●+第6話「重要なルールについて」
辰の仮面を届けるため、私とウイ、メイ、シュウの四人はチハヤの部屋へ向かう。
案内してくれたウイのあとに続いて辿り着いたそこは、図書館のように広々とした空間だった。
その本の多さに圧倒されて、私は思わず目を丸くしてしまうほどだった。
壁一面に本棚が並び、床には積まれた本の山。
本に囲まれたその空間は、まさしく書斎というより知の蔵という趣だった。
扉は開きっぱなしで、中にはすでに何人かの姿があった。
どうやら部屋の片付けはほとんど終わっていたらしく、皆がそれぞれ本を棚へ戻している最中だった。
黙々と本を整理しているのはコハク。
信じられないほどの量の本を器用に抱えているのはトウマ。
そして一人だけ片手間に作業をしているようで、本を読みながら動いているのがシンだった。
「チハヤ先生ー!」
ウイの明るい声が室内に響く。
呼ばれたチハヤが、作業の手を止めてこちらに振り向いた。
「おや、どうしました?」
何か困りごとでもあったのかといった様子で、穏やかに歩み寄ってくる。
その背後からはコハクとトウマも後に続く。
ただ一人、シンだけは本から顔を上げずこちらに目を向けることはなかった。
「これが落ちてて……」
私はそっと手の中の仮面を差し出す。
「ああ、これはシンの仮面ですね。またどこかに置いてあったのですか?」
チハヤは少し困ったように苦笑して、差し出された仮面を見る。
けれど、手を伸ばして受け取ろうとはしない。
「置いてあったどころじゃないよ。今日は落ちてて、コイツが踏みそうになってたんだよ」
隣でメイがぶっきらぼうに言う。
「踏みそうになったんじゃなくて……ちょっと、蹴っちゃっただけ……」
私は小声で訂正を入れた。
「それは……まぁ、なんというか。踏まなくてよかったよ、本当に」
コハクが、どこか微妙な顔つきで呟く。
「あれが壊れてたら、シンシン──そのままサヨナラだったかもねー」
いつもの軽い調子で、トウマが笑いながら口にしたその言葉に時間が、ほんの一瞬だけ止まった気がした。
私は思わず固まってしまう。
「……え?」
聞き逃せない一言だった。
「ちょっと待って、トウマ」
隣にいたコハクが、思わず手を伸ばしてトウマの腕を掴んだ。
「え? なに? なんか悪いことでも言っちゃった?」
当の本人はきょとんとしている。
「いや、だってそれは……さ」
コハクは困ったように、私と仮面とを交互に見ている。
言葉を選ぼうとしているようだった。
「彼女も知っておくべきだから、いいでしょう」
沈黙していたチハヤが、静かに口を開いた。
「…………先生がそう言うなら、俺は黙ります」
コハクは渋々トウマの腕を離し、納得しきらない表情を浮かべながらも従った。
「どういうこと?」
私はチハヤに向き直る。
「私たちが“干支”の役割を持っていることは、自己紹介のときに知ったと思います」
「うん。チハヤが酉で、コハクが寅で……」
記憶を頼りに私は指を折りながら口にしていく。
「よく覚えていますね」
チハヤが柔らかく微笑む。
まるで本物の教師のような穏やかさだった。
「輪廻の園には、いくつかルールが存在しています」
「本当の名前を知られちゃいけない、っていうやつでしょ?」
「はい、それも大事なルールのひとつです。しかし、それ以外にも絶対的なルールがあるんです」
チハヤの表情が、少しだけ硬くなる。
「“輪廻の園”には、十二人までしか存在できません」
「……え?」
「そして、その十二人すべてに一つずつ“役割”が与えられている。それが干支です」
胸の奥が、何かにぎゅっと締め付けられる。
──園には、もう十二人。
その中に紛れ込んでいる、自分。
巳や戌が口にしていた“余計な一人”という言葉の意味が、ようやく輪郭を持って現れ始めた。
「……もし、十二人より人数が多くなってしまったら?」
「どうなるのかは分かりません。これまで一度も、そんな事態は起こっていませんから。何かが起こるかもしれないし、何も起きないかもしれない。そこは“神のみぞ知る”ことです」
言い回しは穏やかでも、その中に含まれる意味は重すぎた。
「……」
「干支役にはそれぞれ、自身の干支を模した“仮面”が与えられています。そしてこの仮面は、私たち自身と等しい存在です」
「……言ってる意味が、分からない……」
思わず呟く。
「俺たちと“繋がってる”んだよ。だから、壊れたりしたら──死ぬ」
メイがはっきりと言う。その瞳には、冗談の欠片もなかった。
「死ぬ……? そんな、大事なものが……地面に落ちてたっていうの?」
「……死ぬんだよ。信じられないなら、やってみれば?」
メイの指先が、私の手の中──辰の仮面を示す。
あり得ない。
そんな話、信じられない。
けれど信じざるを得ない何かがこの場にはあった。
「分からない……みんなが何を言ってるのか、全然分からないよ……」
情報が多すぎて、処理しきれない。
脳が理解するのを拒絶している。
十二人? 干支? 仮面? 私は何者なの?
頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
思わずチハヤから一歩、また一歩と距離を取る。
胸に仮面を抱える手が、震えていた。
そのとき、横で伸ばしかけた手が一つあった。
コハクの手だ。何かを言いたげに、私に向かって手を伸ばしかけたけれど、私が後ずさったことで、その手は空を切った。
「あーっ! そろそろご飯の準備しなきゃ!」
ウイが、わざとらしいくらいに明るい声を上げた。
「ミヤちゃんはどう? 食べられそうなら、一緒に準備しよ?」
「…………」
私は何も言えなかった。
「……それとも、少し一人になってみる?」
その言葉に、私は小さく頷いた。
場を変えてくれようとしたウイの優しさを、今の私は受け止めきれそうになかった。