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箱庭から歪んだ愛を君に。  作者: 泉出流
第1章【十二支達の箱庭】
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●第5話「開かない扉と仮面、そしてイヌ」

「はーい、じゃあ案内係のウイちゃんにお任せあれ〜!」


勢いよくそう宣言すると、ウイは私の手を取って軽やかに広間を出た。

掌は小さくて柔らかく熱を帯びている。

ぷにぷにしていてまるで子どもの手みたいだ。

少しだけ微笑ましい気持ちになる。


広間を出た廊下はとても静かで、ところどころに明かり取りの窓が並んでいる。

窓から差し込む光がステンドグラスのような装飾を通って、床に淡い花模様の影を落としていた。


「こっちがね、えーっと……迷ってもいい回廊! で、あっちは迷っちゃダメな回廊!」


まるで遊びのルールのように笑うウイ。

説明しているようで説明になっていない、けれど本人が楽しそうなので否定する気にはならなかった。


「こっちがね、えーっとお風呂! 使う人もいれば使わない人もいるよ!」

「使わない人もいるの?」


思わず問い返すとウイはくるりと振り返り、にこりと笑った。


「使わなくても汚くならないの。例えば、ご飯こぼしたーとか、泥だらけになっちゃったーってなっても」

「……泥だらけ?」


その例えが気になったが、とりあえず頷いておく。


「しばらくすると綺麗な状態に戻るの。自然と、元通りに」

「そう、なの?」

「そうなの!」


きっぱりと断言されたが納得しきれない私を見てか、ウイは少し困ったように眉を寄せた。


「先生が言ってたんだけどね……なんだっけなぁ。えーっと……私たちの体は一定を保つようホゾンされてて、でも、だからって完全に成長が止まってるわけじゃなくて……ええと……うぅん……」

「ウイ、ありがとう。もう大丈夫」


要領は得なかったけれど伝えようとしてくれる気持ちは真っ直ぐで、嘘ではないと思えた。


「つまりは、“何をしても元に戻る”ってこと」


低い声が、背後から降ってきた。

振り返ると、双子の兄弟──メイとシュウが、いつの間にか私たちのすぐ後ろに立っていた。


「腹も空かないし、眠気も起こらない。怪我してもすぐに治る。……バケモノみたいな体ってわけ」

「メイ、そういう言い方はやめてって言ってるだろ」


すかさず窘めるシュウに、メイは鼻を鳴らした。

けれど、その目はずっと私の方を向いていた。

睨むでも、微笑むでもなく。

ただじっと、見つめるように。


「メイの言ってることは全部本当なんだ」


ウイが少し困ったように言う。


「そうそう。食べなくても平気なだけで、食べちゃダメってわけじゃないの。眠気もね、起こそうと思えば起きるし」

「……なんだか、それって本当に」


“生きてる”って言えるの?


そう問いかけそうになった言葉を、私は寸前で飲み込んだ。

その言葉は口に出してはいけない気がした。

ウイは小さく瞬きをしたあと、明るく笑って答えた。


「私たちは、そうしたいから、そうしてるの。ご飯を食べて、眠って、普通の生活をして──“生きてる”って、きっとそういうことだって思うから」

「……」


その言葉にメイもシュウも何も言わなかった。

たぶんそれは反論の必要もないくらいウイの中では当たり前のことだったのだろう。


「こっち来て!」


空気を変えるようにウイが私の手を引いた。

通路を抜けた先。


「畑?」


そこはこじんまりとした菜園だった。


石畳の小径に囲まれた四角い畑。小さな温室と木製の柵。

色とりどりの野菜やハーブが植えられていて、陽光を受けてきらきらと葉を揺らしている。

どこか懐かしい匂いと、ほんのりとした土の温かさが鼻先をくすぐる。


「ここね、ご飯を食べる人みんなで育ててるの。ミヤちゃんもご飯食べるなら一緒に育てようね!」


ウイは嬉しそうにそう言って両手を広げた。

その笑顔はどこまでも純粋で、眩しいほどだった。

この世界の“不気味さ”さえ一瞬だけ、忘れそうになったその時だった。


ふと、背筋がひやりと冷えた。


何かが背後にいる。


そんなザワザワとした不快な感覚が、突然皮膚の表面に浮かび上がるようにして現れた。


振り返っても、そこには誰もいなかった。

ただ、先ほど通ってきた通路の奥。

曲がり角の影が太陽の光の中で、妙に暗く深く沈んでいるように見えた。


「ミヤちゃん?」


私の異変を感じ取ったのかウイが心配そうに顔を覗き込む。

「なんでもない」と返しかけた時──


「……異物」


かすかな声。

それは私の耳元ではなく、どこか遠くから響いたような不思議な感覚だった。

声がした方へ振り返ると、菜園の入り口の柵の前にいつの間にか一人の男が立っていた。


黒い仮面をつけた青年。

漆黒の髪が風に揺れ、淡く色の抜けたような瞳がこちらをじっと見つめている。


「……イヌ君?」


ウイがつぶやくように名前を呼んだ。

彼は何も言わなかった。返事もせず、ただじっとミヤを見ている。


敵意も好意も何も読み取れないその視線。

けれど確かに私の何かを測るような気配があった。

冷たくもなく、温かくもない。

ただ、無音で、そこに在るというだけの気配。


「びっくりしたぁ。さっきまでいなかったのに急に来るんだもん」


ウイが冗談めかして笑う。

けれどその笑みはどこか遠慮がちだった。


「イヌ君はね、あんまり喋らないの。でも悪い人じゃないよ、多分」

「たぶん……?」


思わず聞き返した私の声に、ウイは肩をすくめて笑った。


「うん。誰かを傷つけたところ、私は一度も見たことないし」


そう言ったウイの視線が、一瞬だけ私の肩のあたりを通り過ぎて、すぐに逸らされた。

それが何を意味するのかは、わからなかった。


「っていうか、滅多に会えないかも。しばらく見てないなーと思ったらそこにいたりするし。今見たのは何日振りだったかなぁ」


イヌと呼ばれた青年が、先程ウイが言っていた唯一名をつけられなかったものなのだと即座に理解した。


(失礼だけど、意思疎通が出来なさそうな感じはしてるもんね……)


イヌはやがて何も言わずに踵を返し、ゆっくりと菜園を離れていった。

まるで最初からそこに来る理由などなかったかのように。


「……変な人」


思わず口に出してから、自分でも少し驚いた。

この場所の住人は皆どこか奇妙だ。けれど今の彼は、それとは違う不気味さがあった。


「でも、ミヤちゃんのこと見てたね」


ウイの言葉に、私は思わず視線を足元へ落とす。

視線の熱さも重さもなかったはずなのに、なぜか背中に焼きつくような感触だけが残っていた。


「イヌ君が何かを見るってこと、ほぼないんだよ」

「そう……」


それはどういった意味合いなのか。

詳しく聞くこともできず、私はただイヌと呼ばれた彼が去っていった方角を見つめていた。

もうその姿はどこにもなかった。


「異物……」


彼が私に向けて言った言葉を口に出してみた。

誰にというわけでもなく、そっと呟いた私の声はそのまま風に溶けて消えていった。


畑を後にして、ウイと双子そして私の四人は草木が生える地面から石で綺麗に舗装された小道を歩き始めた。

道の先にまず見えたのは小さな門。

そして柵に囲まれた庭のような場所が見えてくる。


そこは一言で言えば、とても奇妙な場所だった。


足元に咲く花は春のもので、少し先には夏の葉が茂っている。

木々の枝には秋の実が実り、空気の端には冬の霜が漂っている。

見慣れたはずの季節たちが、互いの境界も忘れたように入り混じっていた。


それなのにおかしな違和感は何故か無い。

風も光も音さえもがその混ざり合いを当然のものとして受け入れていて、私の中でもそれを自然なものと受け入れてしまっていた。


(ここはそういう場所なのだ)


絶対におかしいのに、違和感がない。

そんな不思議な場所だった。







「あ」


ふいにウイが立ち止まった。

何かあったのかとウイの様子をうかがうと、彼女は一点をじっと見つめていた。

その視線の先には一つの扉。

まるで木々が扉を守るように隠していたため、パッと見では気が付けなかった。


「ちょっと待ってね」


ウイは扉に近付くと軽くノックした。

控えめに、けれど何度か続けて。

中にいる誰かに届くように。


「ネネー? ウイだよー、今日はね、新しい子と一緒なの。ちょっとだけ顔出せないかなー?」


優しい声だった。

けれど、返ってくる声はない。

沈黙が扉の向こうから返される。


「あの部屋には誰がいるの?」


私は思わず双子へ尋ねた。


「ネズミ役のネネっていう子がいるんだ」


答えたのはシュウだった。


「ウイと仲が良いんだけど、ここ最近ずっと出てきてない。もう何日になるかな……」


なんてことのないような口振りだったが、その表情には微かに曇りがあった。

メイは何も言わなかった。

ただ、無言で扉を見つめていた。


「……そうなんだ」


やがて声をかけて満足したのか、ウイがこちらに戻ってきた。


「今度ミヤちゃんにも紹介するね!」


そう言って笑った顔は、どこか少しだけ寂しそうに見えた。


「私も、会ってみたい」


そう返すとウイは嬉しそうに笑って大きく頷くと明るい声で歩き出した。


「さーて、次はどこ行こうかなー!」


無反応な扉の前を離れ、歩き出そうとしたその時だった。

足元で、何かが小さく跳ねるような音を立てた。

カラカラ、と乾いた音。

私のつま先に当たって、石畳の上を転がっていった。


「?」


しゃがんでそれを拾い上げる。

それは黒と金の装飾が施された仮面だった。

そういえば皆同じような仮面を持っていたことを思い出す。

きっと誰かのものをうっかり蹴ってしまったのだろう。

無地に近い飾り気のない仮面。

モチーフは何となく爬虫類に似ていた。


(……トカゲ? いや、違う。ドラゴン……辰?)


「アイツまた落としてるの?」


私の持っている仮面を覗き込むようにして見たメイがため息混じりに言った。

シュウも特に驚いた様子はなく「それはシンの仮面だよ」とだけ呟く。


「シンの?」

「最後に来た辰のヤツだよ。よく仮面落とすんだ。……そこら辺に捨てとけば?」


メイの言葉はさすがにとんでもないと思った。


「そんな事出来るわけないでしょ! 大事なものだってメイも分かってるでしょ」


メイを叱るような口調でウイが怒る。


(やっぱり大事なものなんだ)


皆が持っているのを見かけているため、何となく大事なものなんじゃないかという気はしていた。

私は仮面をもう一度見つめた。

思っていたよりも重みがあって、どこかひんやりとしている。

辰の仮面ということはこれはドラゴンを模されているではなく、辰を模しているのだろう。


(十二支の辰……)


だったらきっと他の干支役も同じように自分の干支を模した仮面を持っているのだ。


(じゃあ干支に入っていない猫の私は?)


仮面は持っていないけど、それは“猫が干支じゃないから”なのだろうか。

そもそも干支って何なのだろうか。

今度誰かに尋ねてみようか。


「その仮面、どうする?」

「──え?」


仮面を眺めながら考え事をしているとふいにウイに問われた。

私は少し考えてから


「届けに行く」


と、答えた。

その答えにウイは何故か満足したように笑って向かっていた方向とはまた別の方向を指さした。


「そうだよね! ミヤちゃんならそういうと思った! シンシンならチハヤ先生のとこにいると思う」

「えぇ……わざわざ行くわけ? お人好し過ぎない?」


メイがうんざりと面倒くさそうに言う。


「じゃあメイは着いてこなければいいじゃん! ね、ミヤちゃん行こー」


ウイにそう言われ、私は無言で頷いた。


「べっ、別に行かないなんて言ってないだろっ!!」


メイは着いてこないのかと思いきや、文句を言いながらもしっかりと着いてきていた。

勿論シュウもツンツンしている弟を困ったように見遣りながらゆっくりとした歩幅で一歩後ろを歩いてく。

こうして私たちは、仮面の持ち主を探して再び歩き出した。







──向かう先には、四人の姿がある。

静かに片付けを終えかけている、チハヤ、シン、トウマ、そしてコハク。


このあと私は“この世界のルール”というものに、初めて少しだけ触れることになる。


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