【婚約編】愛は 憎悪の 始めなり
「リヒトさん!!」
僕はリヒトさんを抱き起こした。
「リヒトさん!!分かりますか!?」
リヒトさんの夕日色の目の焦点が合ってくる。
「良かった!リヒトさん!!」
完全に焦点が合ったリヒトさんの瞳から、涙が溢れ出した。
「何も良くない!私はエーレントと婚約してるんだよ!」
「リヒトさん、記憶があるんですか!?」
「あるわよ!!!何よ!!!私は…」
か細い腕で、精一杯、僕の身体をポカポカと殴る。
「今日……シリウスと婚約したんじゃないの?」
僕は、リヒトさんの肩を掴んだ。
「僕は、リヒトさんの婚約者です!
リヒトさんは、僕の婚約者です!!
エーレントなんか関係ない!!!」
リヒトさんは震える自分の左手を見た。
「…これ…ただの火傷だって思ってた…
燭台で合図するときに、できた名誉の傷跡だなって…
エーレントとの婚約の証だなんて…そんな…」
…僕はこんなときどうすればいいか、もう知っている。
僕は、リヒトさんを黙ってギュッと抱き締めた。
そして、モジャモジャの黒髪をかき分けると、うなじの刻印に口づけした。
彼女が猫族の継承者であることを示すこの因縁の刻印に、
僕はしばらく、口をつけていた。
リヒトさんは…黙って僕の腕をギュッと抱えている。
僕は知っている。
今、彼女が必死に心を整理していることを。
僕は少し体勢を変えると、彼女をギュッとしながら、
僕の額の…僕が神鼠であることを示す刻印と、
リヒトさんのうなじの…彼女が猫族の継承者であることを示す刻印をピタリと合わせた。
急に、フフフ…という笑いの振動がリヒトさんのうなじから直接伝わる。
「神鼠と猫族は一緒にいられない運命?
粘膜を触れ合えない運命…?
…神様は何がしたいの?」
「ええ…変な話ですね…
古の時代にはこういう属性が意味を持っていたのかもしれません。
でも、文化も教育も進んだ今の時代には……
もう要らない。
悲劇を生むだけだ。」
僕は、リヒトさんのうなじから額を離し、彼女を見つめた。
「だからこそ、僕たちはこの十二支の神話を変える。
悲劇の継承を止めるために。」
リヒトさんは頷くと、僕の額の刻印にそっと口づけをした。
「ねえ…エーレントは、はっきり認めたね。
敵だって…
でもどうやって君を倒そうと……?」
リヒトさんはふと思い出したように僕を覗き込んだ。
「さっき『確証がない』って言ってたよね?
何か仮説があるの…?」
「ええ。
僕とこの国を倒すために、エーレントが独立運動を利用していると思っています。」
リヒトさんは夕日色の目を見開き、眉根を寄せる。
「独立運動…?
でも、あれは、10年以上前から始まっていた。
エーレントの復活は三年前だから……」
「復活とは…直接には関係していません。
でも、エーレントは、神鼠とこの国を倒す方法として、
独立運動を利用しようとしているんじゃないかと……」
「…なるほど…
もともとある活動とか組織を使うのが、一番手っ取り早いよね……」
「最近、エーレントの州に首謀者たちが集まってきているという報も入っています。
散発的で不統一だった独立運動を、エーレントが先導者になってまとめようとしている…
という疑惑の調査に乗り出したところだったんです。」
「結局、エーレントが…私たちが倒すべき相手ということ?」
「そう…ですね…」
僕の脳裏に、エーレントが血まみれになってリヒトさんを救ったり、
「今殺せ」と言い放ったりした姿が鮮烈に蘇る。
それに…
「リヒトさん、さっき、エーレントは僕の顔を見て、『テレシウス』って言おうとしていました。
…すごく…寂しそうに…」
「覚えてるわ。」
リヒトさんは僕の目元にそっと手を伸ばして、言葉を続ける。
「今日現れたテレシウスの言葉…覚えてる?
『エーレント、地獄で貴様にあわせる顔がない』とか…」
「ええ、はっきりと。」
僕はリヒトさんの夕日色の瞳を見つめながら言う。
「――テレシウスはエーレントを処刑して、【猫狩り】を行った。
――エーレントはテレシウスに処刑された。
でも、二人は、もともとは……」
「ねえ、テレシウス」
急にリヒトさんが僕の目を覗き込んだ。
「テレシウス、聞こえてる?
ねえ、貴方とエーレントは友達だったの?」
リヒトさんは僕の頬をペチペチと叩く。
「ほら、出て来なさい!テレシウス!
貴方は友達を処刑したの?」
僕は叩かれるまま答える。
「ご、ごめんなさい…今は【僕】です…」
「大事な時には出てこないのね!」
「ごめんなさい……」
リヒトさんはホッと大きな息をついて、机上の酒に目をやった。
「大王様、今から緊急会議をいたしましょう!
リヒト酒場に、お酒をたくさん用意しております。
……一本だけ、先ほど大王様がエーレントに使ってしまいましたが?」
僕は問いかける。
「議題は?」
「【愛は憎悪の始めなり】」




