【婚約編】今から俺んちにくるか?
僕は、必死に呼び掛ける。
「リヒトさん!!!リヒトさん!!!!!」
エーレントの目の前で膝から崩れ落ちたリヒトさんを、エーレントは滑らかに抱き寄せる。
リヒトさんは、エーレントの腕の中で人形のように動かない。
「エーレント――――!!!!!!!
貴様リヒトさんに何をした!!!!!!!」
僕の身体から青い光が流れ出す。
「何をって…秘儀を授けたときに、この子と婚約しておいた。」
エーレントは優しくリヒトさんに微笑む。
「なんだと…?リヒトさんは、僕と…」
「この子の左手の薬指に、婚約の証がある。」
エーレントは、リヒトさんと自分の左手のひらを僕に見せる。
…火傷のような跡?
「ああ、もう俺たち絶滅してるから、知らねェよな。
猫族は婚約のとき、左手の薬指を十字に合わせて、中心を火で焙るんだ。
その跡は、二つで一つ。必ず、ピタリと合う。」
僕は、あの時、皮膚が焼けるような匂いがしたことを思い出した。
「アンタたちの血の誓約と似ているかな。
【火の誓約】…絶対に破られない誓いだ。
俺はリヒトがどこにいてもリヒトのもとに行ける。
リヒトも同じだ。リヒトが願えば俺のところに来れる。
誓約を違えようとすると誓約痕が力を持つ。」
エーレントは優しくリヒトさんの薬指に口をつける。
「き、貴様…!!リヒトさんが瀕死のときに、卑怯な…!!!」
「アンタも同じじゃねェか。」
エーレントは横目で僕を見て、煙をゆっくり吐く。
「何が同じだ!!!勝手な約束を並べて…!!!」
「少なくとも…」
エーレントはリヒトさんの顎を掴んで引き寄せる。
リヒトさんは虚ろな目をエーレントに向ける。
「客観的には、この子は俺の婚約者だ。アンタの婚約は、無効だ。」
「エーレント……!!!」
「それにアンタ、今……」
エーレントは僕をチラリと見る。
「この子と何しようとしてた?」
僕の顔にカッと血が上る。
エーレントは、煙草の煙を吐きながら、リヒトさんの頭を優しく撫でる。
「高慢なくせに乱れてる鼠族と違って、猫族はその辺厳しいんだよ。
……プロと綺麗に遊びな、大王様?」
僕は何も言い返せない。
「なあ、神鼠と猫族は、決して一緒にいられない運命だ。」
「そ……そんなことは分かっている!!!」
エーレントは僕を穴が開くほど見つめる。
焼け焦げてしまいそうだ。
「分かってねェ……粘膜だよ。」
「は?」
「猫族の粘膜と神鼠の粘膜が触れ合えば、
確実に猫族が獣化する。」
「…!?」
僕は、リヒトさんの口に舌を差し入れた瞬間、彼女が獣化したことを思い出した。
「神鼠と猫族を交わらせない…
男女だけじゃねェ。
ダチでも許さない…神の意思はここまで固いわけだ。」
エーレントは虚空を見つめているリヒトさんの頬に触れる。
「リヒト、今から俺んちに来るか?」
「何を!!!」
思わず僕は声を上げる。
しかし、エーレントがリヒトさんを黒い渦で連れ去りそうで動けない。
「俺が相手ならアンタは獣化しない。
アンタは誰も傷つけずに済む。」
僕は唇を噛む。
そう、リヒトさんは、いつも僕を傷つけることを恐れ、苦しんでいる……
でも、そんなこと、分かっている!!!
それでも――――
「今はこんなガキのナリだが、死んだときは25歳くらいだったかな?
今なら……あと3年もすりゃ、問題ねェだろ。」
結婚?
…何を言う…
何を言う……!!!
「――それに、俺は、結婚前にアンタを襲わねェしな。」
そういうとニヤリと僕に顔を向けた。
しかし、睨みつける僕の目と視線がかち合った瞬間、エーレントは夕日色の目を見開いた。
「テレシ…」
夕日色の瞳が凍り付いている。
僕が思わず
「今、なんと…?」
と返すと、エーレントは夕日色の目を少し伏せて首を横に振った。
そして、リヒトさんに視線を戻し、静かに笑った。
「大事にするよ…俺は好きな奴に尽くすタイプなんだ。」
******
僕はその隙を見逃さなかった。
僕は酒瓶を引っ掴むと同時に飛び上がり、エーレントの頭に叩き落した。
グッと呻いてエーレントが倒れると同時に、僕はリヒトさんを引き離した。
「帰れ!!!
お前はこの国を滅ぼそうとしているんだろう!!!
そんな男にリヒトさんを渡せるか!!!!!」
僕は、エーレントの首を締め上げる。
「へェェ、そうか。じゃあ今殺せ。」
流れる血を拭こうともせず、煙草を咥えたまま太陽のような瞳で僕をじっと見ている。
僕はドッと汗をかく。
「確証がないから、今は殺せない。」
「フゥゥ―ン、じゃあ言ってやる。
俺は、アンタの敵だよ。
ぐずぐずしていたら、俺以外の死人が出るかもしれない。
今俺を殺れば、俺一人で済む。」
滝のように汗が流れ出る。
「殺せないと言っている!!!」
「酒瓶で殴って首絞めてるじゃねェか。後一息だぜ?」
「…お前は…お前はリヒトさんを助けた!」
「ハハハハハッ!!!!!」
エーレントは急に笑うと、スルリと僕の手から抜けた。
「ロベルトはアンタに惚れこんでいた。
ま、何となく分かるな。」
そう言うなり、煙草を片手で握りつぶした。
「秘儀【空間旅行】」
黒い渦がエーレントを包んでいく。
「ヤベェ…服に血がついてるじゃねェか。メイドに叱られるな、こりゃ…」
そして、黒い渦もエーレントも消え、
割れた酒瓶が転がる部屋で、燭台の火は揺らぎもしていなかった。




