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Jardin miniature 神々の箱庭で、少女たちは軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第2章 変わりゆく繋がりの中で
50/90

拒まれても、なお

翌日。

生徒会室の午後は、穏やかな静けさに包まれていた。


机の上には開かれた参考書と、湯気の立つティーカップ。

窓から差し込む光が、書類の端を柔らかく照らしている。


「はぁ……」


ジャミーラの口から、大きなため息がこぼれた。


視線は教本に落ちている。

けれど、文字はほとんど頭に入ってこない。


昨日の回廊での会話が、何度も胸の奥で反芻される。


「悩み事ですか?」


向かいに座っていたライルが、羽根ペンを置いて顔を上げた。


「え……。ええ」


自分が一人ではないことを思い出し、

ジャミーラは途端に気恥ずかしくなった。


ライルは肩をほぐすように、小さく息を吐いた。


「少し休憩しますか?」


「そうですわね」


ジャミーラもそっと本を置く。


「伺っても?」


「……?」


「シャマル様の、悩み事です」


真っ直ぐな視線。


ジャミーラは一瞬言葉を選び、それから口を開いた。


「他者に心を開いてもらうには、どうすればいいのかと」


「アルテリスのことですか?」


迷いなく言い当てられ、ジャミーラは頷く。


「……ええ」


視線を窓の外へ逃がしながら、続けた。


「アルテリスさんとお話をしていると、時折……距離を感じるのです。

立場ゆえかもしれませんが、それ以上に、線を引かれている気がして」


「あいつと、何かあったのですか?」


「その……」


喉元まで出かかった言葉を、飲み込む。


言えない。


ライルはそれ以上踏み込まず、柔らかく言った。


「無理には聞きません。

ですが——俺も似たように感じることがあります」


「イルハン様も?」


「ええ」


一拍置いて、続ける。


「あいつは時折、身分や立場に固執して壁を作るんです。

特に、心配されたり気遣われたりすると」


横目で、ジャミーラを見る。


「イルハン様は、何でもお見通しですのね」


「似たような経験があっただけです」


軽く肩を竦める。


「イルハン様に対してもそうでしたら、わたくしにはもっと、ですわね」


「まあ、俺もあいつと会ってまだ一年弱ですから」


ジャミーラは目を丸くした。


「そうなのですか?

皆様仲がよろしいので、もっと長いのかと」


「そう見えるなら嬉しいですね。

実は——当初はもっと険悪だったんですよ」


驚くジャミーラに、ライルは小さく笑った。


懐かしむように遠くを見つめてから、

ふと思いついたように言った。


「丁度いい機会です。

——昔話でも、しましょうか」


「昔話?」


「ええ。

俺と殿下、そしてアルテリスの出会いの話です」


「是非、お聞かせくださいませ」


ジャミーラは目を輝かせた。


それに、ライルは微笑みを浮かべる。


カップを持ち上げ、

立ちのぼる湯気の向こうへ、視線を投げた。


⚜️⚜️⚜️


「俺の両親は、ランデュートでは変わり者でしてね」


穏やかな声が、少し遠くなる。


「外国が好きで、仕事以外でも二人で頻繁に旅に出ていました。

口癖はいつも“世界は広い”でしてね」


ライルは苦笑する。


「視野を広げろと、半ば強引にこの学園へ送り込まれたんです」


一拍。


「学園に入ってからは——地獄でした」


穏やかな声の奥に、冷えた記憶が滲む。


「“悪魔”。それが俺の呼び名でした。

陰口は日常茶飯事。

だんだん授業に出るのも嫌になって、

三年ほど腐っていました」


「……それでも進級は」


「ええ。試験だけは受けてましたから」


小さく笑う。


「意地、ですね」


そして、声が少し低くなる。


「四年になった頃。

風の噂で、ランデュートの王子が編入されたと聞きました」


ジャミーラの指先が、わずかに動いた。


「ある日、掲示板で試験結果を見た時です。

上位に殿下の名前があるのを見て、

——お会いしたくなったんです」


ライルはわずかに自嘲を込める。


「正直に言えば、下心です」


「下心?」


「ええ。近づけば、俺の立場も変わるかもしれない」


あっさりと言う。


「同じランデュートの民。

俺なら取り入れるかもしれない、と」


ジャミーラの眉が寄る。


「最低でしょう?」


「……正直ですのね」


ライルは静かに笑う。


「その日から、俺は殿下にしつこく付き纏いました。

ですが、全く相手にされなかった」


そして——


「だから、俺はアルテリスに目を付けたんです」


金色の髪に琥珀色の瞳。

ランデュートの民とは明らかに違う、

どこか異国めいた美しい少年だった。


「殿下の従者、随分と愛らしいですね。

もしや……そのようなご趣味がおありで?」


軽い冗談。

笑いを取るつもりだった。


だが次の瞬間。


背筋が凍った。


「……失せろ」


低く、静かな声。


ムスタファの目は、氷より冷たかった。


あの目を向けられた瞬間。


本気で思った。


(やべぇ、死ぬかと思った)


王族の威圧ではない。

本気で怒った男の目だった。


ムスタファは踵を返す。


アルテリスは一瞬だけライルを見る。


何か言いかけて。


だが、ムスタファが制した。


背中が遠ざかる。


その話を聞いて、ジャミーラは息を呑んだ。


「……あの時、やっと気づきました」


ライルは静かに言った。


「俺は、自分を虐げた連中と同じことをした」


都合よく利用しようとし、

容姿で決めつけた。


——尊厳を踏みにじった。


「最低な奴だ、と」


それからの出来事を、ライルは静かに語る。


二人に付き纏うのをやめたこと。


再び向けられる冷笑。

背後から投げつけられる嘲りの声。


「あの悪魔、媚び売るのやめたんだな」


「静かでせいせいするよ」


「正直、鬱陶しかったよな」


わざと聞こえるように落とされる声に、逃げ場はなかった。


笑い声が混じり、胸の奥がきつく締めつけられる。

視線を上げることもできず、ただ足元を見つめた。


その時だった。


「イルハン様。どうか胸をお張りください」


静かで、柔らかな声だった。

それでも不思議と、その声だけははっきりと耳に届いた。


振り向くと、金色の髪の少年が立っていた。

光を受けて、その髪がふわりと揺れる。


そして——

彼はそっと耳打ちした。


「他者を陥れる言葉を口にする者こそ、

悪魔の一族より余程、悪魔めいて見えるものです」


その瞬間、それまで背中に突き刺さっていた嘲笑が遠のいた気がした。


胸の奥に張りついていた息が、

ようやくゆっくりとほどけていく。


その言葉に、どれだけ救われたか。


「俺は、殿下にもアルテリスにも、深く頭を下げました。

もう近づかないと誓って」


だが——


「そしたら、アルテリスが言いました。

共に殿下にお仕えしませんか、と」


ジャミーラが目を見開く。


「……なぜ」


「俺も、後で同じことを聞きました。

どうして俺に声をかけたんだ、と。

俺はお前に、あんなに酷い言葉を掛けたのに」


ライルはカップを見つめる。


あの時、アルテリスは一瞬だけ困ったように微笑み、それから口を開いた。


『私も、イルハン様と同じです。

殿下には、味方となってくださる方が必要でした。


傷つけられたことのある方は、

他者の痛みを見過ごせないものです。


ですから私は——

そういう方にこそ、

殿下のお傍にいていただきたいと思ったのです』


生徒会室に静寂が落ちる。


「……あいつらしいでしょう?」


小さく笑う。


「全部、殿下のためだ」


一拍。


「でも俺は思いました。

あいつの言い分は、半分は建前だと」


ジャミーラが顔を上げる。


「殿下のためだと言ってましたが——

俺は違うと思っています。

あいつは、傷ついてる人間を放っておけなかったんです」


小さく笑う。


「あいつが居たから、俺は殿下に仕えられることになった。

だから俺は、あいつのためにも——

誠心誠意殿下に務めようと決めたんです」


仕事を手伝い、雑務を引き受けた。


気づけば、三人でいるのが当たり前になっていた。


窓の外で、風が木々を揺らす。


ライルはカップを置いた。


「少し話が逸れましたね。

アルテリスの心を開くにはどうすればいいか、とのことでしたが——


正直、答えは俺にも分かりません」


「ただ、あいつは、他者を全く信じないわけじゃない。

自分がそこに混ざる資格があると、思ってないだけなんです」


カップの縁を指でなぞる。


「アルテリスは……“自己犠牲の塊”みたいなやつです。

自分のことは、後回しどころか、勘定にも入れてない節があります」


ジャミーラは静かに視線を向ける。


「殿下や俺のことは当然のように助けるくせに、

差し出された手を、やんわり押し返す。

“自分は大丈夫です”って」


ジャミーラの指先が、わずかに強くカップを握った。


ライルは静かに続ける。


「俺はアルテリスに助けられた。

あいつ、根はとんでもなく良い奴なんです」


静かな声だった。


「それを分かっているから、俺はあいつを放っておくことができない」


一拍。


「あいつは、自分から人を頼れない。

だから——

誰かが諦めずに声を掛け続けるしかない」


ライルは真っ直ぐにジャミーラを見る。


「だから俺は、あいつに対してだけは決めてるんです。

一度で伝わらなくていい。

あいつが拒んでも、線を引かれても、

それでも言い続ける、と」


少しだけ、口元を緩める。


「あいつは壁を作っても、

人を完全に突き放したりはしません。

だから、しつこいくらいが丁度いい。


諦めずに言い続けること。

それが、あいつにとっての“信頼”になると

俺は思っているんです」


ジャミーラは、静かに息を吸った。


(……それは、なかなか勇気のいることですわね)


けれど同時に、胸の奥で何かが、すとんと腑に落ちた。


「……分かりました」


ジャミーラは、ゆっくりと顔を上げた。


「わたくしも、しつこいくらいに伝え続けてみますわ」


ライルは一瞬目を瞬かせ、すぐに微笑んだ。


「アルテリスにとって災難の始まりですね」


「ふふ……そうかもしれません」


けれど、その笑みは迷いのないものだった。


午後の光が、少しだけ傾く。

カップの中の紅茶は、もう湯気を立てていない。


それでも、ジャミーラの胸の内には、確かな温度が残っていた。


(距離を測るのは、やめましょう)


(拒まれることを恐れて、黙っているより——)


踏み込む。

何度でも言葉を重ねる。

相手が線を引くなら、その線を理解した上で、なお隣に立つ。


(言葉にしなければ、伝わらないこともありますものね)


それが、彼女なりの答えだった。


午後の光の中で、生徒会室は再び穏やかな静けさに包まれる。


それは確かに、束の間の息抜きであり——

同時に、ジャミーラが“覚悟を固めた”時間でもあった。

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