【収穫祭編】戻った感情 蘇った傷
リヒトさんは僕の腕の中でじっとしていたが、「あのね」と喋り出す。
「猫の天神で助けてもらったとき、
シリウスが素っ気ない気がして…実はショックだったの…
怖くて、怖くて…君が来てくれて、本当に嬉しくて…
すぐに、こんな風にギュッてしてもらいたかったから…」
僕はハッとした。
「私が、あんな風に…汚されたからダメなのかなって…フッと思ってしまって…」
「あの時は…貴女はテオを好きだと思っていたから…」
僕は、抱きしめたまま、リヒトさんを覗き込んだ。
「汚されたなんて、そんなこと…」
と言いかけて、僕はギクリとした。
まさに、自分がいつも思うことだからだ。
リヒトさんは僕の胸に頭をこすりつけるように首を横に振った。
「『そんなことない』っていう気持ちがほとんどのはずなのに、
なぜか、ことあるごとに、そう思ってしまう。
でも…でも…あの…」
リヒトさんは言い淀んだ。
何とか、言葉の滑り出しを探そうとしているようだ。
僕は、彼女の頭に頬を寄せて、じっと待つ。
「独楽鼠たちから…聞いたでしょう…?
ロベルト様が…君が…誘拐されたとき…」
「ああ、ロベルトは、
僕が、5歳から7歳の2年間、
常時、悪質な性的虐待を受けていたことを、
貴女に話してしまいましたね。
そのことですか?」
僕は明確に、話題をリヒトさんに確かめた。
リヒトさんはピクリと止まったが、頷いて、僕の腕から出ると、
しっかりと僕を見つめた。
「私が、再生計画で君に感情を戻したことで、
君の傷も蘇ったんじゃないの?」
午後の日差しが、石段に光と影を作る。
僕は、少し苛々して答えた。
「それ、今する話ですか。
僕は、お祭りを楽しみたい。
休日はすぐ終わるんだ。」
「今させてほしいの。
ロベルト様にされた、私のことも区切りをつけたいから…
ごめんなさい。君の心は痛いのに…」
急にリヒトさんは僕に抱き着くと、
僕の平民服の胸元を、顔をこすって開けて、
僕の胸に何度も口づけをする。
「ちょっ!リヒトさん!!!
さすがに――ここでは!!!」
僕はもう、ただ泡を食って、
大急ぎでリヒトさんを抱き締め返して、彼女の顔を腕で隠した。
「でも……こうすると、シリウス……傷が痛くなくなるんでしょう?」
と言いながら、リヒトさんは、やめない。
息が荒くなる。
僕は声を絞り出した。
「分かりました!!
続けていいです!!この話を!!」
「少しは痛くなくなったの?」
世界一可愛い猫族が腕の中で僕の顔を振り仰いだ。
そして、真面目な顔で言った。
「私、売春宿で働くわ。」
「ハ…ハ……ハァ――—――――!?!?」
常に冷静沈着を叩きこまれた大王の僕が、
その辺り一帯に響く大声を出した。
「決めたのよ。
二年はさすがに無理だけど…二ヶ月とか。
なるべく、悪質な趣味の人が集まるところで働くの。」
「何を言っているんですか!!!!!」
「今、私たちはフェアじゃないわ。」
フェアって何!?
ああ――意味が分からない!
「私、あんな目に遭って、君に慰めてほしいのに、
『君の方がもっとつらい思いをしてるから我慢しなきゃ』って思っちゃう。
ひどい目に遭った君を慰めたいのに、
『君の方がもっとつらい思いをしているから、私に慰める資格はない』って思っちゃう。
なんかおかしいよ!だから、少しでも…」
「アァァ―――――ッッ!!!」
僕は髪を掻きむしった。
「二年と二ヶ月では長さが違うとか、
7歳と19歳では年齢が違うとか、
その辺りはもう許してほしいの。
行った後に、打ち明けるのも変かなって思ったから、今言ってるの。
私…その、今は…経験がないから…
君のつらさを理解できない部分が多いけど、
売春期間が終わったら、シリウスの気持ちに寄り添えると思う…。
君は止めるつもりでしょ?
でも、そこは勝手にやるから。」
「モォォォォ……」
僕は頭を抱えた。
リヒトさんは、ゴソゴソと僕の腕の中に埋まると、
またも僕の胸に唇を寄せて、この上なく優しく何度も口づけをする。
「二か月間待ってて。
この口づけがなくても、君の心が痛くなくなるようにする。」
「―――――――――――ッッッ!!!!!」
間違いない、この女性は本気だ。
そして……それ以上の口づけは……
また洋品店に行かなければ…
――しかし、突拍子もない、
でも、真剣なリヒトさんの決意表明は、
なぜかよく分からないけど、悍ましい誘拐の傷を、
ポツポツと泡沫のように消してくれる気がした。
と、急にリヒトさんがピタリと止まった。
「あれ…?これは…?」
またゴソゴソと僕の腕から顔を出す。
可愛すぎる。この人一人で国が傾いてしまう。
その傾国のリヒトさんの手には、僕が首につけているロケットがあった。
「これ…私のロケット?」
「ええ。部屋に落ちていたんです。」
リヒトさんはモゾモゾと腕の中でうつむいた。
「中…見てないよね…?」
「…見まし…た…」
リヒトさんの耳が、真っ赤になっている。
「これは…偶然見つけただけで……記念に……」
僕は、首からロケットを外すと、もごもごしているリヒトさんの首にかけて、思い切って聞いた。
「ねぇ、リヒトさん…ロベルトから、どんなことをされたの?」
リヒトさんは黙ってうつむいた。
「ロベルトの計画の話は独楽鼠から聞いたけど、
猫の天神に入ったときからは、
リヒトさんの悲鳴が聞こえる方向に必死に走っていたから…」
リヒトさんは、言葉を探しながら、
自分がされたことをポツリポツリと話し始めた。
午後の日差しは、石段に影を長く伸ばしていく。
「……宿で目覚めたとき、変な匂いがする…って思ってたら、
ここ(リヒトさんは自分の胸元を指した)の唾液の匂いだって気付いて…」
僕は、ロベルトが、あのロベルトの顔が、
リヒトさんの胸元を舐め回す画を想像して、反吐が出そうになった。
「それに…その…下の…方は、直接押し付けられたんだって…
気持ち悪くて、急いでシャワーして何度も洗って…
シリウスを起こしちゃったけど…」
想像もしたくない。
リヒトさんは、目を逸らしたまま「このくらいかなァ?」と、
少し自嘲的な微笑みを浮かべると、スッと立ち上がって、僕の手を引いた。
「さあ、お祭りを楽しもう!」
僕も立ち上がったが、動かずに言った。
「リヒトさん…そんなひどいことがあったのに、
売春宿で働くとか…言ってくれて、ありがとう。」
リヒトさんはそっと手を離したが、僕はすかさず彼女の手首を掴む。
「でも、貴女に慰めてもらう僕の傷は、もう、ないんだ。」
「どういう…?」
リヒトさんは、午後の日差しを受けて目を細めながらつぶやく。
「少し歩きましょう。
――手を繋いでもいいですか?」
リヒトさんはもじもじしながら頷いた。




