リヒトさんの胸の果物
「…シリウス…シリウス…」
薄闇の中で剣舞を舞っていた僕がハッと振り向くと、
訓練場の土の上で、
リヒトさんが、黒い官吏の服をはだけ、悶えている。
リヒトさん!
…叫んでいるのに、
僕の耳に、僕の声は聞こえない。
手を伸ばしても、なかなかリヒトさんに届かない。
足は、動かしても動かしても、
同じ場所から動かない。
「シリウス…早く…」
ここでようやく、僕は彼女の手に届いた。
彼女を思い切り引き寄せ、
はだけた服から手を差し入れ、夢中で胸に触れる。
僕の手の中に収まる、
柔らかい果物の感触。
全身の血が沸騰する。
【全然…違う!
これまでと…違う…!!】
**********
僕の5歳から7歳までの苛酷な虐待には、女もいた。
汚らわしい、見苦しい肢体への悍ましい要求に、どれほど従わされただろう。
また、大王として出席するパーティで見る女性たちのドレスは、
それなりに露出が多い。
ダンスをするときなど、なかなかの景色だ。
心中嫌々ながらも(断ろうとするとロベルトやステファニーに背中をつつかれる)、
令嬢をエスコートして庭園に出るときなどは、
わざと押し付けられたりすることがかなり多いと思う。
何かにビックリしただの、つまづいただの、
色々な理由で抱きつかれることも数えきれない。
でも、僕は、ただただうんざりして、面倒だった。
気付かないふりをして、
「さあ、Madam、お怪我があるかもしれませんから、戻りましょう。」、
真っすぐ愛を訴えられると
「僕はまだ子供です。お気持ちだけ頂きましょう。」…
僕の地位に目を奪われ、
親からせっつかれている令嬢に、心が動くわけがない。
人一倍丈夫で、元気な身体の方は、全く反応しない…わけではなかったが、
それ自体も面倒だった。
そんなことがあった日の夜は、必ず、
彼女の寝台に残されていた枕とシーツを取り出した。
抱き締め合ったときの感触をたよりに、
僕は一人で狂おしい時間を過ごした。
地位も属性も関係なく、
僕を見て、
自分と闘い、
僕を救い、
僕を守るために、
血まみれで去った、
美しくて、
可愛くて、
優しいリヒトさん。
そう言えば、彼女は、自分の身体や胸を「貧相」と言っていた。
僕が今触れている、この可愛らしい果物は…
大きいとまではいえないのかもしれないが、
それさえ愛おしい。
僕は無我夢中。
なんという素晴らしい触感なのか。
全身から汗が噴き出す。
沸騰した血が猛然と一箇所に集中していく…
*********
――が、ここまでは【僕】だったはずなのに、
気付けば、
リヒトさんを愛撫しているのはエーレントで、
僕はそれを離れて見ている。
ヤ…メ…ロ…
声が出ない。
そのうち、リヒトさんは艶っぽい喘ぎ声を上げて、エーレントの頭に、しどけなく手を回す。
エーレントは、「粘膜粘膜…」とささやきながら、リヒトさんと…
『やめろ――――――――――ッ!!!!!!!!』
********
…自分の叫び声でハッと目が覚めた…
一瞬、訳が分からなかったが、
ああ、夢か…と安堵感が心に満ちてくる。
そして、何だ、夢だったのか…と落胆する。
僕は、訓練途中で眠り込んだのだろう…
その瞬間、
「シ…シリウス!…シリウスってば!!!」
ギョッとして目を開くと…
そこは訓練場で、リヒトさんが半分横たわって僕を覗き込んでいる。
「エッ!?!?!?どうして!?!?」
僕は混乱した。
「リ、リヒトさん!?
エッ?ど…どうして!?」
僕は、今度は、夢の中で、彼女の胸を掴んでいた手を見た。
「君が寝ずに訓練してるって聞いて!
心配で覗きに来たの!」
リヒトさんは、何やらプリプリしながら上体を起こした。
…髪や服が乱れている。
「あの…この状況は…どうしたんでしょうか…」
「唸って苦しそうだから、起こそうとしたの!
そしたら、急に君が、私の手を掴んで…」
リヒトさんは爆発しそうに顔を上気させ、慌てて服を整えた。
夢の中の声は、リヒトさんが僕を起こす声だったのか…
じゃあ…
この手に残る肌の感覚は…?
横目で見ると、全身が隠れるマントを羽織っているが、
その下はネグリジェのようだ。
「…僕…夢を見ていたんです…あの…
…もしかして…その…貴女の…胸部を…さ…さ…」
僕は唾を飲み込む。
胸の鼓動で、心臓が口から出そうだ。
「…触ったでしょうか?」
僕はリヒトさんを見られない。
「…うん…」
リヒトさんの小さな声…
「す…素肌…?」
リヒトさんは黙り込んだ。否定しない。
ああ!!!
僕は手を握りしめて、この感覚を記憶した。
夢と…夢の中のエーレントに思わず感謝した。
しかも…火の誓約は反応していないようだ。
貞操の危機を察知しなければ、反応しないのかもしれない。
僕は小さくホッと息をついた。
次の瞬間、
「何よ!!ため息ついて!!!」
リヒトさんは、夕日色の目に涙まで浮かべ、悔しそうに叫ぶ。
「君は…やっぱり!
そういうこと、してたんだね!!!」
「何を言ってるんですか!?」
「男性なら仕方ないこと…かもしれないけど、
比べなくたっていいじゃない!!」
「何を…?」
「もういいよ!!!」
「もういい、じゃないでしょう!」
勝手に何か勘違いして、
この甘い感覚を吹き飛ばさないでほしい。
「もういい、だよ!!!何も戻らないじゃない!!!」
ビンタが飛んで来た…
僕は避けようとしたが、
「大ッッッ嫌い!!!!!!!!」
その言葉に頭が真っ白になって固まる。
中途半端に避けたから、リヒトさんの爪が僕の頬と鼻を引っ搔いた。
ゾワ…
ゾワ…
しまった、と思う間もなかった。
傷から滲む血を見たリヒトさんは、
あっという間に禍々しい空気を身にまとい、
僕に襲い掛かる。
恐怖に囚われながらも、僕は、何とか対抗する。
「リヒト…さん…目を覚まして…!!!」
僕は形勢を逆転して、リヒトさんを上から押さえ込んだ。
リヒトさんは暴れる猫のように、手足をバタつかせ、僕を引っ掻いて噛みつこうとする。
僕の方は、猫族に対する恐怖であまり身動きがとれない。
しかし、さすがにこの体勢だと、僕とリヒトさんでは、重さも力も違い過ぎる。
…そう、神鼠の僕が、猫族に勝っているのだ。
「どうして…大嫌いなんて…言うの…?」
僕は震える声を振り絞った。
「どうして、そんな、ひどい言葉が、あっさり出るの…?」
リヒトさんの瞳孔は真っ黒だ。
僕の下で激しくもがいている。
僕は、彼女を押さえつけたまま、再び恐怖で硬直してしまった。
僕の頑丈な身体は、彼女がもがくほど、自然と彼女を締め上げる。
リヒトさんのもがく力は徐々に弱くなっている。
大嫌い…?
リヒトさんが?
僕のことを?
…そう言えば、そもそも、
リヒトさんは、僕のことを、好きなんだろうか?
…男として。
僕の身体は硬直したまま動かなくなっている。
身体を動かさなくては、リヒトさんが死んでしまうかもしれないのに!
僕が…テレシウスではない僕自身が、殺してしまうかもしれないのに!!!




