第2話 吸血鬼は目を覚ます(1)
「し、死体!?」
レンカは櫃から飛びすさり、尻もちをついた。
その少年は、とても生きているようには見えなかった。
生者にしては血の気がなさすぎるし、なにより、息づかいを感じられない。
腐敗していないので、死して間もないのだろう。けれど、いったいなぜ、こんな場所に押しこめられているのか。
レンカが呆然としていると、少年の体がかすかに動いた。
「え……?」
見間違いだろうか。
目をこすってもう一度見たが、やはり身じろぎしている。
(死体じゃなかったの?)
レンカが固唾をのんで見守っているうちに、少年はゆっくりとまぶたを開いた。
ぼうっと天井をながめ、おもむろに周囲を見まわす。
こちらを向いた茜色の瞳に、レンカはあっと声をあげそうになった。
(吸血鬼!)
赤い目は、古来吸血鬼の証だと言われている。
よく見れば耳も、わずかにとがっているではないか。
(そうか、吸血鬼だから死人に見えたんだ)
吸血鬼とは、悪行を働いた人間が、死したのちによみがえった姿である。
生者に見えなくて当然だった。
ここカンネリア王国では、土葬による埋葬が一般的だが、罪人に関しては火葬が適用されている。
そのため、一律土葬だった昔に比べれば吸血鬼の数は減り、遭遇する機会はほぼなくなった。
むろん、レンカも吸血鬼にまみえるのはこれが初めてだ。どう対処すべきか、皆目見当もつかない。
凍りつくレンカを尻目に、少年はゆうゆうと上体を起こした。
彼は端正な面ざしを怪訝そうにゆがめ、レンカをまじまじと見つめた。
「おまえ……どこかで会ったことがあるか?」
「え?」
レンカは紫色の目を見ひらいた。
彼ほどの美貌の持ち主なら、ひとめ見ただけで強く印象に残るだろう。しかし、思い当たるふしはまったくなかった。
当惑するレンカの姿に、少年は「いや、気のせいか」とつぶやいた。
「……それよりもおまえ、何者だ? 誰の許可を得てこのチェルヴィナー城に入った」
少年の射ぬくような視線に、レンカはいたたまれなくなって顔をそむけた。
相手が吸血鬼だとしても、非があるのは明らかにこちらである。
「きょ、許可なんか得てないよ。誰にも会わなかったし。そもそもここ、他に人がいるの?」
弱々しくたずねるレンカに、少年は眉根を寄せた。
「誰にも会わなかっただと? そんなはずは……」
少年が考えこむように沈黙したそのとき、騒々しい足音が耳に飛びこんできた。
その音はどんどんこちらに近づいてくる。
(まずい! もう追っ手が来た!)
レンカはどこかに身を隠そうと、大慌てで辺りを見まわした。
ベッド下がいいか、それともここから逃げだすべきか?
そう逡巡しているあいだに、大広間へ続く扉がけたたましく開けられた。
「いたぞ!」
アーモスの騎士がふたり、部屋に駆けこんできた。
レンカは弾かれたように別の戸口へと走ったが、あえなく腕をつかまれてしまった。
「放してっ!」
拘束を振りほどこうと、めちゃくちゃに暴れたが、大人の男に力でかなうはずもない。
後ろ手に腕をねじりあげられ、身動きが取れなくなった。
「手荒な真似をして申しわけございません」
うめき声をあげるレンカに、騎士は淡々と言った。
謝るぐらいなら今すぐにその手を放せ、と怒鳴りたかったが、痛みのあまりしゃべれそうにない。
「まったく、この城の警備はどうなっているんだ? こうもやすやすと不法侵入を許すとは」
そのとき、少年がうんざりとした様子で口を開いた。
騎士たちは彼の存在に気づいていなかったらしい。櫃の中にいる少年を訝しげに見つめ、「何者だ」と問いかけた。
「はっ、侵入者の分際で偉そうに。自分から名乗るのが礼儀というものだろう。……まあいい、貴様らの名前などどうでもいいが、ここを王家の城と知っての所業か? 承知のうえなら、その頭には藁しか詰っていないんだろうな」
櫃から出て立ちあがった少年は、嘲笑を浮かべた。
自分よりはるかに体格のいい騎士相手に、彼は臆した様子もなく堂々としている。そのさまは、威厳すら漂っていた。
騎士たちは気をのまれたように沈黙したが、やがて頭をさげた。薄暗がりのうえ距離があるためか、少年の正体に気づいた様子はなかった。
「……大変失礼いたしました。我が主の城とばかり思っていたものですから……。無断で侵入したこと、心よりお詫び申しあげます。目的は果たしましたので、すぐにでも立ち去ります」
レンカを捕えていないほう、大柄の騎士がそう告げたが、少年の言い分を信じたとは思えなかった。
王家の所有にしては、この城は管理がずさんすぎる。守衛もいないし、管理人らしき人間もいない。
だが、騎士たちは城の所有者を知らないようだし、下手なことは言えないのだろう。帰ったらアーモスに報告し、指示を仰ぐに違いない。
それを知ってか知らずか、少年は虫でも払うように手を振った。
「ああ、とっとと行け。僕は寛大だから許してやるが、二度目はないと思え」
「お心遣い、痛みいります。失礼いたします」
騎士たちは一礼し、足早に立ち去ろうとした。
レンカは引きずられるようにして歩きながら、おおいに焦った。
このまま屋敷へ連れもどされてしまえば、逃げだす機会は二度と訪れないだろう。
藁にもすがる思いで、レンカは少年に向かって叫んだ。
「た、助けて! この人たちに連れていかれたら、わたし殺されちゃう!」
「……助ける? 赤の他人の厄介ごとに、なぜ僕が首を突っこまねばならない?」
少年は面倒くさそうに答えた。
確かに、彼にはレンカを助ける義理も義務もない。しかし、ここで諦めてしまえば、こちらには後がないのだ。
「たった今、顔見知りになったよしみで! お願い、あなたしか頼れる人がいないの!」
「断る。おまえがどうなろうが知ったことではないし、かかずらう気もない。さっさと出て行け」
取りつく島もなかった。
レンカがさらに食いさがろうとしたとき、少年は冷ややかな眼ざしで彼女を見すえた。
「それ以上なにか言ってみろ。そいつらよりも先に、おまえの口をきけなくしてやる」
レンカは唇をわななかせた。
少年の言葉におびえたからではない。腹の底から湧きあがる、煮えたぎるような怒りのためだった。
隣室への扉にたどり着く寸前、レンカはまなじりを決して、背後の少年を怒鳴りつけた。
「死ぬかもしれないって言ってるんだから、すこしは耳を貸したらどう!? 助けなさいよ、この冷血漢!」
半分は八つ当たりだった。
みずからが置かれた理不尽な状況に、レンカはずっと憤っていた。しかし、抗う力を持たず、吸血鬼なぞに助けを求めたおのれにもまた失望し、腹が立っていた。
少年の物言いが呼び水となり、今まで押さえこんでいたものが、堰を切ってあふれ出したのだった。
レンカの罵声に、少年は不快感を露わにしたが、直後、はっとした表情を浮かべた。
赤い光が、部屋に満ちあふれたからだ。
なにごとかと騎士が立ちどまったので、レンカは光の発生源を探し、おのれの左手薬指に目をとめた。そこには、結婚指輪がはまっていた。
「なにこれ……」
山型に研磨された楕円形のガーネットから、目もくらむような光が放たれている。
そしてよく見ると、少年の手元も同じように光っていた。
「なんだ、この光は!?」
騎士たちはうろたえた様子で立ちすくんでいる。
次の瞬間、大柄な騎士の姿が消えた。
一拍遅れて、雷鳴のようなすさまじい轟音が鳴りひびく。
「え……」
なにが起きたのだろう。
レンカはきょろきょろし、視界に映ったものに絶句した。
扉の向こう、漆喰が塗られた大広間の壁に、大柄な騎士がめりこんでいる。
強い衝撃により石壁はへこみ、破片が床に散乱していた。まるで巨人の手に叩きつけられたかのようなありさまだ。
気を失ったのか、騎士はぐったりしたまま動かない。
「お、おい!」
もうひとりの騎士が、思わずといった様子でレンカの腕を放し、同僚のもとへ駆けよろうとした。
しかし、それはかなわなかった。
いつの間にか近くにいた少年が、目にもとまらぬ動きで騎士の腕をつかみ、投げ飛ばしたためだ。
木の床が粉砕され、木くずが宙を舞う。
そうして沈黙した騎士には目もくれず、つかつかとレンカのもとにやって来た。
「おまえ、その指輪をどこで手に入れた?」
どすのきいた声でたずねられ、呆然としていたレンカは我に返った。
「え、どこでって……。結婚指輪として、相手方からもらったものだけど」
「結婚指輪だと!?」
少年は、寝耳に水とばかりに目を剥いた。
「それはあの男が持っていたものだぞ。結婚指輪であるはずがない! ……いや待てよ、あれは死んだのだから、人の手に渡っていてもおかしくはないのか?」
ぶつぶつと呟くと、少年は殺気だった目つきでレンカをにらみすえた。
こちらを射殺しそうなほどの鋭さに、我知らず後ずさる。
「とにかく、その忌々しい指輪をはずせ。今すぐにだ!」
なぜ、はずさなければならないのか。
訳がわからなかったが、少年の剣幕に押され、レンカは指輪を抜きとろうとした。