私の家に来ないか
幸い、傷はそれほど深くなかったようで、2、3日すると俺は動き出した。
「猫だから、傷は舐めりゃ治るな!」
得意になる俺に、テレシウスは、
「貴様の薬湯には、薬草のメドが使われているだろう。
あれが効いたようだ。」
と澄まして言う。
「あ?俺、飲んでねェけど…」
「貴様が寝ているときに何度か飲ませた。」
「そりゃどうも……」
俺はハタと動きを止めた。
「…なあ、野暮かもしれねェけど…どうやって…」
「ハッ!野蛮で野暮な猫族だな!!!」
思わずテレシウスの口元に視線をやってしま…いそうになったが、
俺は急いで背を向けた。
「まあ、非常事態だもんな。
減るもんじゃねェし、お互い…」
口の中でモグモグと言葉を転がす俺の後ろ姿に向かって、
テレシウスはさらりと言う。
「おい、これからもメドの薬湯は飲んでおけ。
あれは傷の治りが早くなる。」
俺の手当てをしたのはテレシウスだ。
見覚えのない薬が塗られている。
包帯も、どれだけ動いても外れない巻き方だ。
「おい、聞いているか。」
音もなく背後にテレシウスが立って、後ろから俺を覗き込んでいる。
飛び上がるほど驚く俺の耳元に、絹糸のような白銀の髪が流れる。
「私に飲ませて欲しいのか?うん?」
「調子のんな!
さっさと出て行け!!!」
振り向きざまに蹴りをかましたから、
テレシウスは手に持った薬湯を頭から浴び、
俺は傷の痛みで転げ回る結果となった。
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「おい、貴様を襲ったのは、
ステンチという猫族の一家だろう。」
服で顔を拭きながらテレシウスは言う。
「…ああ、そうだ。」
身体と心の熱気が冷めていく。
俺は煙草に火をつけた。
誰かに憎まれていることを思い出すのは、王でもつれぇ。
でも、俺は、誰かに大切にしてもらっているから、マシだ。
「貴様は狙われている。
相当数の猫族に、だ。」
「ハァ?なんで!?
なんでだよ!!!」
思わず俺はテレシウスに掴みかかったものの、
自分の傷の痛みでうずくまる。
しかし、言葉は止まらない。
「なんでだよ。俺の方針で…貧しかった猫族は潤ってるじゃねェか。
病気の子供も元気になった!
仕事があって、食うものを買える。
隅っこでも、笑って生きていられるんだぜ!!!
何が不満なんだよ!!!」
「誰かが困惑や不幸に目をつけて、自分の豊かさを得る輩もいる。
お前は、既得権益で安住している輩を脅かしている。」
「知るかよ!!!そいつらが死ねよ!!!!」
「貴様の言うとおりだ。」
テレシウスは、うずくまる俺のそばに来て、
静かに片膝をついた。
「エーレント。
ディモイゼの私の家に来ないか。」
俺はギョッとして顔を上げた。
テレシウスは、俺を静かに見つめる。
「ここにいては、また同じことが起こる。
しばらく身を隠せ。
貴様を狙っている者もディモイゼでは動きにくいし、
そもそも、ディモイゼにいるとは思わんだろう。」
俺は、テレシウスの透き通る瞳を見た。
「私の家も大したものではないが、
貴様が隠れる場所くらい作れる。」
俺は、テレシウスが何者か知らない。
それでも、猫族の王を救うために身を挺し、
鼠族の都ディモイゼに匿おうとすることが、
鼠族の…しかも、おそらく、只者ではないこの男にとって、
どれほど危険なことかは想像がつく。
しかし、この男の瞳は、ただただ、澄んでいた。
テレシウスは、自分の利益と俺の命を天秤にかけることなど、思いつかないのだ。
目と鼻の奥がツンとする。
目を逸らして、煙を吐きながら呟いた。
「俺さァ、継承者になったとき、
猫族の王として死ぬまで生きるんだと思った。
別に望まれてもねェ命だから、それでもいいかと思ってよ。
今までやってきたわけ。」
テレシウスは黙っている。
「知ってんだろ。
俺が、ディモイゼに行くことを禁止して…
規律に違反した奴らを殺したことを。
だから…
だから、
行けねぇ。」
テレシウスは黙っている。
俺は煙草をもみ消して、伸びをした。
「ディモイゼか…
どんなとこなんだろうな。
豪華な屋敷とか、華やかな店とか、でかい通りとか…」
俺は、粗末で仕事道具で溢れた俺の部屋を見回す。
「そんでさァ、すかした奴らばっかなんだろうな。
俺を『汚い猫族だ』とか言いやがってよ。
でも、アンタに一瞥されたら、そいつら震えあがって、いい気味だ。
アハハハ!!!」
葉巻を差し出すと、テレシウスは黙って受け取る。
俺は自分も葉巻に火をつけた。
が、火をつけようとテレシウスが煙草盆に伸ばした、その手を、
俺は遮った。
「火なら、ここにある。」
俺は、すかさず、自分の葉巻の先を、テレシウスの葉巻の先につけた。
チリチリと、火が嚙み合うように移って行く。
俺たちは、煙を挟んで、それでも目は逸らさなかった。
しばらくして、テレシウスは低い声で言った。
「ハッ…貴様は馬鹿だ。」
「――ありがとうな。」
それから俺たちは、煙の行く先を、随分長い間、
並んで、ぼんやりと見送っていた。




