【3-3】森での戦い
馬を進めるうちに、木々の隙間から空が見えなくなった。
幻翅の森の奥は昼でも暗い。足元の土がじわりと湿り気を帯びてきたと思ったら、ぽつ、と水滴が肩を打った。
「雨か」
ラグナが空を仰いだ。
「はぁあー、最悪やん」
オズが心底嫌そうな顔をする。
私は杖を握り直した。
「雨だけじゃない。――来る」
木立の奥から羽音が湧いた。
***
呪い蝶。
一頭だけなら、さほど脅威ではない。ただしそれは、『一匹だけ』という前提の話だ。
幻翅の森に棲む呪い蝶は群れで動く。鱗粉に呪いの魔素が乗っており、皮膚に触れただけで痺れる。大量に浴びれば、苦しみにもがき続けながら、死ぬ。
百を超える羽音が、木々の間を埋め始めた。
「ラグナ、前をお願い」
「任せろ」
返事と同時に、ラグナが大剣を抜いた。
私は杖を構え、魔法陣を展開する。風の刃で蝶の群れを薙ぎ払いながら、ラグナが右翼から圧力をかけて密度を上げていく。密集したところに——
「もらうわ。雷鳴撃」
雷が轟く。
呪い蝶の鱗粉ごと焼き払う。ラグナが下がるタイミングに合わせて、私は追撃の結界を展開した。逃げた蝶が戻れないように、外から押さえ込む形で。
だが、雨だと威力が落ちる。
「ラグナ、次!」
「ああ」
言葉は少ない。でも動きはぴったり合う。
不思議だと思う。一緒に戦ったことなんて、まだほとんどないのに。
「なんちゅー戦いや……」
木の陰からオズの声がした。
「俺、絶対いらんやろ。完全に蚊帳の外やん。なんで前線に引っ張ってきたんや……」
「うるさい、さっさと撃て」
「撃ってるわ! ちゃんと仕事してます! 」
バン、バン、と銃声が混じる。オズの射撃は正確だ。文句を言いながら、ちゃんと群れの外縁を抑えている。
雨が強くなったのは、それからしばらく後だった。
叩きつけるような雨粒が木の葉を揺らし、地面を叩く。視界が白く霞む。
「この雨だったら、向こうも結構苦戦してるだろうな」
「……ちょっと、勇者パーティの様子を見てくる」
私は一度、大きく跳んだ。
浮遊魔法で木の梢より高く上がり、幻翅の森の全体を見渡す。雨が顔を叩く。フードが風で煽られる。それでも目を細めて、遠くを見た。
ラグナたちの陣から離れた方角。王国軍の担当区画に、光が密集していた。
(あれは……!)
ジークの剣が光っている。エドワードが前に出て盾になっている。ユリウスの魔法陣が展開されては消え、展開されては消える——追いついていない。呪い蝶の群れが、三方から圧縮されるように迫っていた。
このままでは囲まれる。
「くそ、切り込んでも切り込んでも——!」
エドワードの剣が、また群れを薙いだ。しかし蝶は減らない。倒した端から新しい羽音が湧いてくる。鱗粉が雨に混じって漂い、視界がじりじりと狭まっていく。
「殿下、左!」
「わかってる——」
ジークが剣を振った。しかし足元が泥で滑った。体勢が崩れる。蝶の群れが、その隙間に流れ込んできた。
「ユリウス!」
「くっ……雨で炎魔法が——」
炎の魔法は雨粒に叩き散らされ、構築が崩れていく。泥濘の中に膝をついた彼の周りに、羽音が渦を巻いた。
三人とも、もう前を向く余裕がなかった。
その瞬間。
空が、割れた。
雷だった。
いや——雷に、見えた。
轟音が耳を塞ぐ。白い光が森全体を焼いた。王国軍の区画に密集していた呪い蝶の群れが、一撃で消し飛ぶ。雨と焦げた鱗粉の匂いが混ざって、鼻の奥を刺す。
静寂。
ジークは膝をついたまま、空を仰いでいた。
「……なんだ、今のは」
エドワードが雨に目を細めながら、ゆっくりと剣を下ろした。
「……運が良かったな。大きな雷が落ちた」
ユリウスは答えなかった。
眼鏡の奥の目が、落雷の跡ではなく、もっと遠くを見ていた。梢の向こう。雲の切れ間。何かがいた場所。
「……いや」
静かな声だった。
「あれは――」
***
公国領側の蝶を倒し切ったのは、雨がひとまず細くなった頃だった。
私は木の幹に背中を預け、息を整えた。
「ふー、お二人ともお疲れさん」
オズが地面に腰を下ろした。
「いやほんま、疲れた。リナちゃん。よしよしして」
「リナ、それなら俺の剣を貸すぞ」
「剣のよしよし!? 殺意高ぁッ!」
私は少し笑いそうになって、口を引き結んだ。
そのとき、伝令が来た。
王国軍の兵士が、泥だらけで走ってくる。
「ローレ大公閣下! 至急お知らせを——勇者殿下が、呪いを受けました……!」




