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第3話 吸血鬼は目を覚ます(2)


「あれ?」


 だが、指輪ははずれなかった。

 どれだけ強く引っぱっても、びくともしない。指と一体化したように、付け根から離れなかった。

 レンカの薬指よりも余裕のある作りなのだが、いったいどうしたことだろう。

 顔を赤くして奮闘するレンカを見かねてか、少年が「よこせ」と彼女の手を取った。

 騎士への攻撃を見るに、相当な怪力であろう彼が指輪をはずそうとしても、結果は変わらなかった。ただ、脱臼するのではないかと思うほど、指を引っぱられた痛みだけが残った。


「……主の指輪もだめなのか?」


 少年は苛立たしげにひとりごちると、気絶した騎士の腰から剣を抜きはなった。

 抜き身の剣を手に近づいてくる少年に、レンカは嫌な予感を覚えた。


「なにをするつもり?」

「決まっているだろう」


 少年はレンカの左手首をがしっとつかんだ。

 

「はずせないなら、指を切り落とせばいい。……この長剣では薬指だけ切るのは難しいな。手首ごと切り落とすしかないか」


 平然とそんなことを言う少年に、レンカは蒼白になった。


「い、いや! 放して!」


 レンカが叫んだ瞬間、弾きとばされるようにして少年の手が離れた。

 彼は顔をしかめて再び手を伸ばしたが、レンカの手首に触れる寸前、不自然に動きを止めた。

 少年の手は、ぶるぶると震えている。

 渾身こんしんの力で動かそうとしているのに、それをなにかによって阻害されているかのようだった。


「これもだめか」


 少年は舌打ちをすると、剣を放りなげた。

 耳障りな音を立てて落ちた剣に、レンカはその場に座りこみたくなった。

 よくわからないが、ひとまず助かったらしい。


 しかし、この状況はいったいなんなのだ。

 恐怖が去って余裕が出てきたのか、事態についていけない現状に、だんだん苛々してきた。


 レンカは深呼吸してから、口を開いた。

 

「ねえ。この指輪、いったいなんなの? なんでこれをはずして欲しいの?」

「そんなことも知らずにはめていたのか?」


 少年は信じられないと言わんばかりに眉根を寄せたが、一応説明する気はあるらしく、「それは紅血こうけつの指輪だ」と答えた。


「こうけつ……? なにそれ」

「赤い血のことだ。吸血鬼の血が材料の一部だから、そう呼ばれているんじゃないか」

「え!?」


 レンカはぎょっとして結婚指輪に目を向けた。


「も、もしかして、この石の部分がってこと……? これってガーネットじゃないの!?」

「違うな。これは装飾とは別の目的で作られた指輪だ。ただの宝石を使うはずがない」


 少年は右手の甲をレンカに差しだした。

 彼の人差し指には、赤い石のついた指輪がはまっている。

 レンカの指輪が金製で、彼のものが銀製なのを除けば、ふたつは酷似していた。


「紅血の指輪は、おまえが持つ主の指輪と、僕が持つ下僕の指輪で対になっている。下僕の指輪をはめられた者は、主の指輪をはめた者に逆らえない。命令されれば下僕の意志とは関係なしに、それに従わざるを得なくなる」


 レンカははっとして、自身の言動を思いかえした。

 先ほど自分は、『助けなさいよ、この冷血漢!』と叫んだのではなかったか。


「じゃあ、さっきのあれって」

「おまえが不用意に発した言葉のせいで、指輪はおまえを主と認識し、僕に命令を遂行させた。つまり、僕はおまえに絶対服従しなければならなくなった」


 少年は「絶対服従」という言葉とは裏腹に、憎々しげにレンカをにらみつけた。

 この気位の高そうな少年にとって、他人に隷属するなど、相当な屈辱に違いない。

 申しわけない気持ちになったが、四の五の言わずに助けてくれれば、こうはならなかったのだ。

 文句をつけてやりたい気持ちを抑えて、レンカは話を変えた。


「さっき吸血鬼の血が使われてるって言ってたよね。なんでそんなものを材料にしたの?」

「血を吸って殺した相手をおのれの眷属にできるという、吸血鬼の特性を利用するためだ。主の指輪には主人にあたる吸血鬼の血と灰が、下僕の指輪には眷属の血と灰が使われている。そうすることで、吸血鬼と眷属の関係を再現できるのだと聞いた」


 レンカはぞっとして、指輪を放りなげたくなった。


「こんなおぞましい指輪、誰が作ろうと思ったの」

「……大昔の王・ゾルターンが王妃を言いなりにするため、金銀細工師とまじない師に作らせたと伝わっている」

「なんでそんなことを」

「ゾルターン王は政治を放りだして遊びまわる無能な王だったが、それを再三王妃にとがめられていたらしい。王妃を疎ましく思った王は、紅血の指輪を作らせて彼女にはめ、下女として酷使した。王妃はそれを恨み、王に反感を持つ者を味方につけて、王を暗殺させた」


 レンカは苦々しい顔つきになった。

 そんないわくつきを結婚指輪にするとは、バラーシュ家はどうかしている。それとも、由来を知らなかったのだろうか。

 いや、それはひとまず置いておこう。

 今なによりも必要なのは、指輪を視界から追いだす方法だった。


「この指輪、どうしてもはずせないの? 石の部分だけでも壊せないのかな」

「あれだけ試してできなかったのだから、無理に決まっているだろう。石だけ壊そうとしても、先ほどの僕のように阻止されるはずだ」


 少年は眉をひそめた。


「……紅血の指輪は主と下僕、どちらかが死ぬまでははずれないと、前に聞いたことがあったな」

「そんな……」

「おまえを始末できれば簡単なんだが、僕は主であるおまえに危害を加えられないようだ。逆なら可能だろうが」

「わたしが吸血鬼のあんたを殺すってこと? そんなこと、できるわけ……」


 レンカは言いかけた言葉を飲みこんだ。

 いや、少年の主となった自分にならできる。

 彼を殺すには、みずからの手を汚す必要はない。ただ、自死するように命じればそれで事足りる。


「……できるとしても、やらないよ」

「なぜだ? 僕を殺したければ殺せばいい」


 レンカは唖然として少年を見つめた。

 傲岸不遜を絵に描いたような彼がそんなことを言いだすとは、夢にも思わなかった。


「そんなこと、するはずないでしょう! たとえ吸血鬼相手でも、指輪をはずすためだけに命を奪うなんて、絶対に嫌!」


 レンカが断固として叫ぶと、少年はすっと表情を消した。


「僕は吸血鬼としてよみがえりたかったわけではないし、この世に未練もない。下僕としてこき使われるぐらいなら、死んだほうがましだ」


 淡々と話す少年に、レンカは二の句が継げなかった。

 顔が青白いのも相まって、今の彼は生気を感じられない。吸血鬼というよりも、亡霊のようだった。


「……あのね、こき使うなんてことしないから! わたしはあんたを下僕にしたかったわけじゃないし、ゾルターン王と同類に思われるのは心外だよ。わたし自身、今まで父親に顎で使われてきたから、他人に同じことを強要したくないし」


 レンカは大きく息をついた。


「まあ、会って間もないわたしのことは信じられないかもしれないけど。これから行動で示して……ってちょっと待って。わたしたち、離れて生活できないの? 二度と会わなければ、主従関係なんてあってないようなものでしょう」

「……できなくはない」

「え?」


 てっきり、否定されるかと思っていた。

 

「おまえが『二度と顔を見せるな』と僕に命じれば、一生会うことはないだろう。下僕は主から逃げられないが、主が下僕から離れる分には、なんの問題もないからな。……だが、それでは僕が困る」

「どうして? わたしから離れていれば、命令される心配もないのに」

「……おまえ、その指輪を結婚相手からもらったと言っていたな。おまえがそいつのもとへと連れもどされ、指輪の話をしたらどうなる? おまえを通して間接的に、僕を支配しようとするかもしれない」

「しゃべらなければいいんでしょう? あんたのことは、誰にも言わないよ」


 少年は呆れたような顔つきになった。

 先ほどまでの虚ろな様子は、いつの間にか消え失せていた。


「おまえが話さなくとも、そいつが紅血の指輪について知っているかもしれないだろう。万が一、僕の情報が漏れたりすれば、悪用するに決まっている。……それにおまえ、殺されると言っていたな」

「うん」


 レンカはアーモスの噂について、簡潔に話した。


「ふん、なるほど。それが事実なら、おまえも同じ目にあうだろうな。となると、主の指輪はおまえの所有ではなくなる。僕が指輪をはずす前に、別の者が主となる可能性もあるわけだ。……それなら、どこの馬の骨とも知れぬ輩より、能天気そうなおまえのほうが、よっぽどましだ」

「能天気!?」


 憤慨するレンカを気にもとめず、少年は話を続けた。


「つまり、僕はその指輪が利用されたり、他人の手に渡ったりしないよう、おまえを監視する必要がある。となると、おまえと離れるわけにはいくまい」


 渋面になった少年は、ため息をついて言った。


「……仕方ない。おまえ、この城に住め」

「えっ」


 レンカは目を丸くした。


「いいの? わたし、追われる身だよ? 今度追っ手が来たら、また指輪を使っちゃうかもしれないけど……」

「城への侵入者は排除すべき敵だ。命令されずとも、それぐらいは僕の意志でやる。……まあ、面倒ではあるが」


 少年の申し出は、レンカにとって願ってもないことだった。

 潜伏先を確保できるうえ、アーモスの騎士を追いはらってくれるとなれば、断る理由がない。


「じゃあ、お言葉に甘えて滞在させてもらうよ。……でも、一生このままってわけにはいかないでしょう。主従契約を破棄する方法って、本当にないのかな」

「どうだろうな。紅血の指輪について、僕も知りつくしているとは言いがたい。情報を集めるしかないだろう」


 少年は目を伏せて、考える素振りを見せた。


「……ひとまず僕は、この城にある蔵書を読んで、それらしき記述がないか探す」

「この城、本なんて置いてあるんだ」

「多少は。狩猟のために作られた城だが、女子どもが同行したおり、暇つぶしとして本が持ちこまれた。まあその程度だから、あまり期待はできないだろうが」

「わたしは難解な本が読めないから、それはあんたに任せておくよ」


 読み書きは母から習ったが、必要最小限しか身についていない。学のない自分では、そう役には立たないだろう。

 

(わたしができるのは、城の環境を整えることかな)


 当面の目標が定まり、レンカは久々に気分が上向くのを感じた。

 騎士に捕まりそうになったり、吸血鬼に手首を切り落とされそうになったりと散々な目にあったが、ようやく巡りあわせがよくなってきた気がする。


 今日から同居人となる少年をながめ、レンカははたと気がついた。


「そういえば、まだ名乗ってなかったよね。わたしはレンカ・フォルティーノって言うの。あんたの名前は?」

「シルヴェストル・ヴェンツルだ」

「シルヴェストル……?」


 どこかで聞いた覚えのある名前だ。

 レンカは懸命に記憶を探った。

 

「……ちょっと待って。確か二百年前の狂王が、同じ名前だったはず。都を火の海にしたあげく、血族を皆殺しにして王朝を断絶させたっていう……」

「あれから二百年も経ったのか? それは驚きだな。狂王とはまた、不愉快な通称をつけられたものだ」


 シルヴェストルの物言いは、狂王本人だと認めているも同然だった。

 あんぐりと口を開けると、彼はにやりと笑った。


「これからよろしく頼む、ご主人さま」


 敬意の欠片もこもっていない挨拶に、レンカは顔を引きつらせた。


(吸血鬼ってだけでも怖いのに、あの伝説の狂王だなんて……)


 この凶悪な吸血鬼と、一刻も早く縁を切りたくなってきた。

 レンカは恐ろしさに粟だった両腕をさすると、固く心に誓った。

 

(なにがなんでも、主従契約を破棄しないと……!)

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