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Jardin miniature いきものは独りでなんか生きていられない  作者: kitty
第4章 学園の影で闇は嗤う
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心の訓練

訓練場の空気は、いつも以上に張り詰めていた。


聖騎士見習いたちの前に立つのは、レオ・ルナール教官だ。

その隣には、複雑な紋様が刻まれた銀の小箱を抱えた神聖術師たちが、重々しく控えている。


「——全員、聞け」


レオの鋭い声が響くと、

見習いたちの背筋が、一斉に、弾かれたように伸びた。


「本日は、神聖術師の監督下で瘴気順応訓練を実施する」


彼は術師の一人に合図を送る。


箱から取り出されたのは、黒い水晶——

その内側では、どろりとした澱みのようなものが、まるで意志を持つかのように蠢いている。


「新人もいる。要点のみ説明する」


新人たちの間に、細かなさざ波のような動揺が走る。


「この水晶は瘴気を封じた聖具だ。

封印を調整し、濃度を制御することで、この場に瘴気環境を再現する」


教官は水晶を手に取り、見習いたちの顔をゆっくりと見渡した。


「濃度は段階的に引き上げる。

各自、その場で状態を維持しろ」


くるりと振り返る。


「ただし、無理はするな。

特に新人——本日は“瘴気を知る”ことを目的とする」


一瞬、視線が鋭くなる。


「異変を感じた時点で即離脱。

限界の見誤りは致命傷になると心得ろ」


レオは神聖術師たちに合図を送る。


「——開始する」


神聖術師の一人が、水晶に手をかざす。


淡い光が走り——


封印が、ほんのわずかに緩められた。


じわり、と。


黒い靄が、透明な空気を侵食し始めた。


「……っ」


誰かが、喉を鳴らす音が聞こえた。


目には見えるが、物理的な感触はない。

それなのに——胸の奥に、鉛を流し込まれたような重苦しさが沈殿してくる。


理由のない、不安。

言葉にできない違和感。


「まだ初期段階だ。

呼吸を整えろ。自分を見失うな」


レオの声が、冷たく、しかし確かな楔となって場を繋ぎ止める。


ジャミーラは、意識的に細く長く息を吐いた。


(……大丈夫。耐えられる)


心臓を掴まれるような不快感はある。


けれど、彼女は知っている。

あの夜、あの場所で感じた、魂まで凍りつくような瘴気に比べれば——まだ、あまりに浅い。


指先に、わずかに力を込める。


ただ、自分の輪郭を確かめるように。


(私は、ここにいる。まだ、侵されてなどいない)


自分に言い聞かせるように、彼女は冷たい霧の中に立ち続けた。


時間が経つにつれ、

一人、また一人と列を離れていく。


「……すみません」


「外れます……」


顔色を失い、足元をふらつかせながら、

結界の外へと出ていく見習いたち。


神聖術師が即座に浄化を施すが、一度刻まれた恐怖は容易には消えないようだった。


そして——


残った者の数は、確実に減っていった。


⚜️⚜️⚜️


訓練後の訓練場は、異様な静けさに包まれていた。


張り詰めていた緊張は解けたはずなのに、誰も大きな声を出さない。


談笑もほとんどなく、

ただ、押し殺したような気配だけが残っている。


(……重い)


ジャミーラはゆっくりと息を吐き出した。


身体が動かないわけではない。

だが、自分の手足が自分のものではないような、微かな乖離感がある。


(……大丈夫)


思考で、自分を繋ぎ止める。


それでも——


胸の奥に残るざらつきは、消えなかった。


「お疲れ様でございますわ」


不意に声をかけられ、顔を上げた。

ルイーズだった。


姿勢は正しく、微笑みもいつものように穏やかだ。だが——。


(……呼吸が、少しだけ速い)


完璧に整えられた彼女の仮面の裏に、隠しきれない疲労が滲んでいた。


「ルイーズ様……大丈夫ですか?」


「ええ、平気ですわ。……少し、中てられただけですから」


言葉の継ぎ目に、ほんの僅かな空白があった。


彼女もまた、途中で離脱した一人なのだろう。ルイーズはそれを悟らせまいとするように、いっそう深く微笑んだ。


「最後まで立ち続けていらっしゃるなんて、流石ですわ。

皆、精神的に参ってしまっているというのに」


彼女の視線の先では、床に座り込み、肩で息をする見習いたちがいた。


「流石ですわね」


「……そうでしょうか」


ジャミーラは曖昧に笑い、視線を巡らせる。


——ふと。


柱の影に、アルテリスの姿があった。


壁際に立ち、ムスタファと静かに言葉を交わしている。


あのような訓練の直後だというのに、呼吸一つ乱れていない。


(やはり、あの方たちは別格だわ……)


「ムスタファ殿下が、気になりますか?」


ルイーズの問いに、ジャミーラは思わず肩を揺らした。


「ご婚約者ですものね」


「そういうわけでは……」


言葉を濁す。


本当は——

視線の先がアルテリスだったことを、説明できなかった。


ルイーズはその様子を“愛らしい照れ”と受け取ったのか、穏やかに笑みを深める。


「よろしければ、このままご一緒に参りませんか?

汗を流して、気分を切り替えましょう」


「ええ、ぜひ」


二人は並んで廊下を歩き出す。

石造りの冷たさが、訓練後の熱を吸い取っていく。


「……ジャミーラ様は、お噂とは随分違って、驚きましたわ」


ルイーズがふと声を落とした。


「……噂、ですか?」


「ええ。ご入学当初は、殿下を追いかけてこの学園にいらした、一途で……情熱的な方だと、有名でしたのよ」


「それは……誤解ですわ!」


思わず足を止め、声を荒らげてしまう。ルイーズは「ふふ」と楽しげに笑った。


「分かっておりますわ。

実際のジャミーラ様は、落ち着いていらっしゃる。

殿下に積極的に近づくご様子も……あまり見受けられませんもの」


「……」


「でも——だからこそ、気になってしまったのです。

ジャミーラ様にとって、

ムスタファ殿下はどのような存在なのか、と」


その問いに、ジャミーラは即答できなかった。


この婚約は契約だ。

ただの“ふり”なのだ。


だが、そのようなこと言えるはずもない。


「まだ分かりませんの」


わずかに視線を落とす。


「新入生歓迎会で初めてお会いして……

お互いを知る時間は、これからですから」


嘘はついていない。

ジャミーラは視線を落として、そう答えるのが精一杯だった。


「そうですわね。これからゆっくりと絆を育んでいけばよろしいのですわ」


ルイーズはそれ以上踏み込まず、優しく頷いた。

ジャミーラはふと、聞き返したくなった。


「……ルイーズ様は、ご自身のご婚約者様のことを、どのように思っていらっしゃるのですか?」


ルイーズは一瞬きょとんとした後、愛しいものを思い浮かべるように目を細めた。


「ジャン、のことですわね。

幼い頃からの付き合いで、気がつけばずっと隣におりました。

彼とは切磋琢磨してきた同志であり、口うるさい兄のようでもあり……一番の親友。

私にとって、彼はそういう存在です」


その声には、一切の迷いがなかった。


「恋慕、という刺激的なものとは少し違うのかもしれません。

けれど、共にいることが当たり前で、これからもそう在りたいと心から願う相手ですわ」


「……素敵ですわね。確かな信頼があるなんて」


ジャミーラは、胸の奥が少しだけチクリと痛むのを感じた。

自分たちの“偽りの関係”とは正反対の、本物の絆。


「ふふ、ありがとうございます」


照れたように笑うルイーズを見ながら、ジャミーラは羨望にも似た思いを抱く。

素直に婚約者を想える彼女が、少しだけ眩しく見えた。

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