少年の憎悪
歓声。
落胆。
笑い声。
乾いた風が、掲示板の紙をかすかに揺らしていた。
陽光は澄み、石畳を鋭く照らしている。
その喧騒の背後に——ひとり、沈鬱な影が立っていた。
ハムザ・ハウゼン。
上部丸みを持たせ襟足を長めに残した茶髪は、整えられている。
それでもどこか硬く、光を弾くように見える。
眉間には深い皺。
強く噛みしめた唇は血の気を失い、顎の線がわずかに震えていた。
握り締めた拳。
白くなる指先。
微かに震える呼吸。
掲示板には、金文字で刻まれた上位の名。
一位 アルテリス
二位 ムスタファ・ランデュエル
三位 ハムザ・ハウゼン
——三位。
決して悪い成績ではない。
むしろ、称賛されるべき順位だ。
だが。
(また、あいつが一番か……)
夕陽を受けて、金文字の“アルテリス”の名が眩しく煌めく。
二位のムスタファではない。
王子でもなく、名門の血でもない。
その上にいるのは——
“孤児”。
家名も後ろ盾も持たないはずの存在。
それが、何度も、何度も、何度も。
自分の上に立つ。
胸の奥に、熱いものが溜まっていく。
悔しさ。
焦燥。
そして——認めたくない羨望。
少し離れた場所から、柔らかな声が風に乗って届いた。
「本当に……すごい方々ですのね」
振り向かなくても分かる。
ジャミーラ・シャマルの声だ。
澄んだ響き。
尊敬と、素直な憧れが滲む音色。
その声が、ハムザの胸を鋭く抉る。
拳にさらに力が入り、爪が皮膚を破る。
じわり、と赤が滲んだ。
そこへ、いつもの軽快な声が背後から落ちてきた。
「いやぁ、さすがハムザ様!
三位なんて流石ですね!」
「俺達にとってはハムザ様が一番です」
振り向けば、取り巻きの二人が笑顔を向けている。
——その笑顔の裏にある打算も、恐れも、ハムザは誰よりも理解していた。
(違う……)
欲しいのは、こんな言葉じゃない。
胸の奥に広がるのは誇りではなく、虚しさだった。
視線の端で、ジャミーラがライルと何かを話し、笑っていた。
その会話の中で、ふと“アルテリス”の名がこぼれた気がした。
その瞬間。
胸の奥で、何かがひび割れた。
……ざわ。
風ではない。
人の声でもない。
耳の奥を撫でる、湿った囁き。
ハムザは弾かれたように振り返る。
だが、そこには誰もいない。
ただ、空気がわずかに重く沈み、陽だまりが陰ったような感覚だけが残る。
『悔しいか?』
低く、柔らかい声。
(……誰だ……?)
喧騒が遠のいていく。
生徒たちの声が水底の泡のようにくぐもり、世界が鈍く歪む。
『——お前の望み、俺が叶えてやろうか?』
甘い。
静かで、優しい。
だが、その底には冷たい闇が蠢いていた。
胸の痛みが、ゆっくりと溶けていく。
(俺の……望み……?)
『“一番”になりたいんだろう?
努力を、正しく評価されたいんだろう?
誰かに——選ばれたいんだろう?』
選ばれたい。
その言葉が、胸の奥に落ちる。
幼い頃から積み重ねてきた鍛錬。
努力して、成績を上げて。
それでも、届かない。
『なら、俺が手を貸してやる』
視界の端で、黒いものが揺らめいた。
煙のようで、影のようで。
夜そのものが細く裂け、そこから滲み出したかのような“何か”。
ハムザは、動けない。
拒絶の言葉より先に、胸の奥へ甘い安堵が染み込んでいく。
楽になる。
この焦りも、劣等感も。
あいつの背中を追い続ける苦しさも。
『望むなら与えよう。
お前が“あいつ”を越えるための力を』
喉が鳴る。
ほんの一瞬、迷いがよぎる。
——だが。
掲示板の一位の名が、再び視界に映る。
アルテリス。
その名が、刃のように胸を刺した。
ハムザの唇が、かすかに動く。
「……欲しい」
それは、声にならないほど小さな呟き。
だが——
影は確かに、応えた。
『与えてやろう。
お前が“あいつ”を越えるための力を』
空気が、さらに重く沈む。
「ハムザ様?どうかされたんですか……」
取り巻きの不安げな声が近くで響く。
だが、その声はもう遠い。
掲示板に背を向け、ハムザはゆっくりと歩き出す。
足取りは静か。
けれどその影は、さきほどよりも濃い。
その瞳には、迷いはない。
——まだ、完全ではない。
だが確実に。
黒い何かが、彼の心に触れていた。




