第百五話 窮地へ
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「頼んだよ、相談役。いや、賢者様、と言うべきかな」
「変わらずハイデマリーでお願いします、副団長」
敢えて余裕たっぷりにしているハンスさんに、そう返すと、眉をくい、と上げる返答をされる。私はそれに首を振って答える。
転送陣を前に、私の頭痛は強まっているのだか、弱まっているのだか、とにかく頭の片隅を占めて消えてくれない。この頭痛は作戦と無関係なのだろうから、一番余裕があるのはむしろ私かもしれない。
他のみんなは、それどころではないというのに。
結果的に先遣隊は、盾部隊の五名、副団長のハンスさん、索敵部隊の隊長補佐のベティーナ、そして相談役の私の八名と相成った。
構成の意図としては、カミラさんに次ぐ実力を持つ戦士であり判断能力と任務遂行能力を持つハンスさん、マルクさんを頭にした防御のための盾部隊、座標特定のためのベティーナ、そして最悪奥の手で竜ともやれる私、ということになる。
今回、盾部隊については、部隊長であるアーベルは参加しないことになった。これは未来ある幹部候補については、参加人数を絞りたい、という意図に外ならない。
前回の大規模調査で死者が出て以降、【夜蜻蛉】内部でも、そういう現実的かつシビアな判断が下されるようになっている。カミラさんの心労は計ろうと思う方が失礼なくらいだ。
そして転送に付き添うのはあと一名、転送先からの伝達係だ。向こう側の状況によっては小作戦を開始するので、そのための伝達要員が要る。
これらの計九名、転送陣を起動させる前に、陣形を組んで準備する。五名の盾役を五角形に配置し、その内部に、私、ベティーナ、ハンスさん、伝達係が膝を突いて待機する形だ。
息を吸う。
隣のベティーナの方を見る。彼女は額に脂汗をかいていた。
転送陣周辺で、かつ少数精鋭、そして賢者による庇護の下で行われる作戦であっても、今までの階層への転送とはわけが違う。
ハンスさんは今回の作戦について、危険性は低い、と言った。間違いではない。運が良ければ転送陣の傍でベティーナが座標確認をしてすぐ帰って来られるし、少し行く必要があっても、私と盾役の守りがあれば、時間さえ守れば竜の襲撃にだって対応できる。
だが、それは人間的な恐怖を克服できたことを意味しない。
第百階層の開放以降、新たな危険とそれへの対策がもたらす安全は拮抗しあって、危険かどうかの閾値なんて、一般的な人間の感性をとうに置き去りにしている。
「落ち着けってベティーナ。君にすべてがかかっていることは事実なんだけども」
「ひ、ひい……」
「私も余力で魔力標識……みたいなものを拾ってみる。サブプランだけどね」
ベティーナが少し驚いた様子で私を見る。
「……まあ、当てにはしないでね。期待してるぜ」
そう続けると、彼女は頷いて、転送の瞬間に魔力波を発するべく手の指を広げて構える。それから、意識的な呼吸を始めた。
三度吐いて、三度吸う。冒険者が自身を落ち着けるための有名な律動。ベティーナ以外の連中もそうしている。見守る先遣隊以外の【夜蜻蛉】のみんなにも緊張が走る。
「では、盾部隊、承認宣言を」
これから死の刃をすり抜けるに十分な緊張感が溜まったころ、ハンスさんがそう言った。
「俺、マルクは、賢者ハイデマリーの付与を承認する」
マルクさんが口火を切って、次々と私への承認宣言が飛んでくる。
私はそのすべての要請に答える。時間にすればこれから五分にも満たない作戦遂行時間。ヴィムが残した強化をすべて使って、私たちは最強の部隊にならねばならない。
「──付与済みです」
無事、盾部隊に強化がかかる。するとマルクさんが声を張る。
「お前ら、気張れよ!」
盾部隊は四方に構えたまま、肺を膨らませて発奮する。
「「「「応!」」」」
「全員守りきるぞ!」
「「「「応!」」」」
「誰も死ぬなよ!」
「「「「応!」」」」
頃合いだと、ハンスさんが転送陣の真ん中に触れ、陣を起動させた。
「作戦を開始する!」
私たちの視界は一瞬白く包まれる。
次に見えたのは、屋外の光に、緑。
のんびり確認などできない。耐衝撃体勢を取る。
そして耳鳴りがした。気圧が変わっている。おそらくある程度標高が高い。
第百階層では標高の高さがそのまま、危険度を表す。
ほんの数秒、警戒が肩透かしかと思う間があった。その間に目を慣らした。
ここは森だ。木漏れ日で視界は悪くないが、これだと探知の魔力波が遠方までは届かない。第一の選択肢は宝物庫に戻ることになる。
目の前のマルクさんが踏ん張ったのを見て、敵の襲撃と、ちらつく炎の光で、反射が発生したことがわかった。
襲ってきたのは、複数体のワイバーン。山林での活動に適した、細い翼と長い手足を持つ戊種。ゴウ、だとか、ゴル、などの、蜥蜴の喉の膜の振動が聞こえる。
転送の瞬間に魔力波を走らせていたベティーナが、伝達魔術を使って叫んだ。ここから先は彼女の指令が一方通行だ。
『ここは森林です! しかし、端部に転移しています! 起伏なし! 距離二百、四十で開けた場所に抜けられます!』
ハンスさんが瞬時に答える。
「了解! ハイデマリー! 可否は!?」
「……六秒で、間に合っちゃいますね。作戦時間は一八〇!」
「了解! 測量のため、しばし転送陣を離れる!」
伝達係が振り返って転送陣を起動する。私たちは彼を置いて、ベティーナが指した方向に駆ける。
「皆さん! ご武運を!」
光に包まれ、敬礼をした伝達係が第九十九階層に戻る。彼がカミラさんに作戦内容を伝え、百八十秒後に私たちが戻らなければ、救助隊がやってくる算段である。
走りながら、ベティーナを船頭に、それを守るように五人の盾部隊が穂先状に並ぶ。私はその中央に入り、最後尾はハンスさん自らが務め、全体を見渡す。
押し寄せてくるワイバーンの戊種を、盾部隊が弾いていく。
倒す必要はない。反射のおかげで、やつらも下手に攻撃すれば被害を食らうということを学習する。ただそれでも、初撃の連中は吐いて捨てるほど飛び掛かってきて、その上で虎視眈々と私たちを襲撃する隙を伺っている。
足音と蜥蜴の鳴き声、弾く音でうるさい。伝達魔術の音しか聞こえない。
『前方巨木! 距離〇七! 右へ! そのあと十一時方向へ!』
ベティーナが叫んだ。全員それを信じて右に逸れ、直後に十一時方向に踏ん張り直す。木陰から飛び出す小モンスター──ワイバーンの幼体だとか、やたら牙を剥き出しにした巨大昆虫、なんかはもう各々で斬り伏せるなり、蹴とばすなりして対処していく。多少の大きなモンスターや、背後から襲ってくるやつらについてはハンスさんの担当だ。
『上方距離一〇! ワイバーン戊種! 来ます!』
そして、上方が私の担当。
「『生成』」
氷の槍を斜め上向きに生成する。木々の隙間を縫って、そして、飛び掛かってきたワイバーンは勝手に串刺しになる。死骸が後方に墜ちる。
私たちに向いていた殺気が、その死骸の方に集められた。腹が減っているならこっちを食う方が理に適っているだろう。私たちにとっては好機だ。すべてを置き去りにして、どんどん前に駆け、跳んでいく。
『抜けます!』
ベティーナがそう叫び、切り立った岩場に出た。
空気が澄んでいて、色鮮やかだった。霞すらも鮮明に見える。
目下には、数多の山林に川、小さな領地くらいは丸ごと入るような景色が、ここが高地だとわかるくらいずっとずっと低く広がっていて、地形の凹凸に生命の息吹、季節の流れすら、妙にゆっくりと感じられる。
上を向いて見えるのが、山頂までの情景である。近く見えるようでまだまだ遠い。削られていない剥き出しの岩盤に、揺蕩う雲。連なる尾根を登っていけば見えるであろう、森林限界の先、低木と小さな花が織りなす天国のような別空間。
まるでこの世界が丸ごと模型に閉じ込められているかのような景色だった。
これが迷宮第百階層。
山と、空の階層だ。
私たちは森から少し距離を取り、追撃してくるワイバーンたちに対応しながら、盾部隊が四方を守る陣に組み直す。
守られる準備が整ったとき、ベティーナは普段の彼女なら出さない声量で、象徴詠唱を唱えた。
「『伝播せよ』!」
彼女を中心に大きな同心円状の魔力波(順に周波数を変えている)が広がっていく。
この魔力波は階層を伝播し、前回の大規模調査で設置した魔力標識に当たるとまた円状に波を返す。前回設置した魔力標識は十三か所。このどれかのうち、二つの波を探知できれば、設置場所を中心とした二つの円の交点に座標が絞られる。
ただ、まさか一人の魔術師の探知がそんな階層丸ごとを網羅できるわけもなし、魔力標識も階層中に等間隔に置けたわけでもなければ、地形もまばら。標高が高く遮蔽物が少ないのは行幸だが、座標が特定できるかは正直賭けだ。
私たちは転送陣の方に駆ける準備をする。次の大規模調査のための最重要情報である座標さえわかれば、もう作戦の目的は達成される。
『魔力標識α! 反応なし!』
ベティーナが叫ぶ。
まず一つめは空振り。
この測量作業自体は、団員の全員に経験がある。すぐに終わるわけがないのも織り込み済み。全部の周波数の波が返ってくるまで、耐えねばならない。
魔力波の感知機能はモンスターの標準装備だ。飛行するワイバーンや、鳥類系のモンスターの悉くが、波を発したベティーナを見つけ、獲物と判断したのなら飛来してきてしまう。
『魔力標識β! 反応なし!』
二つめも空振り。そして、とうとう、数多の火球と、ワイバーンたちが飛来する。
先ほどから追いかけてきている戊種に、見慣れた丙種、中には鷲馬まで混じって、もうなんでもござれだ。
火球はすべて盾部隊に任せる。ここから先の迎撃は私が担う。森林の中と違って、空間を広く使えるから、ぐっとやりやすくなる。
「『生成』」
杖を持って、八つの氷塊を空に生成する。
それらがグッと圧縮され、刃がついた槍の形になり、私たち先遣隊を守護するように空で構えられた。
襲い来るワイバーンたちを、斬って、突いて、追い払う。できれば倒す。撃墜するたびにその死骸にモンスターたちが群がる。こちらの氷が壊れたら再生成する。
『魔力標識γ! 反応なし!』
見るべきは上空だけではない。私たちの意識が上に向いたころ、ワイバーンの甲種が崖下から地を這って襲い来る。盾部隊は折悪く火球に対応中で、盾こそ差し出してくれたものの、不完全な体勢で、被膜の先にある爪の攻撃を受け止めねばならなくなっていた。
それを、ハンスさんが迎撃する。動きを止めたら、あとは私が上から氷の刃で串刺しにする。
『魔力標識δ! 取得!」
同時にベティーナから初めての朗報が来る。先遣隊の面々はようやく湧く。
十分に戦えている。一晩耐えろと言われたら無理だが、数分なら十分。
あと一つ魔力標識を拾えれば、即撤退だ。
このやり方自体には慣れている。今の面々のこの体制なら、全員無事で任務を達成できるはず。
『魔力標識ε、反応なし!』
ならばなぜ、私たちはここまで万全の準備をし、多大なほどの緊張をもって迎えたのか。
魔力波を飛ばすベティーナの顔色が変わる。
そして、私たちにも、あの音が、聞こえてしまった。
──ヴゥォン。
それは動物的な咆哮や、鳴き声とは違った。
きわめて長い波長の、低く、全身に響くような、あるいは、悲鳴のような、それでいて金管楽器の不思議な音階のような、そんな音。
一気に緊張が爆発する。
伝達魔術から、震えた声が聞こえてきた。
『わ、私の魔力波が、たぶん、坂で、上空に、抜け、ちゃって』
「落ち着けベティーナ! 間に合う! 魔力標識に集中しろ! 想定内だ!」
ハンスさんが陣の中央のベティーナを一喝する。
音ははるか上空、雲の上から、災害の前触れかのように届いてきていた。
集まっていたワイバーンたちが、まるで鳩の群れが飛び立つように散っていく。
そして彼らと入れ替わりで、子飼いの、偽竜たちが襲来する。
『魔力標識、ζ、η、反応、なし、で……』
消え入るような伝達を慈悲無くに切り裂くように、その音は機械的に響き渡る。
──ヴゥォン。
ついに雲の隙間から、神の如きその姿が見えた。
第百階層の階層主。
竜だ。






