第百六話 竜
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竜。
それはかつて地上にも存在し、今もなお伝説として語り継がれる生き物の総称だ。
伝承によると、その正体は、あらゆる動物が悠久の時を経て辿り着く姿だという。
たとえばヒトは、受精卵から魚の型へ、両生類の型を経て、爬虫類のように一度尾が生え、収縮し、ヒトの形を獲得して、赤子のように世に生まれ出ずる。それから育ち、直立し、賢くなり、人として生き、老いては背が縮み、体毛は抜け、知は衰え、まるで赤子のように小さく丸まって、死を迎える。
しかし、魔力という摩訶不思議な力の悪戯で、その先の死を乗り越えることがあるとしたら、どうだろう。
すべての動物は、同じ経過を辿るとされる。
虫も蜥蜴も鳥も、ヒトも、老いて強張った手足はより縮こまり、赤子すら過ぎて、卵に帰るかの如く丸くなる。それに伴って鱗も毛も外殻も羽毛もすべてが剥がれ落ち、ますます凝縮して小さくなる。
しばらくすると、数百年をかけて、頭骨のある場所が固くなり始め、独自の形を作り、皮膚を貫いて体外に露出する。
角の萌芽である。
それからはまた、幾千年をかけて、体毛や鱗が生え始め、それぞれの種の特徴を残した強靭な手足が再構成される。
そして、角が固まりきったころには、一対の翼と、尾が生え揃っているそうだ。
大地の魔力を吸い、彼らの体は生物の分際に収まることなく、ゆっくりと巨大化し、ふと活動を開始する。その翼は太陽を翳して余りあるほど野放図に広がり、圧倒的な巨体をも大空に飛び立たせ得る。
斯くしてその生き物は、“竜”となる。
この伝承の真偽については判然としない。人の身で、ある生物・モンスターの何千年もの経過を見るなど不可能だし、あとから生態を観察しようにも、地上にいたすべての竜は絶滅しているからだ。
ただ、記録と化石、遺骸の解析によると、すべての竜は異なる形態を持ち、生物的な種としての共通点はないという。
それでも神代の人が、彼らを統一的な“竜”という呼称で括った要素をまとめると、次のようになる。
一、無慈悲なまでに強力であること。
二、巨大な体躯を持つこと。
三、尾と角、翼を持ち、飛行すること。
四、山を縄張りとしていること。
かつて地上に存在した竜は、そのどれもが圧倒的な力を誇り、それぞれが根城とする山々を人類から守護し続けたそうだ。
人類が如何にして竜を打倒したかは、数多の伝説として記録が残っており、その多くは建国神話や英雄譚にまで遡る。天より剣を賜った勇者王、長を竜に殺された一族の復讐、花嫁と引き換えに竜の討伐を誓った騎士、等々。
しかし、伝承による誇張を廃し、歴史学者の視点に立つならば、竜の討伐は国家の数十年、数百年単位の一大事業として繰り広げられたと見るのが妥当だ。開発の障害、各国の戦争の火種や、場合によっては喫緊の脅威となり、竜は人類の宿敵として立ちはだかってきた。私たちの祖先は何十万人もの人間を継続的に投入し、川を堰き止め、山を切り崩し、環境ごとすら変える覚悟で、彼らに粘り勝ったのだ。
そのような存在は、モンスターが存在するこの世界だから、たまたま中立的に呼称が決まっただけで、魔力などがない然るべき世界であるのなら、別の呼び方をされたことだろう。
それはたとえば、“神”のような。
第百階層の階層主である竜は、地上の世界で竜が絶滅していることから、この世界で現存するただ唯一のそれとして、単に“竜”と呼称されることと相成った。
遥か彼方の上空から雲の隙間を縫って現れた竜は、翼を羽ばたかせることなく、緩やかに降下をしてきていた。その体のスケールから、遠近感と縮尺が掴めなくて、単に落ちているのか、滑空をしているのか、判別はつかない。
そして竜は、前足の爪の先で、虚空を叩き、反発し、少し、上昇した。
──フォン。
魔力波なのか、竜が空に前足を着いたところから、光輪が水平に広がる。その振動はまるで音叉の共鳴の音となって広がって私たちに届く。
──フォン。
今度は反対の足で水黽みたいに空に手を着き、また光輪が広がり、竜は上昇し、軽やかに降りる。空中に光の階段があるかのように幻視する。
気を抜けば、見惚れてしまいそうになる光景だ。
竜の体表は、角度によって色を変え、鏡のようでも、透明のようでも、純白のようでも、影のように暗くもあり、七色がちらついて、日光のスペクトルが不規則に垣間見える。
その形態は、細胞で構成されているはずなのに、どこか機械めかしく、非生物的な兵器のようだった。
脚は四本。後脚は羚羊のように太く長く美しく、関節が根元から滑らかに連動して動き、前脚はそれよりも細く鋭く、人間のような複雑な関節を持つ指に、指先と一体化した凶悪な鉤爪が、精密に魔力を空に伝播させる。
伝播した魔力は、光輪のように反発を生む役割の一方、竜の周囲に漂う支援器官を駆動させている。その一つ一つが双円錐の形をとっており、またそれぞれが独自に数多の偽竜を従え、絶えず薄く音と振動、光を散布し、竜のオーラを形成していた。
尾などは、ただでさえ大きい竜の体躯の三倍ほどの長さを持ち、すべての関節が鎧が連なった鎖のように鋭い。空気の抵抗に逆らうことなく波打っているが、尾先の速度は音速をゆうに超え、剣のように周囲を切り裂き、獣などひとたまりもなく真っ二つになるだろう。
そして、私たちをえもいわれぬ恐怖で圧倒する根源は、その鼻筋から頭頂部にかけて、背骨に向かって生えた一本の角、それと平行に三対に並んだ、六つの赤い目である。
瞳が見えない。何の景色も反射しない。
深い、深い、黒にも見紛う赤。
ただ私たちを映し、殲滅するのみ。
人の目にこの竜という存在は、拒絶という概念そのものの総体にすら映っていた。
その脅威はもちろんのこと、つまり、打撃や斬撃や魔術、あるいは分析といった何もかもと、人間の言葉──そんなものは元よりモンスターに通じるはずはないのだが、を適用しようにも、それ自体が跳ねのけられて、そもそも干渉が不可能であり、竜が一方的な蹂躙を決意したならば、私たちはそれを受け入れるしかない、という直感が働く。
第百階層が開放されて半年と少し。この階層がもたらす財宝と資源に惹かれ、数多の冒険者や各地の職業持ち、野良の職業取得者たちが、無謀にもこの階層に挑み、竜と戦って散ってきた。
現在までの死者は、確認されているだけでも、およそ三千人。
最強最悪の、生きた災害。
それが、第百階層の階層主だ。
──ヴゥォン。
竜がこちらを向く。その胸の中心から、球状に光輪が広がる。支援器官がそれに呼応してより小さな光輪を返す。
すると、指令を受けた“偽竜”──明らかに竜でもワイバーンでもない、不定形の小型の飛行モンスターである、が竜に先行して私たちを襲ってきた。
しかし偽竜たちは、飛び掛かってはこなかった。私たちから少し離れた岩場に、あるいは崖に、粘土のような体をべたっと崩して着地し、むくりと起き上がって、体を変形させ、翼だった部分を脚立のように支えにしながら、口部を筒状に変形させる。
筒は、七つの方向から、測量を続けているベティーナに向いていた。
「マルク!」
「応!」
ハンスさんが叫ぶ。盾部隊がベティーナを守るべく盾を隙間なく寄せる。
偽竜たちは細い光線を照射してくる。
そのすべてを、五つの盾がしっかりと弾き、あるいは熱として吸収し、鉄を変形させながら受け続ける。散った光が前方にも上方にも逸れ、明るい階層なのにチカチカ視界を遮る。
光線の隙間を縫い、ハンスさんが弧を描きながら駆け、偽竜を横から斬りつけていく。斬撃は二度。一度その粘土のような体を切開し、二度目で確実に核を破壊する。
視界をチラつかせていた偽竜が倒れ、ベティーナはあとひと踏ん張りと懸命に魔力波を飛ばし続ける。
戦えている。偽竜の対処も完璧。【夜蜻蛉】はついに第百階層の基準に追いついた。
だが、竜だけは別だ。
いよいよ竜は私たちの眼前に迫る。
空を翳し、どこまでも広がる巨大な翼に、圧迫感と、恐怖感を覚えた。
何をしてくるか。状況次第で、私は奥の手を使わねばならない。
竜の選択はごくごくシンプルだった。竜は着地点を見定めるや否や、上体を少し起こし、右前脚の鉤爪を大きく振りかぶった。






