僕は嬉しいです…貴女と共に帰ることが
シリウスが私をエスコートして歩き始めると、正門まで自然と道が開く。
呆気に取られて、ただ見送るばかりの人々。
左を歩くシリウスを見たかったが、
その横顔があまりにも美しく、
心がくじけて下を向いた。
「前を見て歩いてください。
それで大丈夫です。」
何が大丈夫か一瞬分からなかったが、
二、三歩進んですぐに分かった。
シリウスのエスコートに任せれば、
この私でも、お姫様のように優雅に歩けるのだ。
手を掛けたシリウスの腕は、
予想外に固くて、頼もしい。
背丈も私を少し超えたようだ。
私より3つも年下のこの少年は、
どうしてこうも、見事に予想を上回るのだろう。
私は、こんな夢のような道のりが気恥ずかしくなって、
落ち着きなく話しかけた。
「初めて見た…シリウスの神通力…
あんなに凄いと思わなかった。」
「あれはほんのお遊び…
幻を見せただけです。」
「それに…どうして私にも見えたの?
…私には、神鼠の神通力は効かないはず…」
「気付きましたか?」
シリウスは目を細めるようにして、
私をちらりと見た。
いたずらっ子のようだ。
「貴女に、少しでも僕の神通力を見せたくて、
色々研究していたんです。」
正門で、衛兵が馬車が用意して待っていたが、
シリウスは近くにいる馬に素早く飛び乗り、
「こちらで帰りましょう」
と私に手を差し伸べた。
その手を取った瞬間、どうやったのか、
私の体はふわりと宙に浮き、
自然に馬上に収まっていた。
信じられない筋力だ。
シリウスが額の刻印に触れながら何か呟くと、
満開の花が一斉に舞い散り始めた。
ワアッと歓声が上がり、拍手が起こる。
しかし、シリウスは、
人々や慌てふためく衛兵には目もくれず、
馬に鞭を当てた。
**************************
馬は加速し、街の景色が後ろに飛び去って行く。
シリウスの呼吸がうなじの刻印にかかるのを感じ、胸が高鳴る…
…と同時に、猫族としての憎悪と食欲が湧き立ってくる。
「すぐ降ろせ、シリウス!君を襲ってしまう!」
「この姿勢なら襲えない。」
「震えているじゃないか!」
「馬が怖いだけです。」
「嘘をつけ!」
シリウスは私を乗せて、巧みな馬術で走っていく。
道行く人の驚嘆のまなざしも、一瞬で飛び去る。
シリウスは人気のない道に進路を向けた。
しかし、シリウスの呼吸の乱れ、体の震えが、
どんどんひどくなっている。
…こんなにも猫族が怖いのに、
私はひどい言葉を投げつけたのに、
この国の大王なのに、
君は、私を助けに来てくれたんだ。
連れ出してくれたんだ。
本当は、私が、君を助けなければならないのに!
…本当は、助けたいのに…
私は自分の手に噛みついた。
こんなに痛いのに、ほんの少し血が出ただけだ。
最初の日、シリウスはどれほど痛かっただろう。
私は、もう一度、思い切り噛みついた。
まだだ。
もう一度、もう一度…
「何をしているんですか!リヒトさ…」
「ごめんなさい。」
必死に紡いだその一言は、
私の心のドアを開けた。
「シリウス、ごめんなさい。」
「…あの日のことですか?」
耳元で優しい声がする。
涙が溢れてきた。
私は何度もうなずいた。
「あの日のこと…ごめんなさい…
ずっと謝りたくて…でも謝れなくて…」
シリウスは馬の速度を落とした。
「僕は怒っていません。」
「でも、傷ついた。」
シリウスはふっと黙ってから、ポツリと言った。
「感情がないから、傷つきません。」
「だから、だから、
ごめんなさいって言ってるの!」
私は耐え切れずに泣きじゃくった。
「リヒトさん…」
シリウスは、私の耳にそっと口を寄せた。
「ごめんなさい…どうか泣かないで。」
私は激しく首を横に振った。
どうして君が謝るの?
猫族の憎悪と食欲が、
嘘のように引いていくのを感じた。
でも、涙だけは止まらない。
「大神殿に…帰りたくないですか?」
私はまた、首を横に振った。
シリウスは、その頬を、
私の頬にすり寄せるように近づけた。
シリウスの震えも止まっている。
「言葉で聞かせてください。」
「帰り…たい。」
林の小道に、馬の足音だけが流れていく。
この時が一瞬でも長く続くことを祈ろうとしたとき、
馬車の中の自分の願いが、針のようにこめかみを刺した。
小道が終わりに差し掛かり、
遠くに大神殿の影が見えるところになると、
シリウスが小さな声で言った。
「僕は嬉しいです…
…貴女と共に大神殿に帰ることが。」
ボロボロッと音がしそうなほどの大粒の涙が、
私の目からこぼれ出た。
シリウスは、きっと、
遠くないうちにすべての感情を再生し、
歴史に名を残す大王になるだろう。
手への口づけも、
私を包む長い腕も、
刻印への吐息も、
耳元でささやく優しい声も、
共に帰ることを喜ぶ気持ちも、
…じきに、私から離れていく。
私は、全身でシリウスの感触を覚えておこうと、
なるべくシリウスに体を寄せ、
ほんの少しだけ顔も傾けた。
シリウスも、私に触れ合わせるように顔と体を寄せたと感じたのは、
気のせいだったろうか。
夕暮れの一番星の下、
神鼠と猫を乗せた馬が、
大神殿への帰路をゆっくり進んでいた。
……




