第百七話 撤退
ハンスさんは瞬時に状況を判断する。
「防げ!」
具体的なことなど言わなくとも、先遣隊の全員がその意味を解する。
ここは高地の岩場。竜が着地と同時に手を振って攻撃すれば地形が崩れる。翼のない私たちにとって、この足場がなくなることは致命的だった。
まずは飛び道具を使える私が反応する。後方から杖を竜に向けて詠唱する。
「『氷盾』」
できるだけ厚く、最低限の広さの氷の盾を、枚数を数えずに生成。それを一気に、幾重にも、振りかぶった竜の右腕に射出した。
着弾。氷は破砕され一気に蒸散する。竜は無傷。もちろん止まるわけがない。が、確実に予備動作を邪魔し、運動エネルギーを低減させている。
入れ替わりで盾部隊が、決死の形相で、一塊になり、跳躍して竜の右手に飛び込んだ。
自殺行為と紙一重。竜をこれ以上刺激せず、陣形を残すにはこれしかない。
そしてこの状況に合う訓練は、ちゃんと行っている。
盾部隊は反射を発動させ、跳ね返し得たエネルギーの総量を、竜の右腕と、そして自分たちに対する後方への力、偽竜の攻撃で溶けつつあった盾の破損に、すべて均等に割り振った。
五つの盾が無様に破壊される。大男たちが放物線を描いて、私の背後に飛んでいく。ただ、彼らにとってこれは退避の手段でもある。目は竜の動きを捉えながら、空中で身を翻している。
これでもなお竜の初撃を止められるだなんて、誰も思っていない。ついに竜は全体重を乗せ、私たちが立っている岩場に、右前脚から先に、斬撃と共に着地した。
私たちは皆、衝撃波が飛んでくる方向を察知し、各々の方向に飛び込んだ。ベティーナには私から、ギリギリで氷の障壁を貼る。
竜の斬撃は、轟音と、岩が吹き飛ぶ空気圧を発し、地震のように地面を揺らした。
先遣隊のみんなきちんと受け身を取っている。ベティーナは全身ボロボロになりながら、まだ魔力波を飛ばし続けてくれている。
ハンスさんの判断、そして私たちの対応のおかげで、状況は最善に保たれた。
岩場は無残に吹き飛び、地割れが起きて、竜が右手を着いた箇所は窪地になっている。その余波は背後の森にまでゆうに届き、木々をえぐっていた。
それでも私たちにはまだ足場がある。この高地から落とされていない。
こうして無事に、竜を仰ぎ見ている。
近くで見ると、もう本当に馬鹿みたいな大きさだ。指先の爪の一つ一つが、人間の背丈ほどもある。
ここから先は竜との直接戦闘に突入する。
作戦開始からおよそ百四十秒経っている。今作戦では私の奥の手まで使うことは想定していなかったが、盾部隊の装備は完全に壊れた。もう余裕ぶってはいられない。
──竜と真正面からやりあうには、これしかないのだ。
「『行くぜ』」
そう呟くと、周囲の空気が魔力と一緒に集まり、漂い、螺旋状に回転し始め、私の体をほんの少し浮遊させる。
「『移行:超──」
そのとき、ベティーナが半分怒鳴るように叫んだ。
『魔力標識θ! 取得!』
それを受けてハンスさんが指示を出す。
「撤退だ!」
私は詠唱を切り替える。
竜が現れた場合の撤退方法は、あらかじめ打ち合わせてある。多少危険だが、竜を相手にするよりはずっといい。
「『生成』」
空中に、細長く、柄が膨らんだ氷の槍を生成する。
まずハンスさんがその槍に飛び乗る。
ベティーナは抱き抱えられて、盾部隊ごと一緒に槍に乗る。盾役たちは各々小刀を取り出して、氷に刺してしがみつく。
そして最後に私が、ふっと浮遊して、柄の終わりに座った。
『あばよ、竜』
最大出力の氷槍を、背後の転送陣に向けてぶっ放す。
そうして先遣隊の面々は私の氷に引っ張られ、背後に射出された。
◆
「あばばばばばばばば」
「ああああああああ!」
「ぎゃあああああああ!」
「ひ、ひええええええええ!」
盾部隊の連中とベティーナが、頬を風ではためかせながら叫んでいる。ハンスさんもなんとかクールぶっているけれど、顔を引きつらせている。
氷の槍に乗り、私たちは飛行と言うにはあまりにも無様で危険な撤退をしていた。
私は槍の柄に座りながら、むこうにいる竜の動きを確と見る。
転送陣までの着弾時間はおよそ八秒。その間までもが油断できない。
竜は四肢の先を岩場につけ、大きく口を上下に開けていた。
「……あ、やべ」
──キィィン。
甲高い音が光輪と共にこちらまで届く。
「おまえら! もっと頑張って受け身を!」
私は後ろに声を飛ばす。
竜の下顎が左右に割れる。喉の奥が光る。
「『対竜障壁:多層鏡』」
光が瞬く。
次の瞬間、偽竜のそれとは比べ物にならない極太の光線が私たちを追撃してくる。
間一髪で障壁の展開が間に合った。
光線の射出角度は水平からやや上向き。私の障壁も、現在の槍の目標着地点から逆算し、上に角度をつけて展開する。
これは、前回の大規模調査の反省を経て生み出した、竜の光線特化の障壁だ。屈折率の違う薄膜を交互に並べることで、狙った周波数の光のみを、エネルギーの吸収なく反射できる──
──まあ、理論上。それも、光だけは。
私の障壁は見事に光線を反射し、上空に反射された光が飛んでいき、それはもう狙い通り熱で氷がやられるという事態は回避した。
で、まさか竜の光線が光のみでできているなんてことはなくて、魔力だとか、粒子の放出だとか、そういったエネルギーは受け、なんとか一部反射し、障壁はぶっ壊れて、残ったぶんの力はこちらの推進力となる。後ろに射出されていたことだけが幸いした。もろに衝撃を食らうことだけは避けられたのだ。
上に逸れた極太の光線を仰ぎ見て、発する熱と、キィィンと鳴り続ける不気味で不快な音に別れを告げる。
そうして私たちは、予定通りの地点、転送陣の前に、想定よりもずっとずっと速く着弾した。
硝子が割れるような音で槍が割れる。すんでのところで離脱した私たちは、戦士の力で受け身を取り(ベティーナだけはマルクさんに抱えられていた)、全身を打ち付けられて肺から空気が抜けながらも、なんとか耐えきった。
みんな、ふぅぅ、と腹に力を込めながら、ゆっくりと立ち上がる。
任務を遂行し、竜から逃げ切った安堵感が押し寄せてくる。後はもう帰るだけ。
「ぐ、ぐえぇ……」
ベティーナは、命からがらと言った具合で、地面に手を着き、四つん這いになってから立ち上がり、肩でぜえぜえ息をしている。
「お疲れだったね、ベティーナ」
「……私は非戦闘員なんですよぅ」
私が声をかけると、彼女は珍しくぶうたれる。でも、その後にようやく安堵して、にへら、と笑顔を返してくれた。
ハンスさんが転送陣の上に立つ。
みんなそこに向かって足を引きずりながら、肩を組んで支えあいながら歩く。
私は割に平気な方だったので、転送陣の後ろの方に立って、竜の方向にまた、対竜障壁を張った。階層主が森を焼こうとするとは考えづらいが、念のためだ。
それを見たマルクさんが感心して声をかけてくれる。
「……姉御には世話になりっぱなしだな」
そうして私に、拳が差し出される。
悟られなかったろうが、実は私はその意味をぱっと受け取れなくて、少し戸惑ってしまった。杖を持つ手を替えるフリをして時間を稼いで、左拳を差し出し、コン、とぶつけ合う。
快い。
拳をぶつけ合う私たちを見て、周囲も笑顔になる。
任務は達成し、先に転送陣に立ったハンスさんも、みんなが陣に入ったと見て転送を開始する。安堵感が先遣隊に漂う。
まあただ、これは私も、ヴィムのことを笑えやしない点で。
快さは本心であるものの、照れくささも大きく、というか実際、こういう空気はむず痒くて、できることなら避けたい気分があった。
要するに、性に合わない。
危機のあとでも、そんなことを考えてしまう。そういうところがカミラさんから今になっても『よそよそしい』と言われる所以なんだろう。
竜を前に興奮した頭がちょっと冷える。
それで、ずっと感じていた頭痛の気配も戻ってくる。変に頭が回り始める。物思いに耽るというか、これで良いはずなのに、地に足着かない感触で妙にふらつく。
『──વો』
背後の対竜障壁の、その向こうから、何かが聞こえた気がして、振り返った。






