挿話その七「国家宰相の追撃戦」
挿話その七「国家宰相の追撃戦」
「入港用意!」
「渡り板よし! もやい綱よし!」
フレールスハイムに入港したフラウエンロープ号の船上にて、『暴風のハンス』ことハンス・フォン・リンデルマンは、やれやれと腰を伸ばした。
魔法技は現役だし気力も十分だが、陸の上の仕事を続けるうちに六十を過ぎたことを思い出す。
それでも丸四日の航海予定をほぼ三日半、四日目の早朝到着としたあたり、舵さばきと風読みの腕ならばまだ伸ばせるかと、ハンスは笑みを浮かべた。
「軍艦はおらぬな」
「そのようですね。やはりあれで全力でしたか」
「ふむ、四隻でも無理をしていただろうな」
フレールスハイムは人口一万を誇る大きな都市だが、四隻の軍艦を維持するのはきついはずだった。
軍隊は巨大な胃袋とも言われるが、軍艦は特に大食らいで知られている。
「おーい! おーい! すまん、急病人だ!」
ハンスの目配せを受けたトビアスは、こちらにやってきた港の係官に向けて大きく手を振った。
……酷い詐欺だが、嘘ではない。
ついでに言えば、レシュフェルト王国の所属を現す新たな旗はまだなく、規定に則れば少々怪しいものの、旧シュテルンベルク船籍であることを示す古びた旗がマストの頂部で垂れている。
また、旧南大陸新領土管区時代より、滅多なことでフラウエンロープ号をフレールスハイムに寄航させなかったことも功を奏したようで、不審な様子でこちらを窺う者は見当たらなかった。
「おう、分かった! 人手は?」
「いらん! 船酔いが一人だ! 状態は酷いが……おい、誰か!」
「もう呼びに行ってます!」
ほどなくして、竿にハンモックを巻きつけた即席担架で、女官長や騎士に守られた宰相閣下が運び出されていった。
向かう先は港から近い宿で、しばらくもすれば宰相閣下も体調が戻り、あちらから連絡が来るだろう。
「トビアス、係官が事務所に戻ったら、三人ほど港に向かわせてくれ」
「はい、手はず通りに」
睡眠魔法を掛け続けて船酔いをやり過ごすなど、船酔いになったことがないハンスには意味が分からなかった。
無論、彼には彼の役割があり、その肩に今後の王国の命運が重くのしかかっていることも間違いない。
宰相閣下がこのフレールスハイムで何をするのかハンスは聞かされていなかったが、己の役目は海を使った支援と、割り切っていた。
「さて『船長』、某は一眠りさせてもらうぞ」
「了解です、『艦長』!」
「頼む」
総督府所属当時よりフラウエンロープ号の『船長』は変わらずトビアスのままだったが、有事にはハンスが『艦長』として指揮を執り、魔法の風を操ることもまた、当時より変わらぬ彼らの約束事だった。
▽▽▽
「お加減はいかがですか、メルヒオル様?」
宿の一室で目を覚ましたメルヒオル・シュテフェン・フォン・テーグリヒスベックは、己の体の調子を確かめた。
魔法が抜けていく、ということさえ感じさせない親友の妹の魔法技に、内心で感嘆する。
「問題ない、と思う。……手間を掛けたな、アリーセ。さあ、今度は君が休んでくれ」
「お気遣いありがとう存じます」
船中で過ごしたこの四日間、同行を頼んだ王国女官長にして魔術師のアリーセ・フォン・ヴォルフェンビュッテルは、睡眠魔法をメルヒオルの身に掛け続けていた。
だが、体力の消耗や衰弱を覚悟していたメルヒオルの予想とは裏腹に、体調はすこぶる良い。
アリーセはメルヒオルの期待に応え、一流たるを示してくれたのだ。
ならば次は、メルヒオルが己の一流たるを示す手番である。
「メルヒオル様、ご武運を」
「うむ」
アリーセを送り出したメルヒオルは騎士テーオバルトを呼び、堅さと不味さには定評がある海軍ビスケットと、リフィッシュに湯を注いだスープのみの軽い食事を摂りつつ、現状の把握に努めた。
「港に軍艦はいないそうです」
「そうか」
「また、リンデルマン閣下が水夫を使って聞き込んでくれましたが、敗戦の一報は届いておらぬようです。むしろ戦勝を既定のものとして、市場の相場が上がっている様子だと報告を受けました」
「……ふむ、初手はこちらが握ったな」
「はっ!」
ならば我らも手はず通りにと頷いたメルヒオルは、着替えを済ませて騎士テーオバルトを伴い、宿の表へと出た。
「お待ちしておりました、宰相閣下!」
「ご指示通り、三輌確保できました!」
「うむ。リンデルマン艦長には、予定通り食料の購入とレシュフェルト行きの船の手配を済ませるよう伝えてくれ。出航についても、間に合えば誰かを送るが、こちらの指示を待つ必要はない」
「了解です!」
水夫とともに待ち構えていた黒馬車は三輌、その先頭に乗り込む。
言うまでもなく、目的地は主人のいないフレールスハイムの総督府である。
「思ったよりも規模の大きな総督府ですね。それに真新しい部分も多い」
「フレールスハイムの発展は、現総督の赴任後と聞いている。……提督としてはともかく、総督としては侮れないようだな」
街の中心である総督府は目抜き通りの一番奥、目立つ場所にその威容を誇っていた。
メルヒオルは、これならば多少無理を押しても悪くないかと、車窓から人々の様子を確かめつつ、考えをめぐらせた。
「諸君、ここまではほぼ予定通りだが、油断は禁物だ。最後まで気を引き締めつつ、任務の遂行にあたってくれ」
「了解!」
正装した騎士テーオバルトを伴い、メルヒオルは馬車を降りた。
旧シュテルンベルクの文官服に袖を通したのも久しぶりだなと、その袖のほつれを思い出す。
……いつの間にか繕われていたそれに、アリーセにはまた手間を掛けさせたかと、メルヒオルは小さくため息をついて、頭を切り替えた。
堂々と歩みを進め、衛兵らに近づく。
「職責にて誰何致す!」
「まずは突然の来訪を詫びる。私はレシュフェルト王国国家宰相、テーグリヒスベック伯爵メルヒオル・シュテフェンだ。総督の代理人か、それに類する立場の関係者に連絡はつくだろうか?」
「伯爵閣下!?」
「で、では……」
顔を見合わせて驚く衛兵に、メルヒオルはわざとらしくため息をついてみせた。
「……うむ。諸君らも貴国によるレシュフェルト王国への軍事行動については聞き及ぼうが、私はレシュフェルト国王ローレンツ陛下より『占領政策』についての交渉、その一切を任されている」
「か、畏まりました! ……おい!」
「はっ!」
メルヒオルはそのまま俯き、迎えを待つことにした。
……周囲へと落胆を印象付けるにも丁度よいが、それ以上に……この大舞台へと挑む高揚感を押さえきれず、そのままの表情を保つことが出来なかったのだ。
「お待たせいたしましたな、伯爵閣下。私は総督閣下の留守を任されております、総督府主席内務官エルヴィン・フォン・ヒューグラーであります」
しばらく待たされた後に案内された応接室では、初老の文官がメルヒオルを出迎えた。
余裕の笑みを浮かべているその内務官に、何故総督を差し置いて交渉を……などと考えさせないよう、話題を選ぶ。
「主席内務官殿、フレールスハイムは随分と栄えているのですな。こちらに伺う道中、馬車の窓から街路を眺めたが、人々は活気に溢れ表情も明るかった」
「でしょうな。お味方勝利の触れを出せば、更なる活気に満ちましょう」
「ふむ。……それで今後のことなのだがな、主席内務官殿」
「なんですかな?」
世間話を振りつつ、内務官の表情を観察する。
総督の勝利を疑いもしないその様子に、メルヒオルは大上段から切り込み、最大限の成果を得る決断を下した。
「表の馬車には、レシュフェルトへ来られた艦長も同乗していただいている。こちらへお越しいただいても構わないだろうか? この度の戦役について説明させていただくにしても、私だけでは説得力に欠けよう」
「そういうことならば、是非。私からも労いましょう」
雑談することしばらく。
騎士テーオバルトと総督府の衛兵を露払いに、艦長二人が入室してきた。
「失礼致します! 戦列艦カローラのアルホフ艦長、巡航艦マクシミリアン・リープクネヒトのメスレンダー艦長が到着されました!」
「ご苦労、下がってくれ」
ここが勝負どころである。
メルヒオルは、一国の宰相として堂々たる態度を示すように……あるいは、精一杯の虚勢を張っていると見えるように、表情を消して姿勢を保った。
「おお、ご苦労でしたな、お二方。……うむ? どうかなされたのかな?」
艦長たちは目を見合わせたが、その顔色は、言うまでもなかった。
「ああ、その、ヒューグラー内務官……」
「我が艦隊は……敗北いたしました」
「……何ですと!?」
二人の艦長には、一切の仕込みをしていない。
伝えたのは交渉の場に付き合ってもらう事、そして、道中は海軍士官としての待遇を受けられる事、その二点のみである。
相談でもされると効果が薄れるので、フラウエンロープ号内だけでなく、馬車も別々にしていたが、気を遣ったのはそのぐらいだ。
「冗談を申されますな。二人して私をからかっておられるのか? 総督閣下は四隻の軍艦に十分な戦力を……」
「フレールスハイム駐留艦隊は……全て、撃沈されました」
「!?」
「内務官殿、これは全くの事実であります」
「家名に誓って、嘘は申しておりません」
「で、では、総督閣下は如何なされたのだ?」
「はっ、捕虜として拘禁されております……」
壊れたからくり人形のように、内務官の首がぎぎぎとメルヒオルの方を向いた。
うむ、とゆっくり頷いてやる。
「主席内務官殿。私は国王陛下より『占領政策』についての交渉、その一切を任されていると、最初に申し上げたが?」
「で、ですが……」
「言うまでもなく、フレールスハイムの『占領政策』についてだが……ふむ、説明不足だったな」
「い、いや、それは……」
「降伏を認めたくない気持ちは、よく理解出来る。正に数日前の我々が、その立場であった」
フロイデンシュタット男爵家の急使が王宮に駆け込んできたその瞬間のことは、メルヒオルの記憶に新しい。
グロスハイム艦隊、来襲。
これから敬愛する国王を支え国の発展を目指そうというその時に、天は何と残酷な采配を振るうのかと、メルヒオルの心中は絶望に染まった。
人口四千の小国へ四隻もの軍艦を差し向けるという徹底振りに、これは王都の放棄も時間の問題、せめて国王陛下だけでも落ち延びていただこうと、アンスヘルムと打ち合わせていたその時だった。
開け放たれた執務室の向こう、廊下のあたりから大きな叫び声が聞こえたのだ。
『大丈夫です! お嬢様なら、わたしが戻る頃には四隻とも沈めてるに決まってます!』
思わずアンスヘルムと顔を見合わせたメルヒオルは、馬鹿馬鹿しくも恐ろしいことを考えかけている自分に気が付いた。
……リヒャルディーネ嬢なら、やりかねん。
あれで幾分かの冷静さを取り戻し、彼女ならば期待してもよかろうと、メルヒオルは腹を括ったのだ。
そして、今。
メルヒオルは国家宰相として、フロイデンシュタット男爵がローレンツ王へと献上した奇跡の大勝利を武器に、この場に臨んでいた。
言うなればこの交渉は、ノイエフレーリヒで行われた戦いに続く追撃戦なのである。
「さて、主席内務官殿。改めて、こちらからの要求を述べさせていただこう。レシュフェルト王国は、グロスハイム都市国家同盟の地方都市フレールスハイムに対し、降伏を勧告する。これは先に述べた通りだが、ふむ、これは貴国にも利のある提案なのだ」
「それは、一体……!?」
メルヒオルは茶杯に口をつけ、政務官の目を射抜いた。
この場は相手の混乱に乗じて押し通さねば、国王陛下に献上された奇跡の大勝利を無駄にしかねない。
全く気は抜けなかった。
「先ほど艦長らの口にした通り、今回の宣戦布告なき戦いは、我がレシュフェルト王国の勝利に終わった。我らは奇襲してきた四隻の軍艦を全て撃沈、ヴァンゲンハイム総督以下約一千名を捕虜としている。ここまでは宜しいかな?」
「はい……」
「これは紛れもない事実であるが、フレールスハイムでこの事実を知る者は、現在、この部屋の我らと、我が国の商船の水夫のみ。無論、緘口令は敷いてある」
内務官は、内心の葛藤と戦っていることだろう。
ほぼ確定した戦勝が蓋を開けてみれば大敗北、上役である当の総督は捕虜になり……その状況で、国家の評判を左右する決断を迫られているのだ。
「試みに問うが、フレールスハイムの敗北が、グロスハイム本国や北大陸諸国に伝わった場合の影響を考えたことは?」
「……いえ、ございません」
「さもありなん。私も数日前まで想定すらしなかった」
小さく肩をすくめたメルヒオルは、目が泳いだままの政務官へと、更なる言葉を投げ掛けた。
「フレールスハイムの敗北……いや、グロスハイムの敗北、その一報が世界を駆け巡れば、北大陸諸国はどう出るだろうな。しかもだ、宣戦布告なき奇襲は全くの不名誉、その影響は計り知れぬだろう」
「ええ、はい……」
「昨今、戦の気配が色濃くなるばかりの列強諸国の情勢であるが、グロスハイムの中央評議会はこの不名誉極まりない風評が広がれば、本来なら必要のない苦労を背負い、余力を投入せねばなるまい」
「……」
押し黙ってしまった内務官から視線をはずしたメルヒオルは、ふむと一つ頷いた。
窓から入る陽光が、茶杯に反射している。
「付け加えるならば、我が国の国王ローレンツ陛下は旧シュテルンベルク王国の第三王子殿下であらせられる。兄たる南北両王国の陛下とは政治的に等距離を保たれていたが、それが為、使者が門前払いを受けることもない。もっとも、そのような面倒をせずとも各地の港を次々に巡り捕虜を解放していくだけで、貴国の不名誉な噂は勝手に広まるのだがね」
「ぐ……」
「ちなみにだ、今すぐ降伏するならば、貴官の名誉はグロスハイムの名誉とともに守られると思うのだが……。無論、フレールスハイムが降伏をよしとしないなら、それでも構わぬ。捕虜を積んだ別の船がミューリッツに駆け込むだけの話であり、交渉を突っぱねて風評の影響を見過ごした総督代理たる内務官殿のその後について、我々は一切関知しない」
メルヒオルは『フレールスハイム総督』の独断による開戦の事実を知りながら、飽くまでも宣戦布告なき『グロスハイム都市国家同盟』による奇襲との態度を崩さなかった。
なぜならば。
後々の交渉、その最終的な相手であるグロスハイム都市国家同盟中央評議会が派遣するだろう外交担当者に対し、有効な手札として機能するからである。
捕虜の人数や戦の規模から見て、敗北の事実は隠し通せるものではない。
駐留艦隊や上陸部隊にも、フレールスハイムの出身者は多いだろう。
また、戦勝の噂は――少なくとも総督が艦隊を率いてレシュフェルト王国へ攻め込んだという話は、市井に流れている。
だが、後付けながら『宣戦布告』をレシュフェルトが受け入れるならば。
あるいは、奇襲を『総督の独断』とレシュフェルトが認めるならば。
グロスハイムの受ける傷は、少なく済むのだ。
レシュフェルト王国が交渉相手に足るを認められるには、グロスハイムの失態を喧伝せず、譲歩する姿勢をとるしかないと、メルヒオルは推察していた。
このフレールスハイム占領も、交渉の場に現れるだろう誰かへの手土産――口先だけで一都市を取り戻したという成果を交渉の潤滑油、もしくは『賄賂』とする為である。
継続的な占領状態の維持や併合など、メルヒオルは小指の先ほども考えてもいなかった。
費用も極小なら時間も大して掛からず、フロイデンシュタット男爵の奇跡の大戦果も利用でき、なおかつ己の口先だけでなんとかなりそうな交渉材料として、フレールスハイムの一時的占領は適当すぎたのだから仕方がない。
そもそもの大前提として、レシュフェルト王国はグロスハイムと比較するのも烏滸がましいほど小さな国であり、国際秩序や慣習法など期待するだけ無駄だった。
奇跡の大勝利を得たからと、列強と同等の要求など出来はしないのである。
しかし、それらの状況を完全に理解した上で、メルヒオルは可能な限り戦時賠償を吊り上げるべく手練手管を駆使し、本交渉のその時を待っていた。
重苦しい空気が、部屋を支配している。
もう一押しするべきかと、メルヒオルが顎に手をやったその時。
「……グロスハイム都市国家同盟東辺境州フレールスハイムは、貴国に降伏いたします」
「うむ。レシュフェルト王国国家宰相メルヒオル・シュテフェン・フォン・テーグリヒスベックは、フレールスハイムの降伏を認め、当地がレシュフェルト王国の占領下にあると宣言する」
主席政務官エルヴィン・フォン・ヒューグラーは、大きく肩を落として俯いた。




