少女の夢
あれからジャミーラは、毎日のように放課後の図書館へ通い、アルテリスを見つけては共に勉強をするようになっていた。
図書館以外で顔を合わせることは、ほとんどない。
言葉を交わす時間も、ほんのわずかだ。
それでも——
彼と過ごす静かなひとときは、ジャミーラにとって心地のよいものだった。
ある日の帰り道。
「ねえ、アルテリスさん。
今度……よろしければ、一緒にお茶でもいかがかしら?」
ふと思い立ち、ほんの少し勇気を振り絞って誘う。
「私と……ふたりで、でございますか?」
「ええ、そうよ」
だが、アルテリスの表情は、どこか硬かった。
「シャマル様には、ご婚約者がおられます。
これ以上、異性とふたりきりで過ごされるのは……
相応しくないかと存じます」
真剣な眼差しで告げられ、ジャミーラは思わず足を止めた。
「……知っていらしたのね?」
「この学園では、周知の事実かと……」
ランデュート王国侯爵令嬢、ジャミーラ・シャマル。
そして、ランデュート王国第二王子の婚約者——
それは、確かに誰もが知る話だった。
だが、アルテリスは図書館での時間を、何の迷いもなく受け入れていた。
だからジャミーラは、彼は知らないのだと、勝手に思い込んでいたのだ。
(知っていたのなら……どうして、何も言わなかったのかしら)
胸の奥が、わずかにざわつく。
「私は……もう噂なんて気にしないわ。
それに、お誘いしたのは“友人として”よ。
……迷惑かしら?」
自分でも、少しずるい聞き方だと思った。
けれど、アルテリスは小さく首を横に振る。
「……いえ。そのようなことは、決して。
明日の放課後、裏庭にてお待ちしております」
複雑そうな表情とは裏腹に、その返事に、ジャミーラの顔はぱっと明るくなった。
⚜️⚜️⚜️
「風が気持ちいいわね」
学舎から離れた裏庭の一角。
色とりどりの花に囲まれたガゼボで、ジャミーラは香り高い茶を味わっていた。
「こんなに素敵な場所なのに……どうして人がいないのかしら」
ぽつりとこぼれた言葉に、アルテリスが控えめに答える。
「こちらは本来、生徒会役員のみ利用を許されている場所でございます」
ジャミーラは、思わず目を見開いた。
——そういえば。
来る途中、門で門番がアルテリスに何かを確認していた。
あれは、ただの挨拶ではなかったのだ。
「わたくしたちが使っても……大丈夫なの?」
「生徒会長より許可をいただいております。
どうぞ、ご安心くださいませ」
落ち着いた声が、彼女の不安を静かにほどく。
「そういえば……
アルテリスさんも、生徒会の役員なのよね」
「はい。特別生徒は、入学と同時に役員となりますので」
静かに茶を口に含むアルテリス。
その仕草は、生まれながらの貴族のように洗練されていた。
「ねえ、アルテリスさん。
どうして、この学園に入学しようと思ったの?」
聖エリュシア学園は、王侯貴族の子女が集う場所。
彼がここに立つには、王侯貴族の推薦と超難関試験への合格——
相応の理由があるはずだった。
「私には、生涯お仕えしたいと心に決めたお方がおります。
その方がこの学園へ入学なさり……
私も、試験を受けさせていただきました」
意外な答えだった。
いつも独りでいる彼が、誰かに仕えているようには見えなかったからだ。
「……どなた?」
「それは……今はまだ、申し上げられません」
迷いを含んだ声。
“まだ”という言葉に、ジャミーラの胸が、ほんのりと熱くなる。
(いつか……教えてくれるのかしら)
そう思い、それ以上は踏み込まなかった。
しばらくして、アルテリスが背筋を正す。
「シャマル様。
私からも、ひとつ……お尋ねしてよろしいでしょうか」
「何かしら?」
「“神聖術”に、ご興味がおありなのですか?」
胸が、きゅっと跳ねた。
理由を尋ねると、アルテリスは静かに答える。
「神聖術に関する書物を、ご覧になっておられましたので」
思い当たる節があり、ジャミーラは少し頬を染めた。
「……少し、ね。でも、大きな声では言えないわ。
私は“ランデュート王国の民”で、“王子の婚約者”でもあるもの」
神々を信仰する聖教会から、最も距離を置かれている国——
ランデュート王国。
その出身者が神聖術に憧れていると知れたら、どう思われるか分からない。
ジャミーラは、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「……三年前の“大厄災”。
世界を覆っていた大結界が破られて、
魔族がジャルダンへなだれ込んだ、あの日——。
私の家も、魔族に襲われたの。
父も、母も、兄も弟も……皆、
目の前で命を落としたわ」
アルテリスの指先が、ほんのわずかに強くカップを握る。
だが、すぐに何事もなかったかのように指先の力を抜いた。
「あの時、私も死ぬはずだった。
でも、聖騎士団の方が来て……私だけ、助け出されたの」
赤く染まった床。
動かなくなった家族。
迫る刃。
恐怖で、足が動かなかった自分。
「何が起きたのかも分からないまま連れて行かれて……
気がついたら、教会にいたわ。
家族を失って……しばらくは水も飲めなかった。
泣き方も忘れて、涙も出なくて……
ただ、真っ暗で……」
その声が、かすかに震える。
「死んでしまいたいとさえ……思っていたわ」
——そのときだった。
「……神聖術師の方が、歌を歌ってくださったの。
とても綺麗で、優しくて……
その歌を聴いているうちに、心に押し込めていたものが溢れて……
その日は、久しぶりに声をあげて泣いたわ」
静かに微笑むジャミーラの瞳は、遠い記憶を映している。
「まるで、その歌が……
闇の中にいた私の手を、引いてくれたみたいだった」
純白の制服に身を包んだ、凛とした姿。
民を救う力と、寄り添う優しさを併せ持つ神聖術師。
「だから思うの。
私も、あの方のように……
誰かの心を救える神聖術師になりたいって」
——けれど。
「でも……叶わない夢なのよね」
自嘲気味に、ジャミーラは小さく首を振った。
「……神聖術を学ぶために、この学園をお選びになったのですね」
「ええ。せめて“学ぶ”くらいなら……許されるでしょう?」
それきり、アルテリスは何も言わなかった。
彼の沈黙は、否定でも肯定でもなく——
ただ、深く、ジャミーラの痛みを受け止めていた。




