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星降りの窪地編 87話 持ち主が来るまで

リシアとシルは、エリュナの落星跡で沈声層に触れた。

沈声層とは、返事にしてしまえば人を縛り、閉じ込めてしまえば失われる声を、消さずに深く沈めておく場所だった。

中央の声を閉じない石は欠けており、その欠けから沈んだ藍色の線が溢れ出していた。

リシアは静律結界で震えを一拍だけ止め、シルは大切な焼き菓子の欠片を石の輪の縁へ置く。

オルザもまた、探す理由を沈めないために、自分の石札を置いた。

リシアは差出人不明の封書を開けたい衝動に耐え、今は開けないと決める。

そして、沈んだ声を起こすのではなく、沈んだままで消えないことを認める短い歌を使った。

その後、落星跡の奥に、沈声層へ続くと思われる石扉が現れる。


 石扉は、白い草の向こうに半分だけ埋もれていた。


 扉というより、地面の中から斜めに顔を出した大きな石板だった。表面には取っ手も鍵穴もない。星混じりの銀灰色の石に、細い線が幾重にも刻まれている。


 譜線にも見える。


 星図にも見える。


 そして、閉じたままのまぶたにも見えた。


 リシアは近づきすぎない距離で足を止めた。


 中央の声を閉じない石は、背後にある。


 欠けた部分から漏れ出していた藍色の震えは、先ほどよりは落ち着いていた。だが、完全に鎮まったわけではない。石の輪の縁に置いた白布、オルザの石札、シルの焼き菓子の欠片の周囲で、細い藍色が息をひそめている。


 まるで、待っているようだった。


 シルはリシアの肩で、焼き菓子の包みを抱えている。


 中身は少し減った。


 そのことを気にしていないふりをしているが、時々ちらりと石の輪の縁を見る。置いてきた欠片が、やはり惜しいのだろう。


「戻って取る?」


 リシアが小声で尋ねると、シルはしばらく考えた。


 考えて、首を横に振る。


 ちい。


 置いたから。


 そんな顔だった。


 リシアはその小さな決意を、軽く扱わないことにした。


「そっか。ありがとう」


 シルは少しだけ胸を張る。


 けれど、すぐに石扉の方へ視線を戻した。


 ここから先は、ほのぼのした食べ物の話だけでは進めない。


 シルもそれを分かっている。


 オルザは杖の先で、石扉の前の白い草を払った。


 草の下から、古い文字が現れる。


 持ち主なき声を、返すな。


 持ち主なき声を、閉じるな。


 持ち主が来るまで、ここに置け。


 リシアはその文字を見つめた。


「持ち主が来るまで……」


 白紙市で、ノエルの未許可記録を閉じた時のことを思い出す。


 本人未許可。


 開封不可。


 返却待ち。


 待つ記録。


 リュシカは、待つという分類は記録にないと言った。


 けれど、最後にはそれを加えた。


 ここには、もっと古い形で同じ考えが刻まれている。


 声は返さない。


 でも閉じ込めもしない。


 持ち主が来るまで置いておく。


 リシアは、自分の鞄を意識した。


 差出人不明の封書。


 A・Rに関わる裂け目。


 ノエルが置いた紙片。


 祈り石で拾った銀色の石片。


 どれも、まだ持ち主がはっきりしないものばかりだ。


 自分のものにしてはいけない。


 けれど、捨ててもいけない。


 そういうものを抱えている。


「開ける方法は分かりますか」


 リシアが尋ねると、オルザは首を横に振った。


「昔は知られていたのかもしれない。でも、私が橋守になった頃には、この扉は見えなくなっていた。石の輪がまだ保たれていたから、沈声層へ入る必要がなかったんだろうね」


「今は、欠けが広がったから見えた」


「ああ。隠れていられなくなったのかもしれない」


 オルザは石扉へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。


「触れていいものかも分からない」


 その慎重さに、リシアは少し安心した。


 オルザも焦っている。


 ネリオの母かもしれない人影を見た以上、確かめたい気持ちはあるはずだ。


 それでも、すぐに開けようとはしない。


 この土地の怖さを、誰より知っているからだ。


 リシアは石扉の線を目で追った。


 中央に、小さなくぼみがある。


 鍵穴ではない。


 石片を置くための受け皿のようだった。


 胸元の小袋が、かすかに震える。


 祈り石でシルが拾った銀色の石片。


 それを置けば、扉は開くのかもしれない。


 リシアの手が、小袋へ伸びかける。


 しかし、すぐに止めた。


 石片の持ち主は自分ではない。


 それに、本体でもないとオルザは言っていた。


 道しるべにはなる。


 けれど鍵として使うべきかは、まだ分からない。


 シルが肩の上で、リシアの頬を前足で軽く押した。


 ちい。


 急がない。


 そう言われた気がした。


「うん。急がない」


 リシアは小袋から手を離した。


 代わりに、先ほど石の輪の縁に置いた白布と同じ布をもう一枚取り出す。


 そこに、羽ペンで短く書いた。


 開くためではなく、待つために来た。


 その布を石扉の前へ置く。


 扉はすぐには反応しなかった。


 オルザが目を細める。


「鍵ではないね」


「はい。でも、私たちが何をしに来たのか、先に置いておきたかったんです」


「この扉に礼儀が通じるかね」


「分かりません」


 リシアは正直に言った。


「でも、通じなかったとしても、私たちの方が忘れないために」


 オルザは少しだけ息を漏らした。


 笑ったのか、呆れたのかは分からない。


 その時、シルが肩から降りた。


 石扉の前に置かれた布の横へ歩いていく。


 そして、焼き菓子の包みを開いた。


「シル?」


 リシアが声を上げる間もなく、シルはさらに小さな欠片をひとつ取り出す。


 かなり迷った顔をした。


 本当に迷っている。


 前足で欠片を持ち、置く場所を何度も確かめる。


 それから、布の横ではなく、扉のくぼみの手前にそっと置いた。


 鍵穴には入れない。


 鍵にはしない。


 ただ、扉の前に置く。


 シルは置いた後で、ものすごく真剣な顔で扉を見た。


 返してほしいわけではない。


 でも、大事なものだ。


 そう言っているようだった。


 しばらく何も起きなかった。


 風が白い草を揺らす。


 足音も、呼吸も、少し遠い。


 やがて、石扉の表面に刻まれた線が淡く光った。


 焼き菓子の欠片が、鍵になったわけではない。


 リシアにはそれが分かった。


 扉は、欠片そのものに反応したのではない。


 置いたことに反応した。


 返事を求めるためではなく、開けるためでもなく、持ち主が来るまで待つという姿勢に。


 石扉の奥で、低い震えが起きる。


 音はない。


 けれど、地面の下で長く閉じていたものが、少しだけ息をしたような感覚があった。


 扉の中央に、細い隙間が開く。


 完全には開かない。


 人が一人、身を横にすれば通れるほどの隙間だけだ。


 オルザが杖を握り直す。


「……開いたね」


「少しだけです」


「十分だよ。たぶん、この場所は最初から、大きく開くことを嫌う」


 リシアは頷いた。


 沈声層。


 そこはきっと、勢いよく踏み込んでいい場所ではない。


 リシアはシルを抱き上げ、肩へ戻した。


 シルは扉の前に置いた焼き菓子の欠片をもう一度見たが、取り戻そうとはしなかった。


「行こう」


 リシアが言うと、シルは小さく鳴いた。


 ちい。


 今度の声は、ちゃんとリシアの耳元に残った。


 石扉の向こうは、階段ではなかった。


 緩やかな坂になっている。


 壁も床も星混じりの石でできており、ところどころに小さな穴が開いていた。穴の中には、丸石が収められている。


 それらの石には名前がない。


 文字もない。


 ただ、ひとつひとつが違う温度を持っているように見えた。


 温かいもの。


 冷たいもの。


 ほとんど温度を感じないもの。


 触れてもいないのに、リシアにはそう分かった。


 オルザが低く言う。


「声胞石だ」


「声胞石?」


「古い橋守の記録にだけ出てくる。沈めた声が、返事にも忘却にもならないよう、一時的に収まる石だと聞いていた」


「一時的に」


「持ち主が来るまで、だろうね」


 リシアは壁の石たちを見る。


 持ち主が来るまで。


 だが、その持ち主は本当に来るのだろうか。


 亡くなった人。


 遠くへ行った人。


 名も知られずに置かれた祈り。


 誰のものだったか、もう分からない声。


 それでもここは、返さず、閉じず、置き続けている。


 リシアの胸に、重いものが沈んだ。


 これを全部聞くことはできない。


 聞いてはいけない。


 この場所にある声は、リシアの歌の材料ではない。


 リシアが救うべきものとして一括りにしていいものでもない。


 彼女は自分の指を軽く握った。


 触れない。


 読まない。


 持ち主ではない声に、自分から近づきすぎない。


 そう決めて歩く。


 坂の途中で、一つの石が淡く光った。


 リシアは足を止めた。


 他の石よりも少しだけ大きい。


 表面に文字はない。


 けれど、その周囲の石壁に、細い傷が残っていた。


 誰かが何度もそこへ手を伸ばし、届かないまま引っかいたような傷。


 オルザの顔色が変わる。


「これは……」


「知っているんですか」


 オルザは答えず、石へ近づこうとした。


 リシアは咄嗟に腕を伸ばし、彼女を止める。


「待ってください」


 オルザの肩が震えた。


「分かっている」


 声は掠れていた。


「分かっているよ。持ち主ではない者が触れてはいけない」


 それでも、彼女の目は石から離れない。


 リシアはその視線だけで察した。


 この石は、ネリオの母に関わるのかもしれない。


 あるいは、オルザが探し続けてきた理由そのものに近いのかもしれない。


 石の奥から、かすかな震えが流れた。


 声ではない。


 だが、意味だけが伝わる。


 娘へ。


 たったそれだけだった。


 オルザが息を呑む。


 リシアも胸が締めつけられた。


 娘へ。


 それなら、この石の持ち主は。


「ネリオさん……」


 リシアは小さく呟いた。


 その瞬間、石がほんの少し強く光った。


 オルザが一歩下がる。


 まるで石の光から逃げるように。


「やはり、あの子に関わる声か」


「でも、まだ開けられません」


「ああ」


 オルザは杖を握りしめる。


「あの子が来ていない」


 その言葉を言うのは、彼女にとって苦しかっただろう。


 ネリオの母の手がかり。


 何年も探していたもの。


 それが目の前にある。


 けれど、開ける権利はオルザにはない。


 リシアにもない。


 持ち主が来るまで。


 その言葉が、この石廊のすべてを支えている。


 シルが肩の上で、静かに鳴いた。


 ちい。


 待つ。


 それだけの声だった。


 リシアは鞄から新しい白布を取り出した。


 だが、何かを書こうとして手を止める。


 この石に「ネリオ」と書いてしまうのは危険かもしれない。


 まだ確定していない。


 持ち主をこちらが決めてしまうことになる。


 リシアはしばらく考え、布にこう書いた。


 まだ開けない。


 持ち主と思う者が、自分の手で選ぶまで。


 それを石の下に置く。


 石は少しだけ光を弱めた。


 閉じたのではない。


 待つ姿勢に戻ったようだった。


 オルザは深く息を吐く。


「私は、あの子に何と言えばいいんだろうね」


「分かりません」


 リシアは正直に答えた。


「でも、ここに連れてくるかどうかも、ネリオさんが決めることだと思います」


「知らせずにいるのも、選択を奪うことになる」


「はい」


「知らせれば、あの子は来たがる」


「はい」


「来れば、傷つくかもしれない」


「はい」


 リシアは頷く。


「でも、傷つかないように隠し続けることも、きっと別の傷になります」


 オルザは目を閉じた。


 長い沈黙。


 その沈黙の中で、石廊の声胞石たちは静かに眠っている。


 返事にもならず。


 忘却にもならず。


 持ち主が来るまで。


「……橋守は、渡る者を止める役だと思っていた」


 オルザが呟く。


「危ない橋を渡らせない。呼び声を投げさせない。返事を求める人間を止める。それが役目だと」


 彼女は、娘へ、と震えた石を見た。


「でも、止めるだけではいけない時もあるんだね」


 リシアは何も言わなかった。


 それはオルザ自身が出した言葉だった。


 歌にする必要はない。


 石廊の奥へ進むと、空気がさらに冷えた。


 壁の声胞石の数が増えていく。


 中には、淡い藍色の線が絡みついているものもあった。


 欠けた中央石から漏れた沈声層の震えが、ここまで届いているのだろう。


 その中に、一つだけ、他と違う石があった。


 石というより、薄い板のような形をしている。


 表面に、文字が浮かんでは消えていた。


 リシアは近づきすぎない位置で足を止める。


 文字は欠けている。


 けれど、いくつか読めた。


 観測記録。


 返声化、禁。


 未唱声、保留。


 A――


 その先が、裂けていた。


 リシアの胸が強く鳴った。


 A。


 白綴じ書庫で見た、A・Rの裂け目。


 ここにも同じ欠けがある。


 歌詞帳が震える。


 鞄の中の封書も震える。


 石廊の薄い板が、リシアの声を欲しがるように光った。


 読め。


 開け。


 確かめろ。


 そう言われている気がした。


 リシアは足を引いた。


 オルザが驚いたように見る。


「読まないのかい」


「読みません」


 声が少し震えた。


「今の私は、読みたいから読もうとしています。だから、読みません」


 板の光が揺れる。


 まるで、逃がさないと言うように、文字がもう少し浮かぶ。


 A・R。


 今度は、二文字だけはっきり見えた。


 リシアは拳を握る。


 アイシャ・リーヴェルト。


 そう思いたくなる。


 でも、ここでそう決めれば、また欲しい答えを先に置いてしまう。


 星見台で、偽のアイシャが自分に都合のいい言葉をくれた時と同じになる。


 リシアは目を閉じた。


「まだ、名前にしない」


 低く言う。


「まだ、歌にしない」


 シルが肩から降り、薄い板とリシアの間に立った。


 小さな体なのに、強く見えた。


 板の光は少し弱まる。


 完全には消えない。


 けれど、リシアへ伸びかけていた気配が止まった。


 オルザは静かに言った。


「この場所は、欲しい答えを持つ人間に厳しいね」


「はい」


 リシアは息を吐く。


「でも、たぶん優しくもあります。急いで答えにしないで済むように、待たせてくれている」


「そう思えるなら、まだ沈まない」


 オルザの言葉に、リシアは小さく頷いた。


 石廊の最奥には、小さな広間があった。


 天井は低く、中央には丸い台がある。


 台の上には、何も置かれていない。


 ただ、台の周囲に七つのくぼみがあった。


 一つは空。


 一つには、薄い藍色の光。


 一つには、白い粉のような光。


 残りのくぼみは、まだ眠っているようだった。


 リシアの小袋の中の銀色の石片が、そこで強く震えた。


 シルが前足で小袋を押さえる。


 置くな。


 まだ。


 リシアも同じことを感じていた。


 これは鍵穴ではない。


 欠けたものを戻す場所かもしれない。


 しかし、薄片を置いてしまえば、持ち主でもないのに仕組みを動かすことになる。


 台の前に、古い文字が刻まれていた。


 欠けた星は、持ち主を待つ。


 返す者ではなく、返さぬ者を待つ。


 リシアはその文字を見て、眉を寄せた。


「返さぬ者……」


 オルザも読んでいる。


「返事をしない者、という意味かね」


「それとも、返事にしない者かもしれません」


 沈声層は、返事にしてはいけない声を沈める場所だ。


 なら、欠けた星を戻すのは、誰かへ返事を届けたい人ではなく、返事にしないと選べる人。


 そういう意味なのかもしれない。


 リシアは台へ手を伸ばさなかった。


 ただ、そこに刻まれた文字を胸に入れる。


 持ち主が来るまで。


 返す者ではなく、返さぬ者を待つ。


 その時、広間の奥で小さな光が動いた。


 人影ではない。


 声でもない。


 石の奥に沈んでいた記録が、ほんの一瞬だけ浮かび上がったようなものだった。


 白い手。


 銀色の石片。


 そして、誰かが残したかすかな言葉。


『娘が来るまで、返さないで』


 オルザが息を止めた。


 リシアも動けなかった。


 その言葉は、ネリオの母のものなのかもしれない。


 だが、まだ確定できない。


 それでも、ここまで来てようやく分かったことがある。


 ネリオの母らしき誰かは、何かを返すのを止めようとしていた。


 娘へ何かを残した。


 けれど、娘が来るまで返さないでほしいと願った。


 それは、母としての優しさなのか。


 観測者としての判断なのか。


 それとも、その両方なのか。


 まだ分からない。


 オルザは杖を強く握りしめた。


「戻ろう」


 彼女は言った。


 声は震えていたが、決まっていた。


「ここは、ネリオ抜きで進む場所じゃない」


 リシアは頷いた。


「はい」


 シルも短く鳴いた。


 ちい。


 同意だった。


 帰り道、リシアは薄い板の前で足を止めそうになった。


 A・Rの文字は、まだそこに浮かんでいる。


 読んでほしそうに。


 歌ってほしそうに。


 開いてほしそうに。


 でも、リシアは歩き続けた。


 今は、ネリオの石を先にする。


 今は、自分の欲しい答えを後にする。


 それが、この場所で沈まないための道だと思った。


 石扉の外へ出ると、窪地の空気は少しだけ温かく感じられた。


 中央の声を閉じない石は、まだ欠けたままだ。


 藍色の線も消えていない。


 だが、先ほどより暴れてはいなかった。


 石の輪の縁に置いたシルの焼き菓子の欠片は、そのまま残っている。


 少しだけ、星の光を帯びていた。


 シルはそれを見て、少し誇らしそうな顔をする。


 リシアは石扉の前に置いた布を回収しなかった。


 開くためではなく、待つために来た。


 その言葉は、そこに残しておくべきだと思った。


 オルザは祈り石の場所へ続く斜面を見上げる。


「ネリオに話す」


 リシアは黙って頷いた。


「だが、連れてくるかどうかは、あの子が決める」


「はい」


「私は、止めすぎていたのかもしれない」


 オルザの声は小さかった。


「守るつもりで、あの子から母を探す権利まで遠ざけていたのかもしれない」


 リシアはすぐには答えなかった。


 それはリシアが判定することではない。


 オルザ自身が、ネリオと向き合う中で受け取るべき言葉だ。


 ただ、ひとつだけ言った。


「一緒に話しましょう」


 オルザは少しだけ目を伏せた。


「頼むよ。歌は、まだいらない」


「はい。まだ歌いません」


 シルが肩の上で、焼き菓子の包みを確認した。


 中身は残っている。


 置いた欠片は戻らない。


 でも、全部なくなったわけではない。


 シルはそれを確かめると、小さく鳴いた。


 ちい。


 リシアには、それが少しだけ今の落星跡に似ていると思えた。


 返らないものがある。


 置いてきたものがある。


 それでも、全部を失ったわけではない。


 持ち主が来るまで、待っているものがある。


 リシアは祈り石の場所へ向かって歩き出した。


 ネリオに、何を伝えるべきか。


 どこまで伝えるべきか。


 答えはまだない。


 だが、隠したままにはしない。


 開けさせるためではなく、選べるようにするために。


 白い草が、窪地の斜面で静かに揺れていた。


 その音は、今度は少しだけリシアの足元へ戻ってきた。



今回は、石扉の奥にある沈声層の石廊へ入りました。


そこには、持ち主が来るまで返されず、閉じられずに置かれている声胞石が並んでいました。


リシアたちは、ネリオの母に関わるかもしれない石を見つけます。


けれど、それはリシアやオルザが開いていいものではありません。


持ち主が来るまで。


その言葉どおり、ネリオ自身が選ぶ必要があります。


また、A・Rに関わる記録の気配も再び現れました。


リシアは読みたい気持ちを抱えながらも、今は読まないと選びます。


沈声層の奥には、欠けた星を戻すための場所らしき台もありました。


返す者ではなく、返さぬ者を待つ。


この言葉が、星の断章へ向かう道に大きく関わっていきそうです。


今回も読んでくださり、ありがとうございました。


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