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千年華  作者: みづき
一章 目覚めの刻
11/11

<10>

 委員会がお開きになり、茜は見つけた本をさっそく借りて図書室を出た。

 三十分ほどで終った委員会は図書委員長と副委員長を決めて終るだけで、また後日召集するということだった。

 茜は図書室のある二階の階段を駆け下り、下靴に履き替える。

「茜!」

 すると聞きなれた声が耳朶を打ち、茜は顔をあげた。

「遼平」

「今帰るとこ? 俺もさっき委員会終って」

 一緒に帰ろうという遼平に頷いて二人肩を並べ昇降口を出ると、空はすでに赤く染まりつつあった。

 蒼羽には帰りが遅くなると連絡してあるし、寮までの道のりはすぐそこである。

 二、三年生の部活動をしている声があたりに響いており、かけ声や小気味のいい音が聞こえてくる。連れ立って走るジャージ姿の生徒らが視界をかすめた。

 一番後ろで走っているのは仮入部中である茜らと同じ一年生だろう。必死で先輩らに追いつこうとしている後ろ姿を眺めていた遼平は瞳を細めた。

「久しぶりだよなぁ、こうやって茜と一緒に帰るの」

 それこそ中学に上がっても菊乃を含めた三人で登下校は常に一緒だった。家が近いのもあり、自然と帰る方向が同じになるのは当然である。学年が上がるにつれ、からかわれることはあったが特に気にはせず、三人は決まっていつも一緒に帰っていた。

 他愛のない話をして歩き慣れた通学路に三つの影ができる。それは小さな頃から何ひとつ変わってはいなかった。

「茜。本当に何もなかったか?」

「……何もって?」

「最近様子変だし。言いたくないことだってあるだろうけど、俺にはわかるよ。何か隠し事してるんだってことくらい。……俺には言えないことか?」

 右隣を歩く遼平の表情に影ができたのを見て、とっさに口を開こうとした茜はそこでぴたりと歩みを止めた。

 もうしばらく行けばそれぞれの寮が見えてくるところである。内装と同じく綺麗な外観はとても寮とは思えないほどの。

 けれど、茜の視線は前方に静かに佇む森に注がれていた。

「……茜?」

 視線を外せず、森を凝視している茜に怪訝な声がかけられる。

 返事がしたいのに、動きたいのにそれができない。

 ぞわりと何かが背中を走り、悲鳴が喉に絡みつく。先ほどまで聞こえていた部活をしている生徒らの声が遠くなる。

 まだ日の沈んでいなかった空も、急に暗くなり重くなったように感じた。

 不気味な静寂があたりを包んだその時。

「……ぁ」

 ずるり、と闇が動く。

 木々で生い茂った森から、人ならざるものが出てくる。

 茜は目を見開いたまま眼前を見つめ、そして現れたものにひゅっと息を呑んだ。

 森から出てきたのは、一見して人であった。

 けれどそれが纏う空気は異様で、一度もこの目で見なくてもその存在はなんであるかがわかる。

 ――鬼だ。

 低く唸るような声が響く。

 男の姿をした鬼は半鬼ではない。完全に鬼と化した人であったものだ。

「我……を、封ずるか……」

 ゆるりと鬼が近づく。

 長い年月の間、半鬼となっていた者はいずれ鬼へと変わる。

 何百年とある半鬼の寿命。それが途絶えた時、この世のものではない鬼へと姿を変えるのだ。

「な、なんだよあれ……っ」

 隣にいる遼平も、目の前がなんであるのかはわからないがそれが異質のものであると感じたらしい。

 鬼を凝視したまま目を見開いている。

 逃げてと言いたいのに口を開くと喘ぐことしかできず、声は喉に詰まり、体も震えて言うことをきかない。

 頭の中が真っ白になる。

 鬼は、人を喰らう。

 目の前の鬼が笑ったような気がして、茜はぞっとした。

 どうやって、人を喰らうのか。

 一息のままに殺すのか、それとも弄ぶようにして死に絶える瞬間を待つのか――どちらにせよ苦痛しか存在しない。

実体を持たない鬼は人の中でその機会を伺っているのだ。いつか人を乗っ取り、人を喰らうその一瞬を。

「……遼、平」

 身動きのできない茜を庇うように遼平は彼女を背中に回す。ひどく動揺しているのが伝わってきて、彼を逃がさなければと茜は何とか言葉を紡ぐ。

「だめ、逃げて。遼平……!!」

 じっと、血走ったような鋭い鬼の瞳は茜だけを捉えている。隠しもしない憎悪のような感情がちらつく。

「逃げてって、なんでだよ。それになんなんだよ、こいつ」

 遼平は鬼について何も知らない。それを今言ってしまうのか。彼の平穏な毎日を壊すというのか。

何も知らず、楽しく暮らしていた幼馴染に。

 二人の反応を楽しむかのように、じりじりと鬼が近づいてくる。

 初めて目の当たりにする殺気は肌を容赦なく刺し、空気もびりびりと震えているように感じた。鋭く尖った眼光に茜がきゅっと唇を引き結んだ瞬間――一陣の風が吹く。

「まったく。記憶がないというのは厄介ですね」

「茜、大丈夫!?」

 ふわりと風とともに眼前に現れた二人に茜は目を見開く。そのすぐそばで、遼平も状況が全く飲み込めていないのかぽかんとしている。

「今度からは、護符くらいは渡しておきます」

 突然どこからともなく現れた柊が一歩前へ出、蒼羽が茜と遼平を守るように移動した。

 そんな様子に鬼がわずかに身じろぎ低くうめく。

「鬼、ですか。ずいぶんと……無理に降ろしましたね。おかげで乗っ取られてる」

 柊は瞳を細め、懐から一枚の札を取り出した。

 その刹那。

 鬼が飛ぶようにして柊に突進する。あまりの速さに茜は息を呑んだ。

 それそのものが凶器のような拳を振り上げ、それを柊に叩きもうとし――けれどそれを柊はひらりとかわす。そして手に持っていた札が青い炎をあげ一瞬で獣へと変化する。

 低い唸り声を上げて獣は主を守るようにして鬼と対峙し、その体を低く構えた。

「柊っ……!! 蒼羽!」

「大丈夫。あれは鬼っていっても結構下級だから」

「でも……!!」

 悲鳴のような声で叫ぶ茜をあやすように蒼羽が彼女の肩を叩く。

 しかしあの打撃を食らわされれば、ひとたまりもない。尋常ではない腕力で振り下ろされた拳を柊は軽く避け、その隙に獣が鬼へと牙を剥く。

 あまりにも現実離れした光景に茜は息を呑み、その場から動くこともできず両手をぎゅっと握り締めることしかできなかった。

 柊は獣に意識をそらされている鬼に向かって懐から出したもうひとつの札を投げつける。

「去りなさい。ここはあなたたちがいていい場所ではない」

 その瞬間閃光があたりを占め、茜は思わず目を閉じた。目蓋の裏が光に包まれる。

 呻くような声が聞こえたのと同時に光は消え、そろりと瞳を開く。

「え……お、鬼は……?」

 体に纏わりつくような闇は消え、いつの間にか校庭からする部活動の声も聞こえてきていた。目を瞬いて茜はあたりを見渡し、何の異変もないことを確認する。

「蒼羽、さっきの鬼って」

「うん。柊が祓ってくれた」

「……あの男の人は」

「残念ながら、手遅れですね」

 傍にいたはずの獣はすでに護符に戻っており、柊はそれを懐へ直しながら小さく首を振った。

「それにあれは生まれながらではない。――にしても、おかしいですね」

「だよね。まだこのあたりも結界の余波は残ってるはずなのに。それにまだ完全に結界は消えてないんでしょ?」

「はい。それがどうして〝鬼〟までもが簡単に……」

 鬼の中ではかなりの下級にあたるものまでもが、結界の中ですんなりと動けるのか。

「――ちょっと待てよ!!」

 眉を寄せる柊と蒼羽に、遼平の声が響く。

「なんなんだよ今の! それにお前ら――茜! やっぱり何かに巻き込まれて……!!」

「ち、違うの遼平!」

「何が違うんだよ!? こんなことになってて今更誤魔化せるわけ――」

 慌てて腕を掴む茜にいまにも掴みかからんとする遼平が叫ぶ。

「話してはどうですか」

「柊!?」

「いずれはわかることです。それにあんな下級の鬼がここにいる時点で結界は意味をなくしている。その原因は不明ですが……少なくとも、これから同じようなことが起こると思いますが」

「……で、でも」

 茜は唇を噛む。

 すべてを話すか、否か。

「話してください。全部。何が起こっているのか」

「遼平」

 俯く茜の肩に手を置いて、遼平が二人に近づく。

「茜、話せ。何が起こってるんだよ」

 じっと見つめてくる瞳を見返して、茜はわずかな逡巡のあと頷いた。

 かいつまんで話した、あまりにも現実離れした、普通なら笑われるであろう内容を遼平はじっと黙って聞いていた。

 やがてすべてを話し終えると、遼平はちいさく唸った。

「鬼……それ、俺聞いたことあるかも」

「え?」

「昔、結構小さなころなんだけど……兄貴が話してるの聞いたことあるような」

 うーん、と記憶を辿るように首を傾げる。

 思わず蒼羽の顔を見てしまった茜は、彼がわずかに小首を傾げるのを見た。

「ある程度の歳になったら、親から聞かされるらしいけど……そのとき、君がたまたま聞いちゃったってことかな」

「たぶん、そうなんだろうと思う。兄貴、あれから様子ちょっと変だったから」

 冷静に装うとしていた兄は、たびたび何かに脅えるように震えては遼平を見てはっと取り繕ったように行動することが多かった。

 何も知らない幼かった遼平はそのときこそはわからなかったが、今になっては兄がなぜああも脅えるようになったのかがわかる。

「遼平さん、とおっしゃいましたね。ひとまず今日のところは部屋から出ないように。生身の人間が鬼と出会えばただでは済みません」

「……茜は? 茜だって狙われてるんだろ」

 蒼羽の中に巣食う鬼神を封じるため、転生を繰り返すという茜のことを信じてくれた遼平は柊の言葉に眉を寄せた。

「彼女は心配いりません。――それとも、あなたが守れるとお思いですか」

「……」

「遼平。私は大丈夫だから、部屋に帰って。……あと、このこと菊乃には」

「わかってる。言わねぇから」

 柊の言葉にぐっと言葉に詰まった遼平は茜に頷いてそのまま男子寮へと戻っていった。

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