第4話 チェルヴィナー城(1)
互いに名乗りあったあと、シルヴェストルは騎士たちを叩きおこし、催眠術を掛けた。
「この城にはたどり着かず、レンカの行方はわからなかった」という暗示を掛け、アーモスのもとへ帰るよう仕向けたのである。
千鳥足で大広間から出て行く彼らを見おくり、レンカはほっとひと息ついた。
これでしばらくは、追っ手に悩まされる心配はないだろう。
(それにしても、吸血鬼って本当に催眠術を使えるんだ……)
言い伝えのとおりだ、とシルヴェストルに目を向けると、彼はあくびをしていた。
「……疲れたな。久々に動いたからか?」
つぶやくように言うと、シルヴェストルはすたすたと寝台に向かった。
「ちょっと。なにしてるの?」
布団に潜りこむシルヴェストルに、レンカは呆気にとられた。
「見てのとおり、寝るつもりだが」
「さっきまで寝てたのに!? それに、まだ日も落ちてないけど」
窓から射しこむ光はやや黄色みがかってきたが、まだ昼間の範疇だ。
こんなに明るいうちから惰眠をむさぼるなど、レンカにとっては信じがたい所業である。
「吸血鬼は夜行性だ。そんなことも知らないのか? 今は寝るべき時間帯で、起きているほうがおかしい」
シルヴェストルは鼻で笑うと、レンカに背を向けた。
「とにかく、僕は寝る。早く休みたいから、さっさと出て行け」
「はあ!?」
レンカが抗議しかけたとき、シルヴェストルは頭まですっぽりと布団を被った。
聞く気はないという意思表示に、レンカは呆れかえった。
(子どもみたい……)
深々とため息をついたレンカは、仕方なく部屋を出た。
シルヴェストルと会話していると、彼が極悪非道な王であったことを忘れてしまいそうになる。
恐れよりも、怒りや呆れの感情がまさるからかもしれない。
萎縮するよりはましだが、あれほど高慢ちきな吸血鬼とうまくやっていけるのか、レンカにはわからなかった。
(まあ、今心配してもしょうがないか)
ひとまずは城を見てまわり、間取りを確認すべきだろう。
レンカは螺旋階段を使い、一階まで下りてみた。
歩きまわってわかったのは、一階には貯蔵庫と厨房が、二階と三階には大広間と寝室がひとつずつあり、それぞれの階の大部分を占めていることだった。
二階から上には、小部屋がいくつもあった。その多くは大広間や寝室を通らねば行き来できず、いささか不便そうだ。
だがこれだけ部屋があれば、自室も選びたい放題である。
レンカはシルヴェストルの眠る三階ではなく、二階の小部屋を居室に定めた。
一瞬、二階の寝室を使おうかと思ったが、やめにした。生家がすっぽりと入りそうな広さなので、落ちつかなくなるのは目に見えている。
小部屋は横長の造りで、入って右手に寝台が置かれていた。
隅に寄せられた寝台に腰かけ、レンカは部屋を見まわした。
向かいの長辺にあたる壁には窓がある。ひとつしかないが、狭い部屋なので十分明るい。
寝台の脇には櫃があり、その隣には丸椅子が置かれていた。
アーモスの屋敷であてがわれた部屋より質素だが、生家とは比ぶべくもない。居間で藁を敷いて寝ていたことを思えば、この部屋は贅沢すぎるほどだった。
青色の掛け布団をなで、レンカは眉をひそめた。
(ここも埃が全然積もってない)
城をひととおり調べても、人の姿は見あたらなかった。にもかかわらず、城内はどこも手入れされている。
通いの使用人が整備しているのだろうか?
だが、シルヴェストルいわく、ここは王家の城だという。現王家の祖先はシルヴェストルの遠縁なので、前王朝所有の城も引き継いでいるはずだ。管理人が常駐していないのはおかしい。
二百年のあいだに忘れさられた城なのか、王家が売りはらって所有者が変わったのか。
(でも放置された城なら廃墟になっていないのはおかしいし、所有者が変わったのだとしても人がいないのはおかしいし……)
堂々巡りになって、レンカは考えるのをやめた。
(なんだか変な城に住むことになっちゃったな)
レンカは寝台にごろりと横たわった。
気づけば、日はすっかり傾いていた。西日が射しこみ、部屋は金茶色の光で満たされている。
それをぼんやりとながめているうちに、どっと疲労が襲ってきた。
思えば、今日は激動の一日だった。疲れが出て当然だろう。
(だめだめ、ここで寝たらシルヴェストルと同類になっちゃう)
かぶりを振ったレンカは、ふと思い至った。
(……どうしてシルヴェストルは、この城で眠っていたんだろう)
シルヴェストルが「チェルヴィナー城」と呼んだこの城は、狩りのために建造されたという。
なぜそんな場所にいたのか? それも、ひとりきりで。
しかもシルヴェストルの口ぶりから察するに、彼は二百年もの長きに渡って眠りについていたようだ。吸血鬼とは、それほど長く眠るものだろうか。
本人に直接たずねたいが、彼が素直に答えてくれるとは思えない。
いつの日か、おのずと語ってくれるのを待つしかなさそうだ。
そんなことをあれこれ考えているうちに、しだいに意識が朦朧としてきた。
目を開けていようと踏んばったが、結局睡魔に抗えず、レンカは眠りに引きこまれていった。
***
翌日の午後、レンカは三階の礼拝所にいた。
入って正面、突きあたりの壁には横長のタペストリーが掛けられ、その手前には白布に覆われた祭壇がある。
そこに黄葉のついた枝を飾り、ワインの入った素焼きの壺を置くと、彼女は両手を組みあわせて瞑目した。
「このたび、こちらで暮らすことになりました、レンカと申します。しばらくのあいだ、よろしくお願いいたします」
レンカはまぶたを開けると、眼前のタペストリーを見つめた。
目の覚めるような青空を背景に、白鳥の群れがゆうゆうと飛んでいる。
善き先祖の霊『末葉守』をまつるこの国では、死者の霊魂は白鳥に姿を変えると信じられている。
そのため、祭壇の向こうに、白鳥の絵やタペストリーを飾るのが一般的だ。
末葉守は生前に善行を積んだ魂で、家屋とそこに住む子孫を守護する。しかし、家を清潔に保たなかったり、末葉守を粗雑に扱ったりすると、不幸にあうともいわれている。
吸血鬼とは対極に位置するが、恐ろしさも持ちあわせた存在なのである。
(ひとまずここはよし、と)
レンカは一礼すると、せかせかと部屋を出た。
この城における末葉守は、所有者が変わっていなければ、シルヴェストルの先祖だろう。
彼らの怒りを買わないためには、礼拝室はもちろん、城内をすみずみまで掃除する必要がある。
日没までに掃除を終えたいのなら、のんびりしている暇はなかった。
(この城、広すぎるんだよね……)
螺旋階段を箒で掃きながら、レンカはため息をついた。
この城が使われていたころは、何人かで掃除していたに違いない。それをひとりでこなすのは、なかなかの重労働だった。
(でも雨風しのげるし、替えの服はあるし、立地条件はいいし……文句なんか言ったらバチが当たっちゃうかも)
レンカは身にまとった、紺の衣服を見おろした。
足首まである、毛織の簡素なチュニックである。部屋の櫃から拝借したものだ。
昨今このような衣裳を見かけないため、古い時代のものなのだろう。しかし、重くきらびやかなローブを身につけていたときよりずっと身軽で、形の違いなど気にならなかった。
そしてなによりもありがたいのは、この城が森の中にあることだった。
森の大半は、オークやブナといった落葉広葉樹であり、今はちょうど実を落とす時期だ。
オークの実――すなわちドングリは、スープやパン、粥にして食べられる。あく抜きが必要で手間がかかるが、腹持ちがよく、穀物が凶作の年はブナの実とともによく拾ったものだ。
それにくわえ、森にはきのこが生えている。鹿や野うさぎも生息しているだろうし、城の前を流れる川には、魚がいるはずだ。
当分のあいだ、食料に困る心配はなさそうだった。
(逃亡中にしては恵まれた生活だけど、それをあいつのおかげだと認めるのは……なんか癪だな)
レンカは尊大な吸血鬼の顔を思い浮かべ、しかめっ面になった。
シルヴェストルに思うところはあれど、ここに住む以上、彼の先祖には礼を尽くさねばならない。
首を振ってシルヴェストルの面影を追いだすと、レンカは一心不乱に箒を動かしはじめた。