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閑話 弟は苦労する

15話と16話の間くらいの話になります!

 ジークベルトが物憂げな顔をして窓の外を眺めている。

 ここに彼に憧れる令嬢たちがいれば「憂い顔も素敵!」などと褒め称えただろうが、弟のマティアスから見ればじめじめしてて鬱陶しいだけだ。もっとも、普段の無駄に明るい性格も鬱陶しいと言えば鬱陶しいのだが。


「……おい」


 書類で軽く頭を叩くと、今初めて気が付いたとでもいうようにジークベルトは振り向いた。


「うわっ、マティアスか」

「悩む暇があるなら書類の始末でもしろ。まだまだ滞ってるぞ」


 机の上に積まれた書類の山を指差すと、ジークベルトはやる気なさそうにため息をついた。

 ここ最近のジークベルトはサナト教団を追い詰めるのに全神経を使っており、その間の事務処理が止まっていたのだ。

 つい先日一連の事件の主犯を誅殺したという事らしいので、マティアスとしてはさっさと通常業務に戻って欲しいものである。


「うーん、わかってるよ」

「ならさっさとしろ。このままではお前の怠慢が父上の耳まで届くことになるぞ」


 ヴァイセンベルク家の当主であるマティアス達の父は、一年のうち半分以上を王都で過ごしている。その間は、息子であるジークベルトとマティアスが領地のことを任されているが、これ以上の失態をさらせば父とて見過ごすことはできないだろう。

 ジークベルトはしぶしぶと言った様子で書類に目を通し始めたが、あまり集中はできていないようだった。


 一体何がそんなに気になるのか、とマティアスは思考を巡らせる。

 かつての恋人であるルイーゼ・フューゲルが亡くなった事だろうか。ジークベルトは彼女を守ろうとしていた。だが、やり方が悪すぎた。

 ルイーゼの心は既にジークベルトから離れていたのだ。ジークベルトがいくら手を差し伸べたとしても、ルイーゼからすれば余計なお世話だったことだろう。

 結局、ジークベルトはルイーゼに対して具体的な話をせず、ルイーゼは自らに迫る危機に気づかずに、殺された。


 ジークベルトの悪い癖だ。具体的な事を相手に話さず、怖がらせないように、悟られないように、影から守ろうとする。

 きっと、彼にはそれを成し遂げられるという自信があったのだろう。

 完全な読み間違いだ。


 素直にジークベルトの差し伸べた手を取る様な相手なら良いが、そうでない者は掌から零れ落ちてしまう。

 ジークベルトが素直にルイーゼにエミリアやサナト教団の事を話していたら防げたのかもしれない。


「……どうするのが、最善だったと思っている?」


 なんとなく問いかけると、ジークベルトが顔を上げた。すぐに、マティアスが言わんとすることを理解したのだろう。


「さあね。エミリアに接触した時点で彼女を葬っておけばよかったのかな」

「証拠不十分だ。彼女が潔白の可能性もあった」

「結果的にはクロだった。まあ、あの時点では確証がなかったけど」


 そう言うと、ジークベルトは笑った。


「ルイーゼ・フューゲルには可哀想な事をしたな」

「そうだね。一応僕の責任もないとは言えないし、フューゲル家にはそれとなく援助してあげてくれるかな」


 意外にも、ジークベルトは淡々とそう告げた。

 思ったよりも、彼はルイーゼのことを吹っ切っていたのかもしれない。

 そう、ジークベルトの本質は冷たい人間だとマティアスは思っている。

 多数を守る為なら、ためらうことなく少数を犠牲にする。領民を守る貴族としては間違っていないのかもしれない。だが、ジークベルトは少し割り切りすぎている、とマティアスは思っている。

 ルイーゼのことも惜しんではいるだろうが、ある意味仕方がなかったと考えているのかもしれなかった。

 ……ならば、一体何をそんなに悩んでいるのだろうか。


 そこで、ふと思い当たる。

 ここ最近、ジークベルトが連れ回していた女性──ユリエ・グレーデだ。

 彼女はこれまでのジークベルトの恋人と比べるといささか控えめな女性だった。

 華やかで派手な女性を好むジークベルトにしては珍しい、とマティアスは考えていたのだが、実際はそうではなかったのかもしれない。

 きっとジークベルトが派手な女性を好んでいたわけではなく、数多のライバルを押しのけてジークベルトの隣を勝ち取るほどの女性が、そういったタイプだっただけではないのか。そんな風に思えてならなかった。


 エミリアの起こした騒動が収束し、ユリエはジークベルトの傍を離れた。

 そういえば、ちょうどその頃からだった……ジークベルトの様子が、こうしておかしくなったのは。


「ユリエ・グレーデのことだが」


 そう口に出すと、ジークベルトの肩がぴくりと跳ねる。思わずマティアスは笑い出したくなった。

 常に本心を押し隠そうとするジークベルトには珍しく、態度がわかりやすすぎる。

 それほど、彼女のことが気になっていたのだろう。


「グリーゼル家の当主がいるだろう」

「あぁ、彼とユリエに何の関係が?」

「近々ユリエ・グレーデに求婚するとの話がある」

「はぁ!?」


 ジークベルトが驚いたように立ち上がる。その拍子に、机の上に積まれていた書類が何枚か床へと滑り落ちた。


「おい、さっさと拾え」

「それより今の話! 本当なのか!?」


 ジークベルトが憤慨したように近づいてきた。

 マティアスは思わずため息をついてしまう。


「あの成金野郎、ユリエとは年が離れすぎてるだろ!」

「別にそんなに珍しい事ではないだろう。金に物を言わせ、若い女を娶る奴など」


 そう言うと、ジークベルトがイラついたように舌打ちした。


「今すぐに……」

「待て、どうするつもりだ」


 部屋を出て行こうとするジークベルトを引き留める。

 ジークベルトは鬱陶しそうに振り返った。


「言っておくが、今のお前に縁談を破談にする権利などないからな。お前と彼女は、もうなんでもない関係だろう」


 そう言うと、ジークベルトははっとしたような顔をした。

 まったく、そんなことにすら思い当たらなかったようだ。


「グレーデ家が窮地に置かれているのは周知の事実だ。彼女からすれば願ってもない状況かもしれないぞ」

「……あんな奴と結婚したって、ユリエは幸せになれない」

「そう言っていいのは、グリーゼル以上に彼女を幸福にできる奴だけだ。部外者が口を出していい問題ではない」


 ジークベルトがマティアスを睨む。

 そろそろ、助け舟も出してやるべきか。


「だが、このタイミングというのが引っかかる。ユリエ・グレーデ自身を気に入ったというのもあるだろうが、おそらくは……お前へのあてつけだろうな」


 グリーゼル家は商売で財を成した新興貴族だ。

 おおっぴらには口にしないが、ヴァイセンベルク家のような古くからの名門貴族を目の敵にしているのはよく知られていた。特に何でも完璧にこなし人々の視線を集めるジークベルトの存在は、プライドの高い者にとってはひどく疎ましいことだろう。

 ジークベルトとユリエが破局したという噂が社交界では広まっている。だが、いくらなんでも求婚には早すぎるだろう。これに乗じて、ユリエをものにしジークベルトの鼻を明かそうとしているとも考えられなくはない。 

 これではヴァイセンベルク家を馬鹿にしているのと同義だ。


 ジークベルトは大きく息を吸うと、マティアスに向き直った。

 そして、口を開く。


「ちょっと王都に行ってくる」

「さっそく殺る気か」

「いや……父上と母上に許可をもらってくる。……結婚の」


 マティアスは驚かなかった。

 ……というよりも、安堵した。どうやら、自分が仕向けた通りに進みそうだ。

 ジークベルトはヴァイセンベルク家の次期当主である。遠からず、子を成すために妻を迎え入れなければならない。

 マティアスにとっての懸念事項はそこだ。ジークベルトの妻になる女性はこれからのヴァイセンベルク家を支える者になるのだから、怪しげな繋がりがあったり、愚かな者では困るのだ。


 その点、マティアスから見てユリエは優秀な者だと言えた。

 ジークベルトがユリエを連れ回すようになってから、当然隠密に彼女の身辺調査も行った。

 グレーデ家は家柄こそ低いが、逆に仇敵や厄介な者に縁がなくてよいだろう。

 留学時の成績は優等。素行も良好。個人的な意見を言えば、控えめな性格もジークベルトがやかましい分つり合いが取れていると言える。


「まったく、ほどほどにしろよ。尻拭いに奔走するのは父上だぞ」

「わかってるさ。でも、そんなヴァイセンベルク家をコケにするような真似……許してはおけないだろう?」


 ジークベルトがぞくりとするような笑みを浮かべる。

 ……残念だが、それには同意せざるを得なかった。


「そうだな……どうせなら、あいつが一番悔しがるような方法を取ってやるか……」


 物騒な事を呟きながら、ジークベルトは今度こそ部屋を出て行った。

 それを見届けて、マティアスは大きく息を突く。

 ジークベルトが動いたからには、自分も裏から手を回さなければならないことは山ほどあるだろう。

 しばらくは、忙しくなりそうだ。



 数日後、ジークベルトは王都から帰ってきた。

 その晴れやかな顔を見る限り、うまく事が進んでいるのだろう。


「どうせだから、グリーゼルの顔合わせの当日にぶち壊してやることにした」

「……性格悪すぎるな、お前は」


 まあ前々からグリーゼル家は少し調子に乗りすぎている傾向があった。

 ここらで一回、痛い目を見せても良いだろう。


「それで……勝機はあるのか」

「なにが?」

「いくらグリーゼルを阻止したとしても、お前の求婚がうまくいかなければ何も始まらないぞ」


 なんせ初対面のジークベルトに大嫌いなどと言ってのけた女性だ。

 ここで盛大にジークベルトが振られる可能性だってなくはないのだ。


「大丈夫。母上に秘策を授かって来た」


 そう言って、ジークベルトは片目を瞑ってみせた。

 そう言うからには、きっと大丈夫だろう。マティアスはそう思っていた。思っていたのだが……




「……おい、何をやっている」


 翌日、使用人が血相を変えてマティアスを呼びに来た。

 何事かと庭に出てみれば、おろおろする庭師の前でジークベルトがちょきちょきと庭園の薔薇を摘み取っているではないか。

 マティアスの知る限り、ジークベルトがこれまで園芸に興味を示したことはなかった。母の手前、最低限の知識は持ち合わせているだろうが。


「気でも狂ったか」


 ジークベルトが振り返る。その手にはうっかり棘に刺さったのか、いくつかの赤い跡が見えていた。


「庭師の仕事を奪うのはやめろ」

「違うよ。母上に教わったんだ。108本の薔薇の花束には、『結婚してください』っていう意味があるって」


 視線を落とせば、いくつかの薔薇が丁寧に置かれていた。どうやら色や形のいいものを選別しているようだ。


「ユリエは花が好きだからね。僕が選んだ最高の物を贈りたい」


 そう言って、ジークベルトは優しく微笑んだ。

 ……なるほどジークベルトが自ら作り上げた薔薇の花束を持参して、ユリエを迎えに行くという訳か。

 どちらかというとそのような無駄な努力がマティアスは嫌いだが、きっとそういう問題ではないのだろう。

 その無駄だとも思える努力が、心遣いが、ユリエの心に響くのかもしれない。


 ……それだけ、本気なのだろう。ジークベルトは。


 今までのやり方では彼女には通用しない。そうわかっているのだろう。

 マティアスは目の前の薔薇の棚を眺めた。

 確かここは、母がこの屋敷に戻ってきている際には丹精込めて手入れをしている場所のはずだ。


「もちろん、ここをいじるのに母上の許可はとったんだろうな」


 念のため確認すると、ジークベルトの手が止まった。


「おい、お前まさか……」

「……大丈夫、きっと母上も許してくれるよ!」


 ジークベルトはそう明るく声を出すと、また薔薇の選定を始めた。

 庭師もジークベルトを止めるのは諦めたのか何事かアドバイスをしている。


「……この馬鹿は放っておけ」


 とりあえず呼びに来た使用人にそう告げると、マティアスは痛む頭を抱えて屋内へと引き返した。




 一応ジークベルトが振られた時のことも考えていたが、なんとかプロポーズはうまくいったようだ。

 まったく、ジークベルトの突拍子のない行動には常に苦労させられてばかりだ。

 ユリエが来てくれて良かった。少しでもジークベルトの手綱を握る事の出来る人間は貴重だ。


 並んで庭園を歩く二人を見下ろしながら、マティアスはそっと安堵のため息をついた。


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