第二十四話 圧倒
カミラさんが叩き込んだ空前絶後の斬撃は、大広間を二分した。
文字通りだ。
刃が大きすぎて、カミラさんより前にあった物体は壁ギリギリまで真っ二つに斬られていた。もちろん階層主も含めて。
半透明の塊は綺麗に二つに割れていた。戻る気配もない。
しばしの沈黙。
そして、一人が雄叫びを上げたのをきっかけに、歓声が湧いた。
みんなが右腕を振り上げ、勝利を確信した。
『こちらジーモン! 対象の生体反応は消えていない!』
『総員油断するな! 攻撃を継続しろ!』
最後の仕上げと言わんばかりに攻撃が再開される。
誰一人油断していない。
俺は後方で付与に徹し、カミラさんは指揮の傍、二撃目を加える準備をしている。
真っ二つになった階層主は切り刻まれて焼かれてその大きさを失っていき、俺の索敵技術でもその生体反応は弱まっていることがわかる。
対応は最善。これ以上の案はない。
だけど、雨が止んでいない。止む気配がない。
『こちらジーモン! 対象は沈黙した!』
今度こそみんなは勝利を確信した。
歓声と、拍手すら上がった。
けど、俺は素直に喜べなかった。
なんだ、何に引っかかっている?
雨か?
いや、階層主をここまで容易に撃破できたことか?
容易じゃない。脅威を感じる前に処理しただけだ。
準備は十分にしていた。初動を間違えていればある程度の被害があったくらいには強力な階層主だった。
圧倒的な数で押し込めたからこそ早期決着が実現したんだ。
だけど違う。何かがおかしい。
周りを確認するために振り返ろうとして、水に足を取られた。
転びそうになった。
気付けば大広間全体に足が浸かるほどの水が張っていた。
「これは……?」
先ほどまでの流れを思い出す。
突然の降雨に合わせて階層主は現れて俺たちを襲ってきた。
それはいったい何を意味している?
普通に考えれば、雨が降ってきたタイミングに合わせて俺たちに襲撃をかけてきたのだろう。
しかし、もしも、もしもだ。
この階層の階層主が、雨を降らせる権能を有していたとしたら?
頭を振る。飛躍してる。考えても仕方がない。
言うなら別の方面だ。あくまで有用性が認められる策の範囲内で。
『カミラさん、ヴィムです』
『どうした』
『水位が上がってきています。半水生のモンスターの行動が活発になると思われますし、そして多分やつらは水の中の方が速く動けます。こちらの移動速度も下がっていることも』
『……依然危機は脱していないと、言いたいわけだな?』
唾を飲んだ。
『はい』
『よく言ってくれた。すまない、私も舞い上がっていたようでな。階層の仕掛けも割れたことだし成果は十分だ、撤退する』
拍子抜けだった。
カミラさんはあっさりとしていて、即座に全員に気を引き締めるように全体伝達が下された。
足元を取られながら陣形を組み直し、その途中に水位が上がっていることに気付くと、みんな自分たちが置かれている状況を思い出したみたいだ。
パーティー全体に確かな熱の傍、冷静さが戻り始めた。
『それでヴィム少年、撤退のプランは残っているか』
昨晩の苦労を披露するときが来て、俺はちょっと得意げになった。
『はい、北西の通路で恐らく水を迂回できるところがありまして、距離はあるんですけど膝くらいの──』
破裂するかのような水音と、ほんの一瞬遅れて大きな振動、そして足元の水が波になって俺たちを襲った。
防御する暇もなく尻餅をつく。
何か巨大な物が落ちた。それだけはわかった。大広間の端っこだ。
目をやる。
豪雨の隙間を縫って見えたのは大きな、さっきよりも大きな半透明の塊。
とにかく巨大だった。その姿は軟体動物であるように見受けられ、一番近い形は蛞蝓だろうか。
水分を多く含んだ半透明の体。頭には二本の角のような器官があり、全身に血管のような線が複数本見えて複雑に張り巡らされている。
背中は大きく膨らんでいて、ヘドロの塊のようなものが浮くように淀んでいる。
そしてその塊から背の体表に伸びた腺があり、青が混じった黒色の靄が規則的に噴射されている。
こっちが本物の階層主であることは、言うまでもなかった。
遅れて、四方からまた何か大きな物が落ちた水音がした。
それはさっきの階層主とまったく同じ丸い半透明の塊だった。
それも複数体。
壁に沿って落ちてきて、俺たちを囲んでいく。
伝達が次々に飛び交う。
混乱していた。
目の前の光景を述べることはできても、把握ができない。
絶対的な危機が訪れていることはわかるのに、どうすれば良いかわからない。
『落ち着け!』
そんなときにみんなを一喝したのは、やはりカミラさんだった。
『一塊になって防御の陣を張れ!』
指示が体を動かした。
思考を止めて動かなきゃいけなかった。
カミラさんの存在感が有難かった。
視界が悪くても彼女だけは目立つ。
水を吸ってすっかり重くなった衣服を引きずって、定位置であるカミラさんの後ろまで走った。
なんとか陣が出来上がる。
これからどうする?
決まっている、撤退だ。
本物の階層主に複数体の取り巻き付き。
【夜蜻蛉】は最大のパーティーではあるが、それでもこの数を物量で押し切れるほどじゃない。
「おい!」
でも物理的に逃げ道が防がれている。
戦うしかない?
どこまで戦える?
退路の保証は?
追撃される恐れは?
「ヴィムさん!」
背中を、バンと叩かれた。
顔を上げればそこに見えたのは盾職のマルクさんだった。
「そう俯くんじゃねえよ、あんたほどのお人が本気で暗い顔してるのはよかねえ。周りを見ろ」
言われて周りを見る。
厳しい顔こそすれ、誰も絶望はしていない。
混乱しながらも立ち向かう気持ちに切り替えている。
総勢百名超えの大集団の中、あたふたしているのは俺だけ。
「はい!」
反省した。
そうだ、圧倒できる保証はないだけで不利じゃない。
戦力は十分。危機が迫っているだけであって、まだ被害は出てない。
ここから全員が生きて帰るんだ。
見定めろ。そして俺にできることを確実に遂行しろ。
自分に言い聞かせて、前を見る。
豪雨の中、階層主の体がうねうねと震えた。
何かが来るとわかった。
指示は防御。つまりカウンターを警戒して、相手の出方を見ろということだ。
盾役のみんなに付与する。構えは万全。いつでも来い。
階層主の体から、ゆらゆらと何本もの触手が天に向かって立ち昇った。触手はうねうねと揺れて瞬く間に数を増やしていく。
階層主だけじゃない、周りの取り巻きも同じように触手を天に向かって大量に掲げる。
『総員、衝撃に備えろ! 凌いだのち、あの大きいのに突撃する!』
カミラさんの指示が飛ぶ。
今か今かと攻撃を待つ。
恐怖に耐えながら俺ならできると言い聞かせる。集中力を高める。
しかし、集中力が頂点に達し、少し気が緩んでも攻撃は来なかった。
わずかな間だったけど、その瞬間が来るのが少し遅れていると思った。
代わりに意識を引いたのは、増え続ける触手だった。
……多くねえ、か?
誰かが呟いた。
無味な一言だったが、それが堪え難い現実を意味していたのは遅れてわかった。
多すぎる。何十本とかじゃない。すでに何百本も。
そしてその数は、【夜蜻蛉】が物理的に防御しきれる数を遥かに上回っていた。
刹那の蹂躙だった。雨の代わりに触手が、繰り返し俺たちを襲った。
俺も山刀を抜いて応戦するしかなかった。
誰かが俺への攻撃を弾いてくれた気がした。俺も後ろに流れる触手を何本か切った。途中で何本かをモロにくらった。
まさしく耐え忍ぶ時間。防御の指示がなかったら全滅していたかもしれない。カミラさんの指示に感謝した。
だけど、それでも、夜蜻蛉は半壊した。