアをノックしながら名前を呼ぶので、滲んだ涙を拭って顔を上げる。そしてドアを開けると、お母さんの後ろに部活帰りらしいジャージ姿の悠真くんが立っていた。
「呼んでも気付かないんだから。約束してたなら言えば良いのに。――それじゃあ、悠真くん。ごゆっくりー」
「え?ちょ、お母さん!」
「急にごめん。本当は玄関で帰る予定だったんだけど……」
「ううん。お母さんでしょ?ごめんね。人の話聞かないんだから。あの、とりあえず部屋入る?散らかってるけど……」
お母さんはからかうようににんまりと笑みを浮かべて階段を降りていく。あたしは扉を大きく開けて体をずらすと、申し訳無さそうな困り顔の悠真くんを中に招き入れた。
「あの。これ」
「えっと、お花?」
悠真くんは部屋に入るなり、背中に隠していた小さなブーケをあたしに差し出す。だけどそれを見ながらあたしは首を傾げた。
「海外じゃ男から花をあげるのがバレンタインらしいよ」
「えっ、そうなんだ?」
「俺からの気持ち」
「……ありがと。でも、あたしどうしよう!用意してない……。悠真くん、たくさんもらってるからいらないかなって思って」
「いいよ。俺たちのバレンタインは俺から若葉にってことで。……本当は期待してたけど」
「え」
「初めての本命チョコはホワイトデーの楽しみにとっとくよ」
悠真くんは冗談めかしてそう言うと、触れるだけのキスをする。
「……!」
「あ。バレンタインもらっちゃった。チョコの匂いする」
「ば、ばか……!」
にやりと笑った悠真くんはそう言ってもう一度わざと音を立てて唇を触れた。
「本当は若葉怒ってるんじゃないかって思ってたんだ」
「怒ってるって?」
「本命チョコは断わったんだけど、それでも机に入れられてるだけで結構貰っちゃって。同じクラスだから若葉もそれをしっかり見てるし。怒ってるからチョコくれないんだって思って」
首を傾げるあたしに悠真くんは不安そうな顔で呟くように言った。
「……怒ってないよ。ただ、不安だったの。本当にあたしで良いのかなって思っちゃって。他の子と比べられるのが嫌で、結局チョコもさっき全部食べちゃったし」
「俺は若葉が好きなんだよ」
「悠真くん……」
「でも。もし、他に好きな人が出来たら言ってね」
「……若葉。それは俺に対する侮辱だよ。自分が好きな人をそんなに否定されたら腹が立つんだけど」
それはずっと思っていたことだった。だけど、それを口に出した途端。悠真くんは怒りを隠そうともせず、不機嫌な顔であたしを見た。
「だって……」
「信じられないなら信じてくれるまで何回でも言うよ?俺は若葉のことが好きだって」
「……いい!もういいから!大丈夫!」
「そう?」
「ありがと。あたしはもっと自分に自信が持てるように頑張るね。もっとイイ女になるから!」
「何それ。俺は別に若葉は若葉のままで良いんだけど。……ライバルができたら困るじゃん」
あたしの新たな目標を宣言すると、悠真くんは納得がいかないような顔で口を尖らせて言う。だけど、それこそありえない話であたしの口からは笑い声が上がった。
「あはは。ないない」
「あるよ。……俺なんて、ただでさえ人には無いものが付いてるし」
悠真くんはそう言って、自分の耳を視線で指す。そこにあるのはふわふわの白い毛に覆われた二つの長い耳である。
「ええ!それが魅力なのに!」
「そう言うのは若葉くらいだってば」
「そうかなぁ。こんなに気持ち良いのに……」
「若葉。触ったら何するって言ったか覚えてる?」
思わず耳に手を伸ばして、その感触を堪能しているあたしに悠真くんがにやりと笑う。そして身構える間も無く、イケメンの顔が大きくなった。
「え?――んーっ!」
「好きなだけ触って良いからね?」
「触らない!今日はもう終わり!」
「そう?残念」
本当に残念そうな声を出して、悠真くんはにやりと笑った。真っ赤に染まったあたしの顔が熱い。そんなあたしを悠真くんは楽しそうに見遣って、余裕の表情だ。そんな悠真くんにあたしはこれからも振り回されるに違いない。だけど、それがずっと続くように努力せずにはいられないのも、分かりきっていることなのだ。




