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白い結婚をしたはずの夫が、呪いで(中身だけ)若返って溺愛執着してきます!  作者: 藤原ライラ
本編

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8.秘密と捻挫とお姫様抱っこ

「本当に、このまま舞踏会にお出になるおつもりですか」


 穏やかなクレアの声に、非難するような棘が宿る。さすがに一番身近にいる彼女までには隠し通せなかった。


「当然じゃない」

「こんなに腫れた足で、ですか?」


 捻った左足は、次の日にはびっくりするほど腫れた。これはすぐに治るものではないと、自分だって分かっている。


「そうよ」


 アンジェリカの答えに、クレアは悲しそうに眉を下げる。


「せめて、ヴィルヘルム殿下にご相談なさってはいかがですか」


 よくできた侍女は、普段主人であるアンジェリカの言葉に異を唱えることはない。だからこれは極めて珍しいことだった。


「話して、どうするの?」

「今の殿下なら、きっと姫様のことを」


 クレアにさえも、ヴィルヘルムが記憶を失っていることは知らされていない。だからその先のことについては思い当たらない。


 知って、どうしてくれるというのだろう。


 確かに、今のヴィルヘルムはやさしい。

 知ればきっと、アンジェリカのこの足を案じてくれるだろう。

 その結果として、あの十六歳は皆の前で必死にアンジェリカを庇い立てするかもしれない。


 ――ダンスなんて、しなくていいよ。


 男の声が無邪気にそう言い放つのが聞こえた気がした。


 けれど、それは一時的にアンジェリカを救ったとしても、本質的には追い込むだろう。政略結婚の妻の仕事はお飾りで、それすらできない自分に価値はない。


 己の無価値を公衆の面前で示されることほど、屈辱的なことはない。

 それを十六歳に分かれというのは、酷だろうということも。


「いいの。殿下にはお伝えしないで」

「ですが」


 もう一度何かを言おうとしたクレアを、今度は目だけで制す。


「……承知いたしました」


 さすがは付き合いが長いだけのことはある。アンジェリカは見た目の地味さの割には頑固で、こうなるともう絶対に我を通すということを、この侍女はよく知っている。


 クレアはトゥシューズの要領で足首にリボンを編み上げてくれた。

 これなら、ドレスの裾から足が覗いてもぱっと見は腫れも分からないだろう。少々心もとないが、包帯の代わりにもなる。いくらか歩きやすくなった。


「ご無事のお戻りを、お待ちしております」


 そう言って一度頭を下げたその目にはやはり心配が色濃く浮かんでいて、なんだか少し悪いことをしている気にもなった。


 夜を昼間のように煌々と照らすシャンデリアの下で見るヴィルヘルムは、やはり美しかった。


 そこだけが切り取られたようにシルバーブロンドが輝いていて、アンジェリカは彼の中身が十六歳だということをしばし忘れそうになった。


 当の本人はと言えば、ドレスを着たアンジェリカをまじまじと見つめてきて、奇怪なものでも見るようにゆっくりと瞬きをした。そこまで似合っていないということは、ないと思いたいけれど。


 男の腕に腕を重ねて、手を取り合う。


 やがて音楽が流れて、ダンスがはじまった。令嬢も重臣も、皆見極めるような目でじっと自分達を見つめている。


 想像していたよりも十六歳のヴィルヘルムのダンスも巧かった。


 今日の曲目はゆったりとしたワルツで、踊りやすかった。ターンの時に足にかかる負担だけ考えれば、このテンポで踊ることはそこまで難しくはない。


 けれど、最初のターンをくるりと回り終わった時、眼前の整った顔がわずかに歪んだ。何か失敗をしてしまっただろうか。確かに足は痛いが、何も失敗はしていないはずだけれど。


 そして、二回目のターンの前に、不意に腰に回された腕の力が強くなった。

 急に距離が近づいて、心臓が跳ねる。勿論、これはダンスの範疇ではあるけれど。


 ふわりと足が、宙に浮いた。


 ヴィルヘルムに抱き寄せられるような格好になって、アンジェリカの世界がくるりと回る。


 なんだ、これは。


 令嬢たちがはっと息を呑んだのが分かった。

 まるで物語のようだった。こんな風に姫君を抱きしめて踊る王子様の挿絵を、アンジェリカも見たことがある。


 聞こえてくる小さな歓声のようなものも、理解ができてしまう。なんてったってあのヴィルヘルムがそれをやっているのだ。絵にならないわけがなかった。


 ダンスが終われば、ヴィルヘルムはアンジェリカを軽々と抱え上げた。膝裏と背中にしなやかな腕が回されている。


 いわゆるお姫様だっこというやつである。


「へっ」


「すまない。今夜はこのあと、妻と二人きりで過ごしたい」


 そう言って、にこりと微笑んでみせる。皆がヴィルヘルムに釘付けになって見惚れるのを、アンジェリカは一番近くで見ていた。


「構わないかな?」


 その言葉にはどこか、秘密を共有する甘美さに満ちている。操り人形のように、彼らがぎこちなく頷く。


「あとは、皆で存分に楽しんでくれ」


 その言葉一つで、ヴィルヘルムはこの場の全員を己の共犯者にしてしまった。雨のような拍手に見送られて、アンジェリカは大広間を後にした。






「あの」

「なに?」


 アンジェリカを抱えたまま、夫は廊下を歩いていく。


「お、下ろして、ください」


 その腕から逃れようと手足を動かしても、しっかりとした男の腕はびくともしなかった。ヴィルヘルムは悠然とアンジェリカを抱え直すだけだ。


「いいの? みんなまだ、見てるよ?」


 確かに、控える女官や近衛たちも、食い入るようにこちらを見つめている。驚いたようにはっと口を押える彼女たちは、酔いしれるようなうっとりとした目をしている。


「立ち居振る舞いがだいじ、なんだよな?」


 灰青色の瞳は、どこか自慢げにそう言い放った。間違いなく自分が言った言葉だった。それはそのまま、アンジェリカ自身を縛る。


 皆、アンジェリカが見たのと同じ物語を夢見ている。これは多分、このまま夢を壊さない方がいい。


「……あの、重たくないですか?」


「あんた本当軽いよな。やっぱりもうちょっとちゃんと食事した方がいいよ」


 ちらりと、ヴィルヘルムはアンジェリカを見遣る。その間も立ち止まることはなくて、長い足は颯爽と廊下を歩いていく。


 こういう時はどうするのが正解なのだろう。


 アンジェリカは夫の腕の中でちんまりと身を固くした。鍛えられたその身と自分の体が、ぴたりと密着する。


「気になるなら、どっか適当に手置いて掴まって。その方が落とす心配がないから楽」

「わかり、ました」

 

 すっと伸びた首筋に触れてみる。指先にじんと確かな熱を感じた。皮膚を一枚隔てた下で、脈打つ鼓動を感じる。


 己の全てを委ねて夫に身を任せることができれば、どれほど幸せかとよぎった。

 けれどだめだ、このまま首に手を回すだなんて、とてもとてもできそうにない。


 仕方なく、そっと肩に手を置いた。しっかりと大人の広い肩だった。

 ヴィルヘルムはもう何も言わなかった。


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