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箱庭から歪んだ愛を君に。  作者: 泉出流
第2章【扉の向こうの真実】
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●第1話「初めて知る自分の輪郭」

「コン、コン──」


ノックの音で、私は夢うつつな状態から飛び起きる。

先に目覚めていた様子のウイが「はーい!」と元気よく返事をすると、すぐにドアを開けた。


「おはよう、ゆっくり寝られたかしら?」


そこに立っていたのは長身でスラリとした美しい人物だった。


「エンジュ?」


滑らかな長髪に軽やかな動作で、くすんだピンク色のタオルと櫛を片手に小さく笑う。


「ミヤちゃんの分のタオルと櫛、持ってきてあげたの。いくら元に戻るって言っても身だしなみくらいは整えないと、でしょ?」


エンジュの提案に私は少し戸惑ったように瞬きをした。


「あらぁ髪の毛、ぐちゃぐちゃね。うふふ、女の子なんだからもうちょっと気をつけてね?」


エンジュは容赦のない笑みで言いながら、するりと部屋の中へ入ってきた。

ウイはまったく気にした様子もなく、ベッドからぴょこんと立ち上がる。


「ミヤちゃん。エンジュお姉ちゃんってね、髪結うのすっごく上手なんだよ~!」

「そうよ、エンジュお姉さんに任せなさーい」


エンジュはまだ状況が上手く掴めない私の肩を掴み、ぐいぐいとやや強引な様子で部屋の隅に置かれた小さな鏡台の前へ導く。

一瞬、戸惑ったが抵抗はしなかった。ただ黙って、促されるまま椅子に腰を下ろす。


鏡の中、そこに映ったのは初めてみる自分の顔だった。


透明感のある肌。長いまつげ。少し眠たげな瞳。

白い指が、髪をすくうたびにそよ風のように揺れる。

誰かが「綺麗」と言いそうな顔。


でも——


(……これが、“わたし”なの?)


違和感しか感じなかった。

鏡の中の少女も困惑した表情を浮かべている。

私が下を向けば彼女も下を向き、横を向けば同じように首を傾ける。

たしかに動いてまばたきもしている。

だけどその顔に私は何も思い入れが無かったのだ。


過去。名前。顔までも。

自分の物なはずなのに、私は一切知らない。


「違和感感じる?」


鏡をじっと見つめる私に突然、エンジュが言った。


「誰だって最初はそうだから気にしなくて良いのよ。ここに来た時って記憶を失ってるって話はチハヤより聞いたわよね。そのせいなのかしら? 自分の顔を見た時って、なんか“借り物”みたいに感じるのよ。私もそうだった」


私は少し目を見開いたまま、ゆっくりと鏡の中のエンジュを見た。

柔らかい物腰に反して、どこか遠くを見ているような瞳。


「さ、綺麗にしてあげるから動かないで。髪、絡まってるわね……何これ、後ろの方とんでもなく絡まってるじゃない!」


優しくけれど手際よく、エンジュの指がミヤの髪に通る。

その手の動きがどこか心地よくてミヤは静かにまぶたを伏せた。

誰だってそうだと言ってくれた言葉に私は確かに安堵していた。


「はい、できあがり。うん、我ながら完璧」


エンジュが満足そうに手を離すと私の髪はきちんと整えられ、うなじのあたりで優しくまとめられていた。

あまりに手際が良くあまりに自然な振る舞いに、私は借りてきた猫のようになされるがままだった。


「次はお顔だよー! ミヤちゃん、じっとしててね!」


続いてウイが軽く絞ったタオルを手に笑顔で迫ってきた。

強引な調子だが手つきは優しい。

問答無用で私の顔を拭き上げる。

少し冷たい感触が、私の頬や額をそっとなぞる。


「うわ、肌もきれいで羨ましい!」

「ウイの肌もきれいよ。本当、羨ましいわぁ……」


私の顔をごしごしと拭きながらそんな話をする二人。特に後半のエンジュの言葉にはしみじみとした羨望が溢れていた。


「私、こういうお世話するの結構好きなんだ。前にチハヤ先生にもしたことがあるのよ!」

「……したわねぇ。あの時は“必要ないです。今すぐやめて下さい”って言われたけど」

「トウマちゃんは大人しくさせてくれるのになぁ」


くすくす笑うふたりの会話を、私はぼんやりと聞いていた。


「さて、と。アタシは先にキッチンに行ってるわね。朝の仕込み、まだ残ってるのよ」


そう言って、エンジュは優雅に身を翻し、タオルを手に部屋を出ていった。

背中越しにふわりと香る、紅茶のような優しい匂いだけが残る。

その余韻だけが、空気にゆっくりと溶けていった。


「じゃあ、私たちは畑に行こっか! 今日の朝ごはん、何が穫れるかな~♪」


ウイはいつもの調子でぱたぱたと窓を開け、差し込んできた朝の光に目を細めた。

その無邪気な背中を追いかけるように、そっと私も立ち上がった。


扉をくぐると、外の空気は澄んでいて、少しだけひんやりしていた。

足元の小道には、朝露をはじいた草の香り。空はまぶしいほどに青く、けれどどこか、やはり現実味に欠けている。


「こっちだよ、ミヤちゃん」


振り返ったウイの笑顔に導かれ、私は一歩ずつ、畑のある方角へと歩き出した。

まだ気持ちは整理出来ていない。

けれどほんの少しだけ軽くなった歩調に、自分でも気づかないまま。朝の小道を私は静かに歩き出した。




朝の空気はどこか透き通っていて肌を撫でる風が心地よかった。


ウイの後ろをついて歩くたび、足元の小道に小さな音が鳴る。露に濡れた草葉がきらきらと光っていて、まるで宝石の絨毯の上を歩いているようだった。


「ご飯はね、自給自足なの。ほら、私たちって食べなくても平気でしょ? だから“食べたい人”だけ、食べ物を作って食べるの。だから畑!」


”作る”という言葉には調理だけじゃなく、畑で育てることも含まれているらしい。


ウイの足取りは軽く終始にこにこと嬉しそうだった。

その笑顔に釣られて私もほんの少しだけ口元を緩める。


どこまでも穏やかでみたいに綺麗な景色。

けれどそこには、確かに誰かが手をかけて整えた気配があった。


畑が近づくにつれ、土の匂いと微かに混じる草木の香りが鼻をくすぐる。


そして私はふと思う。


(……私はもっとここのことを知らなきゃならない)


色々な情報に混乱していたけれど、ちゃんと知ってから考えよう。

まずは目の前のことを丁寧に見ていけばいい。


少しだけ、私は前を向いた。


視界の先に広がっていたのはきちんと区画された畑だった。

並ぶ野菜。芽吹いたばかりの苗。朝露に濡れた葉。

その一角に誰かの姿を見つけた。

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