●■第2話「琥珀色の寅と初めての収穫」
朝の光の中で静かに屈み、土を撫でるようにしていたのは琥珀色の髪を持つ青年だった。
柔らかな陽光を受けてその髪もまた金色にきらめいて見える。
指先でそっと苗に触れるその姿はどこか神聖で、なんだか何かの“儀式”を見ているようだった。
「あ、コハクくーん! おはよう!」
ウイが手を振ると彼、コハクはゆっくりと顔を上げた。
「おはよう、ウイ。……ミヤさんも一緒なんだね」
柔らかな声。
私の名を呼ぶとき、ほんのわずかに迷ったような間があった。
「ミヤでいい」
「そっか、ありがとう。ミヤ、俺のハーブティーは役に立った?」
そう尋ねられ、私は少しだけ迷ってから小さくうなずいた。
「……多分。美味しかった」
「それならよかった。気に入ったならまた作るからいつでも声をかけて」
それだけ言うと彼はふたたび苗に目を落とす。
でも今度は背を向けず、私たちの方に顔を向けたまま手だけを動かしていた。
「何してるの?」
ウイが身を乗り出して尋ねる。
コハクの手元には、まだ小さな苗が数本並んでいた。
「新しい苗の様子を見てたんだ。根がまだ弱くてね。少し陽を避けた方がいいかもしれない」
「ふむふむ……」
はたして分かっているのかいないのか。
神妙な顔で頷くウイに私は思わず笑いそうになった。
「ねえねえミヤちゃん。コハクくんってね、すごいんだよ!」
「すごい?」
私が首をかしげるとウイは声をひそめる。
「“植物育てる天才”なの!」
「天才だなんて、大袈裟だよ。ただ好きなだけ」
コハクは苦笑してそっと指先を土へ差し込んだ。
何故か時間がほんの少しだけ引き延ばされたように感じた。
気のせいかもしれない。
でも確かに何かが変わった気がした。
苗の葉がふるりと震え、ほんの少しだけ背が伸びたように見えた。
(……いま、何か……? いや、気のせい?)
頭ではそう思っても、胸の奥には小さなざわめきが残った。
「いま、あの苗……」
「ああ、ちょっとだけ元気になるように。“おまじない”みたいなものだよ」
そう言う彼の視線がすっと私をとらえた。
探るような、どこか試すようなそんな眼差し。
心が薄い膜に触れたように引っかかる。
私は反射的に目をそらした。
「ほんとにすごいんだから! 前にね、枯れかけた花を生き返らせたこともあるの!」
すぐ隣で、そんなウイの明るい声が響く。
「それは……偶然だよ。あの子は、ただ生きてただけ」
花のことを“あの子”と呼ぶコハクに、私はこの人が本当に花を大切にしているのだと感じた。
照れたように笑う彼の横でウイは不満げにほっぺを膨らませる。
「謙遜ばっかり~。ね、ミヤちゃんもすごいって思ったでしょ?」
私は少し迷って、正直に答えた。
「……すごいと思った。……その、手の動きが、綺麗だった」
コハクは、ふっと目を細めた。
「ありがとう。君にそう言ってもらえると嬉しいよ」
優しい笑顔だった。
けれどその奥に微かな揺らぎ。
沈殿した何かが、その奥にある気がした。
「さて! じゃあ朝ごはん用に、お野菜収穫しちゃおう!」
ウイがぱん、と両手を打ち鳴らすと、軽やかに畝を飛び越えてゆく。
その背中を見ながら私は少しだけ戸惑ったまま、その場に立ち尽くしていた。
「ミヤちゃんは、どれが何の野菜かわかるー?」
少し離れた場所からウイが手招きしながら振り返る。
土に顔を覗かせた葉や茎は、どれもよく似ていて私には正直見分けがつかない。
「ううん。ごめん、全然。どれも全部同じに見える」
「あははっ!」
「よく見ると実はちょっと違うんだけどなぁ」
笑うウイと少し困ったように微笑むコハク。
「じゃあね、今日は簡単なのにしよ! これはにんじん。葉っぱの形がこういうギザギザで、茎がちょっと赤いのが目印。……でね、こうやって根元をしっかり持って──」
するりとウイの手元から、オレンジ色のにんじんが顔を出した。
「こうやって引っこ抜くの!」
「……すごい」
「えへへ。ミヤちゃんもやってみよ!」
見よう見まねで手を伸ばすけれど、どうも感覚がわからない。
手応えがふわふわして茎を掴んでもすぐに抜けてしまう。
「あれ?」
ウイはあんなに簡単そうに抜いていたのに。
どうやって抜いていたのかコツを聞こうと、顔を上げるとウイはもう別の野菜の収穫に行ったのかその姿は遠くに見えた。
どうしようかと途方に暮れていると、
「もうちょっと深く握ってみるといいよ。根の方を意識して」
ふと横から、静かな声がした。
振り向くといつのまにかコハクがそばに来ていて、私の手元を見つめていた。
「ちょっとごめんね……ほら、ここらへんを持つといいと思うよ」
「……!」
私の前に回ってしゃがみこんだ琥珀は、一度謝罪してから私の手を葉の下の方まで導いた。
驚きはしたものの、その仕草は実にスマートで慣れていると感じさせるものだった。
意味ありげにじっと見つめていると、その視線に気が付いたのかコハクが顔を上げる。
「なにかな? その意味ありげな視線は」
「……手付きがスムーズ過ぎて女性慣れしてそうなんて思ってない」
「は!?」
思わず出た言葉にコハクが目を見開く。
「ミ、ミヤ!? なんてこと言うのかな!?」
「だって、自然すぎて……」
「教えるためだよ!」
慌てて手を放し、顔をそむけるその耳はほんのり赤い。
「とにかくさっきの位置を持ってひっぱれば取れると思うから……」
「うん」
私はうなずいて言われた通り、下の方をぎゅっとしっかり持った。
ぐっ、と手応え。
その感覚に身を任せるように、そっと持ち上げると、ひとつのにんじんが土の中から現れた。
「できた……!」
小さなにんじん一本。
けれど今の私には、それが大きな一歩のように思えた。
「初めての収穫おめでとー!」
いつの間にか戻ってきていたウイがぱちぱちと手を叩いて喜ぶ。
私はそのオレンジ色の根っこを見つめながら、胸の奥にふわりとあたたかい何かが灯るのを感じた。
「うん、ありがとう。コハクも教えてくれて助かった」
「これくらいなんて事ないよ。……でもあまり俺をからかうのはやめて欲しいな」
「なになに? なんかあったの? あれ、コハクくん顔赤い?」
「気にしないで。ほんと気にしなくていいから」
コハクは苦笑いをしながら手のひらで頬を隠した。
その横顔はまだ少し赤かった。
ウイは気になるようだったが、それ以上は聞いてくることもなく畑から駆け出す。
その両手には何種類かの野菜が抱えられている。
私がにんじん一本に手間取っている間に収穫したのだろう。
「二人とも朝ごはん分は十分集まったからそろそろ戻ろー!」
「そうだね、あまり遅くなるとエンジュが怒りそうだ」
動き出すコハクに続いて私もウイの元へと足を向け、畑を出る。
(次はもう少し収穫できたらいいな)
昨日より少し軽くなった足取り。
空を仰げば、どこまでも澄みきった青。
けれどふと、あの“苗が揺れた瞬間”のことが頭をよぎる。
あれはなんだったんだろう。
ちら、と視線を送る。
私の前を歩くコハクの目は、静かにウイの背を見つめていた。
けれど、その瞳には。
さっきまでの柔らかさは、もうどこにもなかった。




