萌芽
真夜中。
言いようのない胸騒ぎに、アルテリスははっと目を開いた。
静まり返った部屋。
冷えた空気の中で耳を澄ませば、外気の揺らぎが、微かに乱れているのがわかる。
呼吸を整え、気配へと意識を沈めたその瞬間——
すぐ傍らで、人の気配がわずかに動いた。
「起きているか」
「はい」
低く、闇に溶ける声。
窓から差す月光に、漆黒の髪が淡く縁取られる。
——ムスタファだ。
アルテリスは上体を起こし、音を立てぬよう寝台の縁へ腰掛けた。
「気づいたか」
「はい」
ムスタファの問いに、アルテリスは静かに頷く。
「……学園内に、本来存在してはならない気配が迷い込んでおります」
ムスタファは赤い瞳をわずかに細め、短く息を吐いた。
「まさか、“あれ”を破壊する者が現れるとはな」
わずかに震えた声音。
それが、事態の重大さを物語っていた。
「様子を見に参りますか」
「いや。異変に気づいた団員が、既に動いているはずだ。一先ずは任せよう」
静かな応答。
しかし深紅の瞳の奥には、刃のような警戒が宿っている。
「はい」
短い沈黙が落ちる。
外では風がざわめき、深い闇の向こうで、何かが地を這うように蠢く気配があった。
「これから、一波乱あるな」
ムスタファの呟きに、アルテリスは小さく頷いた。
やがて、薄明かりがゆっくりと夜を侵し、
静寂の中には、緊張だけが取り残された。
——そして翌朝。
聖騎士団から、緊急招集がかけられた。
⚜️⚜️⚜️
朝靄の残る、聖騎士団支部。
団長や要人らが密かに集められ、石造りの会議室には重く澱んだ冷気が漂っていた。
アルテリスはムスタファの背後に控え、無言で様子を見守る。
壇上には支部長。
鋭利な眼差しが、室内の一人ひとりを射抜く。
「気づいている者もいるだろう。
昨夜、結界石のひとつが破壊された」
抑えた声が空気を震わせ、微かなざわめきが広がる。
「警備にあたっていた団員二名は意識不明の重体。
襲撃犯は痕跡を残さず姿を消した。
詳細は不明——現在、調査中だ」
「“例の”襲撃犯と同一の可能性は?」
誰かの問いに、支部長は重々しく頷いた。
「その可能性は高い。
既に各支部へ、警戒を通達している」
再び、冷え切った沈黙が落ちる。
「結界石の再祈祷は、オリヴィエ副団長に一任する。
支部内の神聖術師は全員、彼女の指示に従え。
各団長は調査班と討伐班を編成し、速やかに動け」
「承知いたしました」
「完全修復には、どれほどの時間を?」
別の団員が問うと、支部長の側に立つ銀髪の女性が一歩前へ出た。
氷のように澄んだ銀髪が肩を流れ、冷静な碧の瞳が室内を見渡す。
「……ひと月ほどを要します」
室内がざわつく。
ひと月。
それは即ち——
学園の防御が、不完全な状態で晒され続けるということ。
支部長は、静かに言葉を継いだ。
「修復までの間、魔族が学園へ侵入する恐れがある。
よって——」
ムスタファへ視線を向ける。
「ムスタファ殿下。
貴殿と学内の聖騎士団員には、学内調査を一任したい」
「承知いたしました」
即答。
その声音は鋼のように揺るがず、深紅の瞳には迷い一つなかった。
支部長は最後に一言だけ告げる。
「この件が公になれば、学内は混乱する。
当面、この一件は内々に処理する」
そうして会議は静かに解散し、
団員たちは朝靄の薄光の中へと歩み出ていった。




