第百八話 影
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振り返りながら、私は今日一日の迷宮潜を思い出していた。
そもそも今回の主目的は第九十九階層の宝物庫で、この第百階層での座標特定はあくまで小手調べだ。ここでちょっとした無茶をすることが、第百階層という場所の脅威に対抗するために、最適な行動だと判断した結果、今に至っている。
ただ、その捉え方は、何かの芯を逃しているという直感が働いた。
──私たちはこの潜行を、選ばされていたんじゃあないか。
迷宮はいつだってそうだ。
私たちを誘う。追い詰めるのではなく、呼んで、虐めて、そのくせ何かを施そうとする。意図がある。
階層が増し、深く潜るにつれて難易度を増す迷宮は、まるで冒険者たちを育成するようですらある。場合によっては、直接ヒントになる物を授けさえする。
第九十九階層の宝物庫にあった迷宮からの贈り物たる木材は、軽量で能く魔力を通し、加工のしやすい、そしてあるいは、魔力波を透過させるという特性があった。
そして第百階層では、数多の新鉱石に、馬鹿みたいな大きさの金鉱床、あまつさえ産業に改革をもたらすほどの原動機が発見されている。
実に示唆的だと思った。
彼らは私たちと、ある種類のコミュニケーションを取ろうとしている。
そう、迷宮には意思がある。
冒険者は多かれ少なかれ、この迷宮という存在に惹かれて、フィールブロンにやってくる。
そして、人はみんな、自我に目覚める瞬間というのを持っている。
私はそれが、始まりはずいぶん早かったんだけれど、肝心なところが遅かった。知らぬ間に、不安定でもがく間に、私はこの迷宮に惹かれて、無我夢中になって、迷いに付け入られそうになって、呼ばれていた。
どうして戻ってこられたのか、今となっては、定かな記憶じゃない。あのときの私の苦しみはあのときの私にしかわからない。ただ、そういう、迷宮との綱引きの間で、私は私の自我というものを確立したんだと思う。
ずっと忘れていたことだったんだ。
──きっと私は、迷宮の呼び声を聞いていた。
「『હાય』」
私自身が展開した障壁の、その向こう。
それはこちらを向いて佇んでいた。
きっと臨戦態勢を取るべきだったのだろうけれど、私はそうできなかった。
それに敵意は認められない。ただそこにあるだけで、まるで、私たちが来たから、ちらりと見に来ただけと言わんばかりに中立に佇んで、もしかすると、右手をふっと上げて、軽く声をかけてもいい──、その程度の、軽さだった。
それは私の膝下くらいの背丈の、黒い、モンスターとも思えない、小人のような、人形のような何かだった。
短い足に、長い腕の、土偶のような人型。指はない。不気味とも可愛らしいともとれて、でも触れられそうだという想像は働かない。
目と口は、穴として空いているだけだった。その空白に、空気や光は入り得ず、吸い込むような闇だけが、ただ、そこにある。
「『ઘણો સમય થઈ ગયો』」
私が不意に沈黙したことを、きっと、何も見えていないであろうマルクさんが気取る。
「……姉御?」
頭を振った。
同時に、人数が揃ったことを確認したハンスさんが、転送陣を起動する。
陣が光る。
それは対竜障壁のむこうからただ私を見つめて──瞳がないのに、私にはその視線がわかって、動きもしていない口が、何かを発したのだと、理解できる。
「『આવો』」
私の耳と、頭の中に響く。
「『તે રાહ જોઈ રહ્યો છે』」
見開いた目を、ゆっくりと一度、瞬かせた。
次の瞬間に、黒い小人は消えていた。
ただ、第百階層の森が広がるのみだ。
張っていた対竜障壁を解く。
ほどなくして、私たち先遣隊は、転送の光に包まれた。
◆
第九十九階層の宝物庫に戻るなり、緊張から解き放たれて、先遣隊はみんな、膝から崩れ落ちた。
「ふぁああああ! とんでもねえぜまったく!」
マルクさんが叫び、カミラさんがいち早く駆けつける。
「おまえたち! 無事か!?」
団員たちにも、わっと群がられた。傍目には私たちはボロボロだった。盾部隊は全員盾を失って、要のベティーナもくたびれて疲労困憊。
ハンスさんがどうどう、とみんなを押し返し、心配するカミラさんに報告する。
「はい。全員無事です。座標の特定にも成功しました」
「そ、そうか。よくやった」
「……竜に遭遇したので、この有様なんですが」
団員たちがざわつく。
「まあ、姉御がなんとかしてくれてよ」
マルクさんが私の方を見て言ってくれる。
それに、ちょっと「どうだ」なんて表情をしながら、拳を掲げて応える。
私がそうしたのを見て、【夜蜻蛉】全体が、何か含みのある、おぉ、という反応を返してくれて、空気が弛緩した。
……照れるべきなのだろうか。
含みが気になる。まあ、素直に受け取っておこう。
それから、ベティーナによる座標の共有含む、簡易の現場報告があった。
この宝物庫からの転送先である森林に、数多いたワイバーンの戊種、そして、竜による襲来について。
ただ、座標がわかったとて、先遣隊の面々とカミラさんには、判断しかねることがあった。
「転移した途端敵だらけ、しかもワイバーンが襲ってきた、か……しかもその先で竜に襲われたと」
眉間に皺を寄せてカミラさんが呟き、ハンスさんが同じくらい悩んで答える。
「竜については、測量を行う以上看過すべきリスクです。それを見越して、今回は相談役がいました。しかし大量のワイバーンというのがなんとも。罠、ということでしょうか」
「何も断言できんが、通常、宝物庫の転送陣は報酬だ。危険は承知していたが、そんな無茶な場所に繋げて、罠だから死ねということになると、うぅむ」
「……いや、たぶん、そういうことではない、かと」
私はそう口を挟んだ。
カミラさんが問い返してくる。
「どういうことだ、ハイデマリー」
いったんベティーナの方に向いて、続けて問う。
「確認なんだけど、ベティーナ、森の全貌はどうなってたんだっけ。森の浅いところを抜けるんじゃなくて、深いとこにいくことを考えたくて」
「か、かなり広かったです。私たちは森の端の方に転送されていました。さっきは北に出て測量をしたわけで、反対にずっと南に下ることは、可能ではあったと」
「森の中じゃ、魔力波って上空に抜けないよね? そもそも減衰するし」
「は、はい」
「標高は?」
「に、二千、四百、三でした」
「じゃああの森の中は、比較的高い標高なのに、竜の魔力波が届かない稀有な場所ってことになる? あれ以上は森林限界だし」
「そ、そういう、ことなん、ですかね?」
カミラさんに向き直る。
「なので、第百階層の中であの森は、中にいる限りは竜に襲われない、安全な場所だという扱いなんだと思います。ワイバーンの戊種たちは、たぶん、雑魚として設定されている」
「……左様か」
第九十九階層の階層主である角猿を乗り越えた人類ならば、それが適切な難易度ということなんだろう。残念ながら、あそこから上ではあの緊張感がずっと続く。
「ま、でも、危ないようで、竜にも対処はできていました。迷宮の期待にはギリギリ応えられている範疇でしょう」
眉間に皺を寄せて、カミラさんは考える。
「……転送陣があるのなら、この宝物庫に物資を置き、適宜転送し、まずくなったら戻るということを繰り返せるな。現時点でも、ワイバーンの駆除は不可能ではないかもしれん。ハンス、どうだ?」
「骨は折れますが、おっしゃる通りかと」
団員たちの反応は、最初はちょっと微妙。特に先遣隊の盾役たちは。
あんな場所に長く居続けるのは考えたくない。とんでもなく膨大な作業と、苦労する予感がする。
ただ、先は見えてきた。
苦労することを受け入れられれば、宝物庫へ退避できる転送陣がある時点で、状況は悪くない。
パーティーの再建を任された身としても一安心だ。
第九十九階層の宝物庫の発見、そして第百階層への足掛かりの確保。
この【夜蜻蛉】というパーティーが再びフィールブロンに名を轟かせるきっかけとして、十分な成果だろう。
「つまり、その森の南部あたりを安全地帯とし、中継地点を設営せよ、というのが迷宮の意図になるか」
カミラさんは自然と、そういう物言いをした。
団員たちも頷いて同意し、取沙汰はしなかった。次からの迷宮潜はごくごく当たり前に、あの転送陣の先を中継地点に改造し、設備を整えることが主目的になるだろう。
無意識であれ、私のように自覚的であれ、冒険者はこういう、迷宮そのものを擬人化するような言い方をするときがある。第百階層が開かれて以降は特に顕著だ。
冒険者特有のこの捉え方の延長として、フィールブロンの研究者の間で、ある概念が唱えられたことがある。
それは、迷宮という巨大人工物を敷き、転送陣という明らかなオーバーテクノロジーに、階層主という圧倒的存在を配置した、何かしらの意思を説明するために仮定された存在。そして、第百階層の遺跡をもって、その正体が人類に準ずる知的な生命であることには、説得力が生まれている。
私が見たあの影がそうなのかは、まだわからない。それに関しては私も、与太話に過ぎない記述を呼んだことがあるだけだ。
フィールブロンで仮想的に存在を唱えられたそれは、かつて、
『迷宮人』
と呼ばれていた。






